結論偏重かどうか
速度と賢さのバランスを取ると今んとこOpus 4.5がスイートスポットって結論。GPT 5.2は賢いが毎回待ってらんないしね。
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結局んとこClaude CodeやAmazon KIROやらSpec KitがほぼClaude を意識して作られてる(ように見える)のでこれでいいんじゃねという結論。
F1カーで買い物行かねえだろ?
スイートスポット:最適点、最もバランスがいい
職業エンジニアが日々の業務でAIエージェントを取り入れる際には速度が重要視される
扱うデータ量が莫大
不要な手作業を減らす余地がある
コードも、データベースも、入出力ともにテキスト情報である
人間が数多くのタスクをこなす中でAIを取り入れている
作業に連続性がある
過程の信頼性が重要で、そこに速度も絡む
定時、納期もある
速度と賢さのバランス
途中経過としての生成行為をタスク完了につなげる
過程を飛ばす
連続性が薄まる
タスクも「完成」の1つしかない
秒単位で完成品が出てくる世界では時間感覚が問題にならなくなる
出力に2、3分でも、完成するのだから待てばいい、となる
「賢さのバランス」が考慮不要だからなのでは
大規模データセットを駆使しても、未だに賢さが描画に表れていない?
「完成品が出てくる」を繰り返すのは、過程ではなく使い捨て mk.iconの価値観と異なる
生成技術によって「描く」という語の範囲が拡張されたとは思っている
従来の「描く」に関心を向ける人がもともと少なかった
プロンプトから画像を出すのは、単純に紙や絵具、ペンタブの取り回しと異なる 上下関係ではなく、横に並んだ別々の選択肢
アナログとデジタルも同様
mk.iconだけでなく、このあたりの差異に敏感な人が作る側に回る印象が強い
他人が作ったもので満足しきっていないはず
それが前提ならAIとの食い合わせに懸念が出るのも道理
イラスト=結論偏重な領域になりやすいと認識できるか 結論偏重でない種類の絵描きは、エンジニア&AIエージェントと同じように、絵&AI生成の関係性を精査できると思うが、AIという語を口にするのも用心が必要な現状がそれを困難にする
アニメーターの人が「AIを取り入れることで作画の安定が期待できるが、それは同時に画風が固定されるということでもある」というような所感を述べていた
この人も、現場目線での恩恵、影響、落としどころに興味関心がある
これくらいの話を普通にしてもかまわない状況が、mk.iconの考えるちょうどよさ
正直、「生成イラストとその周辺」自体が特定の領域に集中していると思う
そこに疑問を持てるか
クラスタの精神性が問題になる
「F1カーで買い物行く」を面白がる層は、あなたの制作、あなたが描く人生に必要なのか