2025/4/19
#生活ロギング 2025/4/20 - 2025/4/18
/molog/2025/04/19
にわかに僕のなかでえむおーさんと同郷説が浮上しています。米を探すルートが同じです。
ちなみに僕は、かるたのけの札になります。
/choiyaki/20250419日誌
哲学の本を読むのに苦手意識あるけど、興味はあるし深まっていきつつある。
僕もブックカタリストを聞き始めるまでは、哲学への興味はほとんどなかったですし、哲学の本も読んだことすらなかったです。
そもそも哲学のイメージって倫理の授業でならったギリシア哲学の諸学派とか中国の古代思想とかだったので余計に退屈で、自分とは関係のない存在にずっと感じていました。
いま振り返ると、このイメージを覆してくれたのが、ブックカタリストの紹介だったり、『現代思想入門』や國分功一郎の『哲学の先生と人生の話をしよう』だったと思います。
哲学っていまの生活にも使えるんだと気づいて、哲学のイメージが変わり、哲学に興味を持ちました。
哲学や社会学などの気づきについても、引き続き振り返りながら考えてみるとおもしろそうです。
/rashitamemo/2025/4/19
どうやってこだわりをもてるのか
ある水準・基準に向けて、自分のやっていることに注意を向けて、行為を進めていく、ということが発生するならば程度の差はあれそこに「こだわり」の萌芽がある。
ではどうやって仕事に対して、ちょうどいいこだわりが持てるようになるかについて、こだわりをもつ方法をちらっと書きましたが、あらためてどうやってこだわりが生まれるのか考えてみたいと思います。
こだわりを生むための要素
達成できていない目標とすべき水準・基準がある
現時点ですでに達成できる目標はこだわりをうまないです。例えば自転車に乗るとか。
自分で目標や基準を設定できる
目標や基準が他者から与えられた場合にはこだわりをうまなそうです。いやいや受ける期末テストのイメージ
目標に対する自分の納得感、主体性がこだわりには求められそうです。言い換えればこだわりは主観的です。
創意工夫できる余地がある
引用のとおり、こだわりは物事を進めるときのプロセスに対して発生します。したがってプロセスに対して工夫をこらすことが、こだわりになると思います。
例えば引越したときの転居届では、形式通りに書くだけで工夫の余地はないためこだわりは生まれない行為です。
これがこだわりを生む要素ならば、ほとんどの仕事ではこだわりを持てそうです。それでもこだわって仕事ができないのはどうしてでしょうか。明日以降、この点を考えてみたいと思います。
書きながらいろいろと模索してみたけれども、いまいちだったメモは、べつの価値や用途を生むのではないかというお話
以下の「こだわりとご機嫌について」のメモを書いてみました。けれどもどうもしっくり来ません。
前日の自分のメモや倉下さんの話を踏まえて、以下のメモをまとめましたが、内容として新たな進展を感じられなかったからだと思います。
ただこの没メモによって、自分は要約しながら書いた、目の前の文章を読むことで、自分の考えの起点にしていたことを確認できました。この没メモは自分の考えの起点とした新しいベクトルが生まれなかったような実感があります。
この確認を踏まえると、うまくいかなかったログは、本来の目的とはちがう形ですが、没メモならではの情報価値があるかもしれません。
ログを取るうえで、ログを消さずに残しておくことは、もしかしたらけっこう大事なことなのかもしれないと思いました。
ーーー以下のメモを書いてみたけれども、昨日のメモや引用元の倉下さんの指摘を踏まえてからの、論理展開がないような気がしています。なのでこのメモを消そうかなと思いましたが、これはこれである種のログだと思い直しましたので、自分用に残してみます。ーーー
こだわりとご機嫌について
言い方をかえれば、ごきげん状態が達成・維持されているかという点を評価軸に加えれば、こだわりへの没頭具合が評価できる。つまり「こだわりを持つことはいいことだ」と単文で構成してしまうと、それが増長してしまうことが避けられない。一方で、「ごきげんが維持されている限り」、というようなもう一節を加えることで、その二つの要素に「関係」が生まれ、指標が調整し合うことになる。
こだわりによってご機嫌になると一方向に考えていましたが、引用のとおり、ご機嫌とこだわりは双方向に影響し合う関係性でした。引用文でいえば、ごきげん状態のX軸と、こだわりへの没頭具合のY軸で座標が構成されます。この座標をふまえて、以下の引用をもとに、どのようなグラフになるか考えてみます。
強すぎるこだわりはそのご機嫌を損なうであろうことが予想される。つまり、ちょうどよいこだわりであることも重要な要件だろう。
まず最初に、「強すぎるこだわりはそのご機嫌を損なうであろう」という点。この具体例として思い浮かんだのは、美味しんぼに出てくる海原雄山でした。
海原雄山は主人公 山岡士郎の実父でありながら、食や書道、陶芸に対して究極的にこだわるあまり、家庭生活にも高い水準を要求して、その水準に食事が満たないと激怒していました。
したがってこだわりが強すぎると、そのこだわりの達成感(実現可能性)が低くなりご機嫌をそこなうと言えそうです。
とはいえ何もこだわりなく過ごすことも、ご機嫌になるとは言えないでしょう。
先に読んだ『お探し物は図書室まで (ポプラ文庫)』でも、仕事に疲れたスーパーの店員がこだわりをもって料理を始めたことで自分の生活が生き生きとしてくる様子が描かれていました。
これらを踏まえるとこだわりとご機嫌の関係性は、上に凸型の逆U字のグラフになります。そのグラフの頂点を探るように、ちょうどいいこだわりとご機嫌のポイントがありそうです。とはいえグラフはイメージであり、実際に数値化して検証はできません。実際にはログを手がかりに、こだわった結果とそのときの気分を記録して振り返るような感じで検証してみましょう。
結局はではどうやって仕事に対して、ちょうどいいこだわりが持てるようになるかと同じ結論ですが、こだわりとご機嫌の相関関係も考慮する必要性を確認できました。