制作と主体性
このところ『創るためのAI』の続編に取り組んでいるのですが、AIのテキスト生成を使わないで書いてるというと驚かれたりもします。本を書くのが好きだから書いているのであって、こんな(面倒だけど)楽しい作業をなんで手放さないといけないのかと逆に聞きたい。
もしくは以前からそうだった
Claude Codeでコードを書くことが増え、生産性は上がったけど自分で作ったという手触りや手応えを感じられないのが辛い。モデル性能の向上とは別軸で、ちょうどいいコンヴィヴィアルなツールを志向する視点もほしい。
創造性にとっての“自転車”のような存在にはまだ程遠いと感じてしまう。
AIツール全般に言えることだけど、
人間の能力を拡張する
しかし主体性を奪わない
ブラックボックス化しすぎない
使うほど身体化される
自転車のようなツールがもっともっと出てきてほしい。