2025/3/2
本日は図書館にいく予定
Cosenseの整理もしたい
素敵なページだ
索引についてもっと考えたい
ちょっと真似してみようかと思う。
PKMとかいうまえに、そもそも知識の基本操作が出来ているのか、という問題
たとえば、テキストをテキストとして読むことができているか
それができないでPKMのツールやメソッドを実践しても単に牽強付会なものができあがるだけではないか
Cosenseの相互リンク表示なくなっている?
わりと面白い示唆があったのでそれはよかった
「いったんそれのことは気にしないようにする」という目的のリスト化がある
それも結構ある。
買いたい本リストとかは、そういう役割
文章なんて、どんな書きかたをしても構わない、というのが大前提。
その上で、うまくかけないときに提示されたやり方を試してみるのは悪くない
それで書けるなら万万歳。
でも、それで書けなくても仕方がない。
提示されたやり方が「正解」だと思っていると、ますます体が硬くなってしまう。
「ほぐす」だ。
「自己啓発をゆるめる」でもいいな。
しかし、このエディタを使って文章を書くということがCURSORによって大きく変化しそうである。それは、「ただ書くための道具」が進化したということではなくて、「ことばと人間の関係」をも根本的に変えてしまいそうですらある。
そうして出来上がった文章というのは、私の書いたものなのか? それとも、CURSORが書いたものなのか? しばらく使っていると、それはどちらでもいいという気分になってくる。CURSORは、私の忠実な部下のようなもので、私の意図どおりのことが書かれているという感じになってくる。
ここに違和感を覚えるのがSF読み
何かが起こる前にも日々は続いていて、何かが起こった後も日々は続いていく
「日々は続いていく」なんていう言葉ではまとめきれない生活がそこにはある
広義のカリキュラムを構築するということでは、ある日に向けて活動が集まっていくようにすることで、他のすべての日々が整っていくという考えを持っている。
上のような書き留めは、一枚一ページのWebクリップにするには大げさな感じがする
大げさというか、サイズが合っていないが近いか
Discordでサポーター向けの限定チャンネルをつくって運用したい機運が高まっている
あるツール(ページでもいい)に含まれているものが単語記述が多いならば、そのツールと向き合ったときに、脳が入力しようとするものも単語記述になるだろう。モードがそうなる。
すでに入力されているものが、目に入ることで、脳がそのモードになる。
WorkFlowyは単語のリストが多かったので、そういう使い方に徐々になっていた気がする。
もっと文章を書いていけばいいのだ。
いったんぐちゃぐちゃになる
https://gyazo.com/db4cad7308b810bf81c5460d7e6eb6ca
整えてあるアウトラインに、マテリアルが放り込まれるとぐちゃぐちゃになる
だが、それがいい
むりに押し込めて整えること(というよりもある「整い方」に流し込むこと)をせずに、いったんぐちゃぐちゃになったものから秩序を立て直す
re:ストラクチャリング、re:コンストラクト
その人がうまく能力を発揮できないときに、それをうまく調整するのが政府の一つの仕事ではないだろうか。
何か根本的にレイヤーが異なるものを同一にしてしまっている話に感じる
政治的な発言なんて無駄、みたいな考え方がどれだけ正しいかはおくとして、そういうのは制度を運営する側にとっては好ましい状態だとは言えるだろう。
何かを考えるときに、レイヤーを切り分ける、主語の大きさを見きわめる、述語の適切さを考える、条件や前提を見定める、というったことがあるように思う。
頭がよいというのは、瞬発的に上のようななんか正しそうなことを口に出せること、という側面もあるだろうが、上記のような思考の吟味ができること、という側面もあるだろう。
吟味、という表現自体にすでに「時間をかけて取り組む」というニュアンスが感じられる。
車で移動する人が(それもある程度の時間移動する人が)多いなら自然な数字だろう。
そもそも、文字を目で追うのは疲れる。
オーディオブックは実に楽なのだ。
「読む」モードではなく「聴く」モードは、脳的に違う
そもそも、私たち人類は物語を聴いてきたわけだし。
むしろ文字を読むのは、人間的に不自然な行為とすら言えるかもしれない。
不自然だからこそ、人間の自然的なものに抗うことができる、という見方
不自然=悪ではないし、もちろん=善でもない
WorkFlowyにメモ書きしていたときよりも、あきらかに文章量が増えている。
わりと面白い変化だ。
情報整理、特にアイデアを扱うときの情報整理においてのカテゴリは、自分の頭の中にそういう項目があるよね、という確認として役に立つ。
一方で、それぞれのアイデアをそうしたカテゴリに「割り当てる」ということになるとちょっと違うのではないか
倉下は、本の原稿を書くときに、アウトラインを立てて、それを横目で見ながら書くことが多いが(つまり、原稿とアウトラインが分離されている)、アイデアのカテゴリもそれと同じではないか。 カテゴリはリスト的に確認できればよく、それを直接的な分類にするのは違っている気がする
いわば、ラベル(タグ)として使う
であれば、アイデアは単に乱雑に並んでいたらいいかというと、そういうわけではないだろう。
何かしらまとめる「軸」がいる
たぶんそれが「思考のアウトライン」なのだろうけども、その実体はまだ見えてこない。
自分が考えていることの傾向を知りたい、という気持ちがあり、それがカテゴリを要請する
その気持ちは容易に「すべてを網羅するTOC」への欲求に接続していく
あとで聴こう
今野さんが例に挙げてくださった「taking seriously©リチャード・ローティ」という表記は、『脳がわかれば心がわかるか』(太田出版、2016)の共著者である、吉川浩満くんが好んで使うものなのでした。「これは私たちが考えた表現ではなくて、借り物ですよ」ということを、わざわざ文献のページ数を記すまでもないものの、その表現の考案者に対する敬意とともに示しておきたい、という場合に使ったりします。そこはかとないユーモアも漂うようで、私も気に入っています。
索引と検索は別の働きをするもの
他方で、検索にはちょっとした(あるいは大いなる)限界もあります。そもそも電子化されていない本は検索できないという前提があるのはともかくとして、電子テキストがある場合でも、検索する人が思い浮かべられる言葉しか検索できません。例えば、先ほどの例のように、ニーチェの本に対して「数学」という言葉で検索してみようと思いつくかどうかは、人によります。それはそういうものだし、それでいいのではないか、という考え方もあると思います。私としては、索引と検索は別の働きをするものなので、使い分ければよいと考えています。
たとえば、生成AIはこの限界を超えうるか
紙の本の索引には、自分で項目を付け足すことができる
epubの電子書籍は無理。PDFですら難しい(ファイルを作り直せば可能だろうけども)
素のテキスト、あるいはHTMLファイルならば可能。
ということは、mdファイルでも可能ということ。
索引とは、いうなればその本の成分表示のようなもの
索引とは、いうなればその本の成分表示のようなものですね。食料品のパッケージに栄養素などが記されているあの表記と同じように、なにからできているかを示すわけです。これは半ば、読者のみなさんに向けての説明になりますが、特に学術書やそれに類する本の場合、書き手がどんな概念や文献や他の書き手の議論を参照しているのかは、それ自体重要な意味をもつものです。
電子テキストの索引をつくるときに満たしたい条件 by 山本貴光
本の索引を使いながら、ときどき電子テキストの索引を自分なりに設計するとしたら、どんなふうにするかと考えることがあります。満たしたい条件を整理すると、こんな具合です。
❶ 本の構成要素を提示する。
❷ 眺めて楽しく発見を促す。
❸ 検索語を五十音順などで探しやすく配置する。
❹ ❸に加えて、検索語同士の関係を表示できる。
❺ 索引と対応する本文を並べて閲覧できる。
❻ 利用者が検索語を追加したり、書き込んだりできる。
六つ並べてみました。ほとんどの条件は、難なく実現できるものです。ただし、❹だけはちょっと性質が違うかもしれません。というのも、検索語同士の関係を示すためには、言葉と言葉のあいだの関係をなんらかの基準で設定する必要があるわけですが、その設定の仕方は、作り手のものの見方次第でいろいろありうるからです。
例えば、ピーター・マーク・ロジェによる『ロジェ類語辞典(Roget’s Thesaurus of English Words and Phrases)』(初版、1852)では、アルファベット順ではなく、独自の分類に従って言葉を配列していました。インターネットで公開されている第2版(1853)を見ると、はじめに分類表が載っています。大きくは「抽象的な関係」「空間」「物質」「知性」「意志」「感情」という六つのクラスに区別されている。各クラスはさらに複数のセクションに区別されています。例えば、「抽象的な関係」であれば、「存在」「関係」「質」「秩序」「数」「時間」「変化」「因果」という具合です。
しかし、1852年にピーター・マーク・ロジェイが最初にこの本を出した時、シーソーラスは単なる「類語辞典」ではなく、英語の単語やフレーズの分類展望図だった。類語、そして、反対語のレイアウトが絶妙で、単に「引く辞書」でも「読む辞書」でもなく「眺める辞書」でもあったのだ。
https://gyazo.com/49770700d3d2ccd10087f6f5854e187a
https://gyazo.com/3c167fd4a9b6764c3a0635befe221eb1
https://gyazo.com/30025e8f9f0b9280109077add415c6cc
Workflowy
https://gyazo.com/b19c9c7845de7fa565c9e4d61df390e4
今回の建築のポイントは、一見仕切り用項目に見える------Thinking Note------が実は中身を持っている、という点。
https://gyazo.com/9518ac7c3cdf43f7dd989d4ddb7441d8
隠された収納、っぽい感じ。
項目の記法をかえることで、特別ではない感を出す
あえて統一しない
考え事の種別
一口に「考え事」といってもその内実にはいくつかのバリエーションが想定できる
継続的に考え続けること(→テーマ化)
一度の決断を必要とすること
一度の検討(ブレスト)を必要とすること
「いかにして僕たちはこの生きづらい社会を生き抜いていくのか」というような非常に大きいテーマもあれば、次号のかーそるのタイトルをどうするのかというテーマもある。
でもって、それらはバラバラに存在しているわけではない。
強調して言えば、大きいテーマに紐付いた形で、それぞれの小さいテーマがある(あるいは、あって欲しい)
日常的な知的生産活動が、大きいテーマと関係していたら嬉しい、ということ。
ということは、直接的につながっているわけではないということでもある。
間接的な関係。
直接的な関係は、支配的な関係になりがち
「考え事」と「プロジェクト」をどう区別するか
基本的に全部Cosenseでいいけども「 project-TH:第四章アウトライン検討」のようなものはWorkFlowyでやりたい
あと、とりあえず複数の項目だけあって、でもその項目を取りまとめるタイトルが思いついていない、みたいな状態はWorkFlowyの方が扱いやすい
紅茶にレモン果汁を入れて飲む
普段紅茶はストレートで飲むのだけども、料理用にレモン果汁の瓶を買ってきたので、それを入れてみる
薄い。
分量が難しい。
酸っぱい。
入れ過ぎた。
一緒に砂糖も入れないと。
複数の大きなテーマがあり、その中に多数の中項目があるが、それらすべてを毎日ケアすることはできない
忘れなければいい?
Cosenseのフィードを自分でつくる
情報整理において、仕事とプライベートという切り分けはわかりやすいものだが、その対象(情報)についてどんな知的操作を行おうとしているよかの違いに注目するわけ方もありうる。
「ファイル」と「フォルダ」というメタファーは、情報を保管的に整理するものとして有効
それ以外は?
アイデアメモを溜め込む場所は、放置されがち
庭になる敷地だけ押さえて、あとは拾った種を適当に撒いて、そのまま放置、という状況。いっそ袋のまま放置している感じすらある。
庭として機能していない
庭は、物理的な場所である以上にそのように維持されているもの。
ホームと同じ
重要なのは手を入れることで、いつどんなタイミング()トリガーでそれをおこなうか
たぶん、「すぐやる人にゆっくりなる」という姿勢のノウハウが必要。
ゆずとバックナンバーのアルバムを後で調べる
いきものがかり、back number、SEKAI NO OWARI、とのコラボ曲が収録されている
情報化の夢をみる、を後で調べる
『社会は情報化の夢を見る---[新世紀版]ノイマンの夢・近代の欲望 (河出文庫)』
Workflowyとここへのメモの大きな違いは、空改行の有無
改行が入っているとカード感が出てくる
であれば、テーマ・アウトラインも同じようにする?
https://gyazo.com/fa533f6b183873d0d50f46a0c655562b
こうやってひろげるなら、ボーダーの下線はいらないかも
https://gyazo.com/a169f6cf9fa0b295cbcf5e55cc315458
こっちの方がいいかな。
そもそも、この項目をWorkFlowyに置いておくのか問題はあるにせよ。
「いかにして僕たちはこの生きづらい社会を生き抜いていくのか」と「文学・作品・批評」という項目の違いはなんだろうか。
片方は自分の問題意識で、もう片方は情報整理のためのカテゴリだ
それはわかるとして、その二つがどう違うのか。情報整理・知的処理においていかなる差異を持っているのか
Thining note とテーマアウトライン、後者の方が「深い」「より大きい」思考を扱うとして、じゃあそれをどう区別するのか。日常的な操作でどんな違いがでるのか。そこがはっきりしていない。
毎日開いて、どこかのテーマの項目を空けて、その中身を整備していくというルーティーンを確立すればいいのだろうか。
どんどん、どんどん肥大化していく項目を保存するのがWorkFlowyの役割と言えるだろうか。
もちろん保存しても悪いわけではないけれども。
言い換えれば「テーマ:アウトライン」という項目をつくったとして、それにたいしてどうアクションしていいのかというスキームが存在していない
タスクリストなら、実行し、チェックしていくというスキームがある
それは形状と呼びかたから自然に想起される
そういうものが「テーマ・アウトライン」ではまだ確立されていない。
そこに戸惑いが生まれてしまう。
「生きることについてどう考えるのか?」と「いかにして僕たちはこの生きづらい社会を生き抜いていくのか?」は重なる部分はあるが、問いの輪郭線はけっこう異なっている。
後者の方がより、具体的・実践的な印象がある。
大きなテーマと小さな思いつきをどう接続するのか、という問題について今考えていると言えると思う。
断片からの創造
そもそもその二つは直接接合しない。なにか「あいだ」が必要
カード的ではなく、見出しと文章に直す?
話の流れを模索する?
ここで、「問い」はどのような機能を発揮しているか?
制御なのか、それともシンボルなのか。
「アウトライン」なんだから、何かしらの流れが想定されていい。
そうでないならCosenseでいいわけで。
Cosenseでは、脱文脈的に書くわけだから、WorkFlowyはもっと文脈的に書けばいい?
最上位項目よりも、その中身に空改行が入れてあると、カード感があってよい。
https://gyazo.com/c150ff1611b898998f337deb0b657ced
図書館に行ってきた
転スラ3と4巻
二週間あれば、二冊は読めるというペース配分がわかってきた
『メインテーマは殺人』
Audibleで聴いたアンソニー・ホロヴィッツのシリーズ。
せっかくなので図書館で借りた
これやこの 行くも帰るも 別れては 知るも知らぬも 逢坂(あふさか)の関
蝉丸
読むも読まぬも、まで思いついてあとは知らない
読むも読まぬも 主の責任
あるとき急に腑に落ちる、という感覚がある。
最初きいたときはふ〜んそんなものか、という感じ
で、時間が経ってから、「あっ、そういうことか」と理解する
この時差にある腑に落ちは、わりと深い理解につながっている気がする(気がするだけかもしれない)
思考のアウトライン
日々・着想のアウトライン
展望・計画のアウトライン
思索・思想のアウトライン
指針・信念のアウトライン
https://gyazo.com/1b02e01ee5059e7022eb58521cc25e7c
ネットワーク型配置では済まず、ある並びにおきたいものはここに並べる?
Archiveも別にいらない気がしてきた
https://gyazo.com/1bddef6e113393d7187c2be33e0aec43
Archiveも消した
古いやつは、2023年ノート、みたいなものを「日々」の中につくってそこに移動した。
たぶんどんどん消していくことになると思う。
もっとスリムに、シャープに使えるようにしたい
肥え太らせていくのは、Cosenseでいい
あるいはKnowledge Walkersのサイト。
4つの柱(アウトライン)
それぞれの中身の構成は異なっている。
それまでとの最大の違いは「公開」していることです。Cosenseは公開か非公開かしか選べないため、公開するならすべてのページが公開されます。その結果、非公開のときよりも他人も見るかもしれないことを意識して書くことが増えました。おそらくそれによって書き方が変化し、楽しさが生まれているのだと思います。ここら辺の気持ちをうまく表現できないのですが、公開していることとCosenseの書きやすさが掛け合わさって楽しさに繋がっているのだと思います。
先日、京都でのブックカタリストの語り方というイベントに参加した際、そこで倉下さんが「SNS(Web)に良いリンクを植林する」という話をしていました。公開Cosenseでやっていることはこれに近いかもしれません。世界を良くする取り組みというほどではありませんが、誰かの役に立つかもしれない情報を残しておく、そんなつもりでやっています。