アーレント
高名な社会学者のピーター・バーガーは『ニューヨークタイムズ・ブックレヴュー』に書いたアレントについてエッセイに、「ア・ウーマン・オブ・ディス・センチュリー」というタイトルが付け(The New York Times Book Review, April 25, 1982)、次のように述べている アレントの時代認識は不完全なものかもしれない。しかし、彼女が時代そのものと苦闘し、また勇気と誠実さをもって、この苦闘を洞察へと変容させようとしたことは確かである。この意味において、少なくとも、ハンナ・アレントは範例的な人物である
父パウルは技師で母マルタとともに社会民主主義者で、マルタはのちにハンナ自身が、人物評伝集『暗い時代の人々』の一章を捧げることとなるローザ・ルクセンブルクの崇拝者であった。
14歳にしてすでにカントやヤスパースの著作を読み、17歳の時にキルケゴールに出会い、このことから大学では哲学と神学を専攻しようと決意し、マールブルク、フライブルク、ハイデルベルクの各大学で学んだ後、博士論文ではアウグスティヌスの愛の概念を取り上げた。当時のこれらの大学で彼女は、神学のブルトマン、哲学のフッサールなどの人々ともめぐり逢っているが、なによりも決定的であったのは、のちに教師と学生という関係を超え恋人となったマールブルクでのマルティン・ハイデガー、そして、ハイデルベルクでの カール・ヤスパースとの出会いであった。時を同じくしてハイデガーの弟子となる同級生のハンス・ヨナスは生涯の友となる。
また亡命時のパリでは、第二次世界大戦後に活躍するフランスの知識人たち、アレクサンドル・コジェーヴ、レイモン・アロン、ジャンポール・サルトル、アルベール・カミュといった人々とも、アレントは接触している。とりわけ彼女は、カミュの才能と人柄を大変高く評価している(第二次世界大戦後、彼女はカミュを「今のフランスで最良の人物」と評している)。こうしたパリでの知識人との交遊の中で、彼女にとって最も重要なのは、ヴァルター・ベンヤミンとの出会いであった。ベンヤミンはギュンターの遠い従兄弟であり、アレントは彼と彼の能力・才能を愛し、崇拝していたようである。周知のようにベンヤミンはフランス降伏後、再亡命の途上で自殺するが、その際、彼は遺稿となった「歴史哲学テーゼ」などの原稿を、アレントに託していたという。後年、アレントはベンヤミンの英語版著作集を編纂し、そこに彼の追憶を見事に昇華した序文をよせている(『暗い時代の人々』に収録)。
ハンナ・アレントの葬儀は、一九七五年十二月八日、ハインリッヒの葬儀同様、ニューヨークのリバーサイド・メモリアル教会で「友人たちによる追想の儀式」としてとりおこなわれた。ハンス・ヨナス、メアリー・マッカーシー、ジェローム・コーン(ニュースクールでのアレントの最後の助手)、ウイリアム・ジャヴァノヴィッチ(アレントのいくつかの著書の出版人)らがその友人たちの代表であった。その葬儀では、親族・友人たちが議論した末、旧約聖書の「詩篇」がまずヘブライ語で、ついで英語で読みあげられたという。
カール・ヤスパースは、この本の初版に寄せた序文の中で、読者にたいして、まず第三部から読み出すべしというアドバイスを書いている。
https://scrapbox.io/files/6a461c8c0c5d66663922f643.png
第五章 活動
エピグラフ
どんな悲しみでも、それを物語に変えるか、それについて物語れば、堪えられる。
どんな活動においても、行為者がまず最初に意図することは、自分の姿を明らかにすることである。これは止むを得ず活動する場合でも、自分の意志から進んで活動する場合でも同じである。どんな行為者でも、行為している限り、その行為に喜びを感じるのはそのためである。というのも、存在するものは、すべて、あるがままの自分を望むからである。さらに、活動においては、行為者であることはいくらか拡張されるから、喜びは必然的にそれに従う・•・・だから、活動が隠された自己を明らかにしないなら、いかなるものも活動しないだろう。
24 言論と行動における行為者の暴露
第一にアーレントは人間に内在する同一性と差異性についてを扱う。これこそが人間本性の根源的な条件であるのだ。
多種多様な人びとがいるという人間の多数性は、活動と言論がともに成り立つ基本的条件であるが、平等と差異という二重の性格をもっている。もし人間が互いに等しいものでなければ、お互い同士を理解できず、自分たちよりも以前にこの世界に生まれた人たちを理解できない。そのうえ未来のために計画したり、自分たちよりも後にやってくるはずの人たちの欲求を予見したりすることもできないだろう。しかし他方、もし各人が、現在、過去、未来の人びとと互いに異なっていなければ、自分たちを理解させようとして言論を用いたり、活動したりする必要はないだろう。なぜならその場合には、万人に同一の直接的な欲求と欲望を伝達するサインと音がありさえすれば、それで十分だからである。
すなわち、同一性の和を乱す差異を調停するものとして、「自分たちを理解させようとして言論を用いたり、活動したりする」のだ。したがって、言論や活動を通して差異性、言い換えるならば自己という他者に対する独自性や唯一性を明らかにするのであり、「言葉と行為によって私たちは自分自身を人間世界の中に挿入する」のだ。 言論と活動は、このユニークな差異性を明らかにする。そして、人間は、言論と活動を通じて、単に互いに「異なるもの」という次元を超えて抜きん出ようとする。つまり言論と活動は、人間が、物理的な対象としてではなく、人間として、相互に現われる様式である。(...)この言論と活動の暴露的特質は、人びとが他人の犠牲になったり、他人に敵意をもったりする場合ではなく、他人とともにある場合、つまり純粋に人間的共同性におかれている場合、前面に出てくる。人が行為と言葉において自分自身を暴露するとき、その人はどんな正体を明らかにしているのか自分でもわからないけれども、ともかく暴露の危険を自ら進んで犯していることはまちがいない。
言論と活動とは人間的共同体のなかで他者という差異に直面したとき、それを暴露する行為であるからして、このことは善人にも悪人にも不可能であるとする。なぜならば、同一性のなかでその平穏に資するならば、正しきは沈黙であり、「万人の身代わり」として差異を内側に閉じこめることである。しかし、言論と活動とは暴露によって、特定の世界に自己という差異を持ちこむ行為であり、ここには「暴露の危険を自ら進んで犯していること」が不可分なのである。ゆえに「それを隠すことができるのは、完全な沈黙と完全な消極性だけである」。
このようなことは、善行の人にはできないことである。なぜなら、善行の人は自己自身を無にし、完全に匿名でいなければならないからである。また、自分自身を他人から隠さなければならぬ犯罪者にもできないことである。善行の人といい、犯罪者といい、いずれも孤独な人であり、一方は万人の身代りとなっており、他方は万人に敵対している。したがって、彼らは人間的交りの境界線の外部に留まっており、政治的には、普通、腐敗、解体、政治的破局の時代に歴史の舞台に登場する極限的な人物である。
よって、−続く節を先んじて紹介するが−「暴露の危険を自ら進んで犯していること」をアーレントは勇気と呼ぶ。しかし、同時にそれは何も「英雄的な特質をもつ必要はない」。トロイ戦争に参加した自由人すべてにヒーローという名前が与えられたという起源から、アーレントはその勇気は誰しもが持ちうる非特権的なものであるとし、「私的な隠れ場所を去って、自分がだれであるかを示し、自分自身を暴露し、身を曝す」、すなわち公的な空間で自らを示し、世界に自己を挿入することこそを勇気と呼ぶのだ。そしてこの意味での勇気なくして、人間諸関係のなかに自らを示す勇気なくして、言論と活動は不可能であるというのだ。
物語が暴露する主人公は必ずしも英雄的な特質をもつ必要はない。「ヒーロー」という言葉の起源はホメロスにあり、それは、もともと、トロイ戦争に参加し、物語の対象となった自由人一人一人に与えられた名称にすぎない。実際、今日、英雄に欠くことのできない特質と考えられている勇気という意味は、ともかく自ら進んで活動し、語り、自身を世界の中に挿入し、自分の物語を始めるという自発性の中に、すでに現われている。そして、この勇気は、必ずしも、結果を自ら進んで引き受けるという自発性と結びついているものではないし、それが不可欠なものでさえない。自分の私的な隠れ場所を去って、自分がだれであるかを示し、自分自身を暴露し、身を曝す。勇気は、いや大胆ささえ、このような行為の中にすでに現われているのである。この本来の意味の勇気がなかったら、活動と言論は不可能であり、したがってギリシア人の理論からいえば、自由も、まったく不可能であろう。だから、たまたま「主人公」が臆病者であったとしても、この本来の意味の勇気は同じ程度であり、いやむしろ、それだけいっそう大きなものでさえあろう。
公的領域に自らを暴くことのできない臆病者や、善人を望み沈黙を選ぶことは死を選ぶことと同義である。なぜなら、そこに主体はなく、存在するのは役割のみであり、その場合言葉とは単に「伝達と情報の手段」にすぎない。共同体に差異としての自己を挿入するのではなく、機能としての人間を導入することにおいて、それは誰でも良いのであり、いわばロボットでも良いのであり、言論は効率化された記号に置き換えられ、暴力を振りかざすことが至上の行為執行手段となるだろう。
言論なき生活、活動なき生活というのは世界から見れば文字通り死んでいる。ついでにいえば、このような生活こそ、聖書が説いている生活であり、現われや虚栄をすべて進んで断念している唯一の生活様式なのである。──ともあれ、このような生活は、もはや人びとの間で営まれるものではないから、人間の生活ではない。(...)もっとも、多くの活動──ほとんどの活動、といってもよいが──は言論の様式で行なわれるけれども。ともあれ、言論を伴わない活動は、その暴露的性格を失うだけではない。同じように、それは、いわばその主語を失う。人間に理解できない事柄を達成するのは、活動する人間ではなく、作業をするロボットだからである。言論なき活動がもはや活動ではないというのは、そこにはもはや活動者がいないからである。活動者すなわち行為者は、彼が同時に言葉の話し手である場合にのみ可能なのである。彼が始める活動は、言葉によってこそ、人間に理解できるように暴露される。たしかに彼の行為は、言葉を伴わなくても、その獣的な肉体の外形から理解されるだろう。しかし、その行為を意味のあるものにするのは、ただ語られる言葉だけである。なぜなら、この言葉によって、行為者は、自分を活動者として認め、自分がなにをするか、なにをしたか、なにをするつもりであるかということを知らせるからである。そのほかの人間の行為は、活動の場合ほど言論を必要としない。活動以外では、言論は、伝達の手段としてか、あるいは無言でもできるある事柄の単なる付属物としてか、いずれにしても副次的な役割しか果たさないからである。たしかに言論は、伝達と情報の手段として極めて有益である。しかし、伝達と情報の手段としてならば、言論を記号言語に置き代えることもできる。しかもその場合、記号言語の方が、数学やその他の科学教育やある形式の共同作業などの場合に見られるように、一定の意味を伝えるのにはるかに有益であり、便利であろう。またたとえば、活動する人間の能力、とくに協調して活動する能力が自己防衛や利益の追求のような目的に有益であることもたしかである。しかし、ここで問題になっているのは、ただ単に活動を目的のための手段として用いることにすぎない。だから、それと同じ目的を達成するには、むしろ無言の暴力の方がはるかに簡単であることは明らかである。したがって、言論を純粋に有用性の観点から見れば、それは記号言語の不便な代替物であるように見えるし、同じように活動は、暴力の必ずしも効率的でない代替物のように見えるだろう。
ここでアーレントが導入するのがWhoとWhatであり、次節ではそれをソクラテスとプラトン/アリストテレスを対置して紹介しており、先んじて紹介することとしたい。三者とも著名な哲学者として知られており、後者は膨大な著作を記した。しかしながら、多くに知られているはソクラテスである。勿論以下の理由だけに限定されることではないが、その一つとして後者の主題はWhatであり、すなわち理論的に何を提唱し、議論したかが重要視されており、ソクラテスはWho、すなわち誰であるかが重要視されている。いわば、人称性の有無こそがその名声に寄与しているのであり、ここに主体の概念が存在するのだ。極端なことを論じるならば、プラトンとアリストテレスの重要性をWhatと認識する以上、その時代において同一の活動を行なったのであれば、彼らの理論がプラトン/アリストテレスによるものであるかはどうでも良いのだ。これもまた次節にて論じられていることであるが「その人が「だれ」(who)であるか述べようとする途端、私たちは語彙そのものによって、彼が「なに」(what)であるかを述べる方向に迷いこんでしまうのである」。
この物語が暴露する「ある人」だけが主人公である。そして、他人と異なる唯一の「正体」は、もともとは触知できないものであるが、活動と言論を通じてそれを事後的に触知できるものにすることができる唯一の媒体、それが真の物語なのである。その人がだれ(who)であり、だれであったかということがわかるのは、ただその人自身が主人公である物語──いいかえればその人の伝記──を知る場合だけである。その人について知られるその他のことは、すべて、その人がなに(what)であり、なにであったかということを語るにすぎない。これはその人が生産し、後に残したかもしれないような作品を含めてである。たとえば、たしかにソクラテスは、一行も書かず、一つの作品も残さなかった。だから、ソクラテスについては、プラトンやアリストテレスよりも知られていることは少ない。にもかかわらず、私たちは、彼がだれであったかということについては、プラトンやアリストテレス以上によく知っており、しかも、もっと親しく知っている。それは、なるほど、アリストテレスの意見についてははるかによく知られているが、そのアリストテレスがだれであったかが知られている以上にソクラテスの物語の方が知られているからである。
このことは哲学と科学、あるいは人文学と諸科学における志向性の相違においても同様のことが言えるのかもしれない。勿論グラデーションはあるが、科学においてはWhatが優位であるのに対し、哲学においてはWhoが優位である。また、哲学においても文献学的なアプローチや、スペシフィックな研究になればなるほど、Whatが重要になる傾向がある。したがって、現にWhatが重要視される領域では、主体の消去や、歴史における忘却が現実化しており、他方で文学や芸術においてはWhoこそが中心であり続けている。すなわち、哲学研究というものが自らの組みする分野に対し、有用性に繋がれ、まるで仕事のように吊るされるものだとするならば、哲学者とは文脈という道具立てをもって同一性を施された歴史という巨大な共同体に、自らという差異を組み込む行為であり、思想史における偉人たちとはまさにそのようにして自らを歴史という物語に挿入しているのだ。
さらにその典型が戦争であることは語る必要もない。戦争において多様的な主体は敵と味方に二分され、単純化された同一性を規律で統制し、あらゆる活動は活動者なき活動となり、あらゆる行為は主体なき行為となる。もしかしたらここにアーレントはアイヒマンの影を見ていたのかもしれない。 行為において行為者を暴露しなければ、活動は、その特殊な性格を失い、なによりもまず功績の一形態になる。その場合、活動は、実際、製作が対象物を作る手段であるように、目的のための手段にすぎない。このことは、人間の共同性が失われ、人びとが互いに敵味方に分かれて争っているにすぎないようなとき、常に起こる。たとえば近代戦のように、人びとが敵味方に分かれ、一定の目的を達成するために活動を行ない、暴力手段を用いるような場合である。このような事例は、もちろん、これまで常にあったが、この場合、言論は、実際「単なるおしゃべり」となり、敵を欺くのに役立つか、すべての人を宣伝で眩惑するのに役立つかは別として、ともかく、単に目的に達するための一手段となる。この場合、言葉はなにも明らかにせず、暴露はただ行為そのものからやってくるだけである。そしてこの功績は、他のあらゆる功績と同じく、行為者の「正体Who」を暴露することはできず、他人と異なるこの行為者の唯一のアイデンティティを暴露することはできない。 このような場合に、活動は、単なる生産的活動力を超越する質を失っているのである。生産的活動力とは、粗末な使用対象物の製作から霊感による芸術作品の創造に至るまでいろいろあるが、いずれにせよ、完成品において現われる意味以上の意味をもたず、生産過程の終りにはっきりと見えるもの以上のものを示そうとはしない。名前のない活動、つまりそこに「正体Who」の付着していない活動は無意味である。これに反し、芸術作品は、作者の名が知れていようと知れていまいと、その重要性は保持されている。第一次大戦後の「無名戦士」の記念碑は、当時まだ存在していた栄光化への欲求を物語っている。つまり、当時は、まだ、本来ならば四年間の大量殺戮の過程で明らかにさるべきであった人びとの「正体Who」を見いだしたいという欲求があったのである。この願望が打ち砕かれ、不承不承、戦争の行為者が実際はだれでもなかったという無慈悲な事実を認めた結果、「無名の人びと」に記念碑が建てられることになったのである。結局、これらの人びとは戦争によっても名を知られることがなく、そのために、むしろ戦争によって、功績ではなく人間的尊厳を奪われたのであった。 こういうことは、〈活動的生活〉の他の活動力についてはいえない。たとえば、人間は、別に労働しなくても十分うまく生きてゆける。自分の代わりに他人に労働を強制できるからである。また人間は、自分では世界に有用なものをなに一つつけ加えないで、ただ物の世界を使用し、享受するだけにしようと決意してもいっこうに構わない。たしかに、このような搾取者や奴隷所有者の生活、寄生者の生活は、不正であろう。しかし、彼らも人間であることにまちがいない。
つまり言論と活動とは、その原理において同一性に抗う行為であり、差異ある主体を一つの同一性のなかに埋めこむ行為であり、いわば労働と仕事は同一性の従者であり、言論および言論を伴う活動とは差異性の従者なのだ。これは暗黒の中世も、全体主義の治世においても同様であり、支配と同一性、それは目的化された行為へ秩序づけられた労働と仕事であり、これらに抗うは、その穏健な同一性の拡張であれ、急進的な解放であれ、言論を伴う活動に他ならないのだ。
そしてアーレントはこのような差異から生じる多様性や複数性こそが人間、ひいては生命の原理であり、始まること、すなわち生きとし生けるものの起源である出生=誕生とはその根源的な力学として差異をもたらすものであるとするのだ。
言葉と行為によって私たちは自分自身を人間世界の中に挿入する。そしてこの挿入は、第二の誕生に似ており、そこで私たちは自分のオリジナルな肉体的外形の赤裸々な事実を確証し、それを自分に引き受ける。この挿入は、労働のように必要によって強制されたものでもなく、仕事のように有用性によって促されたものでもない。それは、私たちが仲間に加わろうと思う他人の存在によって刺激されたものである。とはいうものの、けっして他人によって条件づけられているものではない。つまり、その衝動は、私たちが生まれたときに世界の中にもちこんだ「始まり」から生じているのである。この「始まり」にたいして、私たちは自ら進んでなにか新しいことを始めることによって反応する(1)。「活動する」というのは、最も一般的には、「創始する」、「始める」という意味である。(たとえばギリシア語のarcheinというのは、「始める」、「導く」、そして最後に「支配する」という意味である。)同時に、「活動する」というのは、なにかを「動かす」という意味である(これはラテン語agereのもともとの意味である)。人間は、その誕生によって、「始まり」、新参者、創始者となるがゆえに、創始を引き受け、活動へと促される。「人間が造られたとき、それは『始まり』であり、その前にはだれもいなかった」とアウグスチヌスはその政治哲学の中でいった(2)。この「始まり」は、世界の「始まり」と同じものではない(3)。それは、「なにか」の「始まり」ではなく、「だれか」の「始まり」であり、この「だれか」その人が始める人なのである。人間の創造とともに、「始まり」の原理が世界の中にもちこまれたのである。これは、もちろん、自由の原理が創造されたのは人間が創造されたときであり、その前ではないということをいいかえたにすぎない。 すでに起こった事にたいしては期待できないようななにか新しいことが起こるというのが、「始まり」の本性である。この人を驚かす意外性という性格は、どんな「始まり」にも、どんな始源にもそなわっている。たとえば、生命が非有機体から生まれたというのは、非有機体の過程から見ると、ほとんどありえないことである。同じように地球が宇宙の過程から生じ、人間の生命が動物の生命から進化してきたということも、ほとんど奇蹟に近い。このように、新しいことは、常に統計的法則とその蓋然性の圧倒的な予想に反して起こる。ついでにいえば、このような予想というのは、日々の実際的な目的からいえば、確実性にも等しいのである。したがって、新しいことは、常に奇蹟の様相を帯びる。そこで、人間が活動する能力をもつという事実は、本来は予想できないことも、人間には期待できるということ、つまり、人間は、ほとんど不可能な事柄をなしうるということを意味する。それができるのは、やはり、人間は一人一人が唯一の存在であり、したがって、人間が一人一人誕生するごとに、なにか新しいユニークなものが世界にもちこまれるためである。この唯一の存在である人間一人一人についていえば、たしかに、それ以前にはだれもいなかったといえるだろう。「始まり」としての活動が誕生という事実に対応し、出生という人間の条件の現実化であるとするならば、言論は、差異性の事実に対応し、同等者の間にあって差異ある唯一の存在として生きる、多数性という人間の条件の現実化である。
よってこの瞬間も絶えず世界には差異がもちこまれているのであり、生命の営みとは不断に複数性を生成することであり、したがって、それらを同一性のなかに閉じこめようとする一連が失敗に終わったことはこのことから説明できることだろう。暗黒の中世も全体主義も、生命の原理に反した行いである。バトラー曰く、民主主義の普遍性とは「排除されたものの回帰によって民主主義そのものの基本的な前提が拡大され、文節化しなおされる」ことにある。ゆえにアーレントが民主主義を信じることは、民主主義が絶えずこの差異を同一性のなかに、同一的な共同体のなかに挿入することを根幹とした原理であることに求めることができるかもしれない。 25 関係の網の目と演じられる物語
このことから続いて論じられるのは、複数性と差異から生じる偶然性に他ならない。人間諸関係の網のなかでは、絶えず「始まり」があり、複数性が生じ、差異が持ちこまれる。それらは出生しかり、言論という「第二の誕生」しかり、「無数の意志と意図が葛藤を引き起こしている」。この交錯によって、活動の偶然的な総合によって生じるのが物語であり、歴史であるのだ。
問題となっているのは、活動と言論の暴露的性格であり、それがなければ、活動も言論も人間的な意味をすべて失ってしまうであろう。活動と言論は、人びとに向けられているのであるから、人びとの間で進行する。(...)私たちはこのリアリティを人間関係の「網の目」と呼び、そのなぜか触知できない質をこのような隠喩で示している。 たしかに、この網の目は、言論が存在する生きた肉体に結びつけられているのと同じように、物の客観的世界に拘束されている。しかし、その関係は、建物の有益な構造に添えられた単なる正面の関係、あるいはマルクス主義的用語を用いれば、本質的には余分な上部構造の関係ではない。政治学における唯物論には基本的な誤りがある。ついでにいえば、この場合の唯物論とは、マルクスの唯物論や近代起源の唯物論のことではなく、西洋の政治理論の歴史と同じくらい古い唯物論のことである。この意味の唯物論の基本的誤りというのは、人びとが完全に世界的な物質的目標に到達しようと専念しているときでさえ、主体としての自己、他人と異なる唯一の人格としての自己を必ず暴露するという点を見逃していることである。このような暴露なしにすますというのは、かりにそれが実際に可能だとしても、人間をなにか実際にあるものと違うものに変えるということである。他方、この暴露が現実的なものであり、それに独特の結果を生むということを否定するのは、単に非現実的であるというほかない。 厳密にいえば、人間事象の領域は、人間が共生しているところではどこにも存在している人間関係の網の目から成り立っている。言論による「正体」の暴露と活動による新しい「始まり」の開始は、常に、すでに存在している網の目の中で行なわれる。そして言論と活動の直接的な結果も、この網の目の中で感じられるのである。言論と活動はともに、新しい過程を出発させるが、その過程は、最終的には新参者のユニークな生涯の物語として現われる。しかし他方、その途中では、この過程は、新参者が接触することになるすべての人びとの生涯の物語にユニークな形で影響を与える。活動がほとんどその目的を達成しないのは、このように人間関係の網の目がすでに存在しているからであり、その網の目の中では、無数の意志と意図が葛藤を引き起こしているためである。しかし、活動だけが現実的であるこのような環境があればこそ、活動も、製作が触知できる物を生産するのと同じくらい自然に、意図のあるなしにかかわらず、物語を「生産する」ことができるのである。これらの物語は、やがて、文書や記念碑に記録されることもあろうし、使用対象物や芸術作品の形で眼に見えるようにもなり、次々と語り継がれて、いろいろな材料の中に組み込まれもしよう。
しかし、このような物語とは主体はあれど、作者は不在だとアーレントは主張する。なぜなら、一般的な「物化された」物語に対し、「まだ生きたリアリティのうちにある」物語は人間諸関係の複数的な網のなかで偶然的に生成されており、一意に定まることもなければ、特定の人間が必然性のもとに物語を操作することはできない。したがって、物語に登場人物はいれど、絶えず「始まり」が飛び交うこの世界で作者は存在し得ないのである。
しかし、これらの物語は、本来、それがまだ生きたリアリティのうちにあるときは、このような物化された形とまったく異なる性格をもっている。たしかに、その場合でも、それは、人間の手になる生産物がそれを生産した作者について語る以上のことを、物語の主体について、すなわちそれぞれの物語の中心にいる「主人公」について、語ってくれる。しかし、正しくいえば、それは生産物ではないのである。なるほど、だれでも、活動と言論を通じて自分を人間世界の中に挿入し、それによってその生涯を始める。にもかかわらず、だれ一人として、自分自身の生涯の物語の作者あるいは生産者ではない。いいかえると、活動と言論の結果である物語は、行為者を暴露するが、この行為者は作者でも生産者でもない。言論と活動を始めた人は、たしかに、言葉の二重の意味で、すなわち活動者であり受難者であるという意味で、物語の主体ではあるが、物語の作者ではない。 このように、生から死に至る個体の生命は、いずれも最終的には、「始まり」と終りをもつ物語として語ることができる。それを語ることができるということは、「始まり」も終りもない大きな物語である歴史の前政治的、前歴史的な条件である。
そのような知見に先駆的であると位置付けるはプラトンであり、「人間事象つまり活動の結果を、大真面目に扱うべきでないと考えた」のはこの偶然性に晒され、「始まり」が絶えず交錯しているからに他ならない。そこでプラトンが設置するのは神の存在であり、しかしここでいう神とは作者としてではない。アーレントが「このプラトンの神は、真の物語は、私たちが書く普通の物語と違って、作者をもたないという事実の象徴にすぎない」というように、「歴史が存在するのはたしかに人間のおかげであるのに、歴史を「作る」のは明らかに人間ではないという難問を解こうとしたのであった」。いわば、物語の登場人物は人間であり、彼らが営む「始まり」が交錯する人間諸関係の総合として歴史が浮上し、しかし、それを統合的に支配する人間など存在し得ないのだ。なぜなら歴史という物語は作者によって作られるのではなく、人類の営みによって立ち顕れるのである。 しかし、なぜ、人間生活は、それぞれ物語を語り、なぜ、歴史は、多くの活動者と言論者をその中に含み、しかも触知できる作者のいない人類の物語書となるのか。その理由は、物語と歴史がいずれも活動の結果だからである。歴史の大いなる未知は、近代の歴史哲学を悩ませてきた。それは、歴史が全体として考えられ、歴史の主体である人類というのは、結局、一つの抽象物にすぎず、活動的な行為者とはけっしてなりえないということが判ったとき現われた。しかし、それだけではない。これと同じ未知は、政治哲学が古代に始まって以来ずっとその悩みの種だったからである。このため、プラトン以来の哲学者たちは、ますます人間事象の領域にたいして軽蔑の念を深くしたのである。一連の出来事は全体としてユニークな意味をもつ物語を作り上げる。しかし、厄介なことに、この一連の出来事を相手にして、せいぜいできることは、ただこの過程全体を動きの中に投じた行為者を隔離することぐらいである。そして、この行為者は、たしかにある場合に物語の主体である「主人公」である。しかし、この「主人公」こそこの一連の出来事の最終的結果の作者であると、はっきり指摘することはおよそ不可能である。 プラトンが、人間事象つまり活動の結果を、大真面目に扱うべきでないと考えたのは、このためであった。つまり人びとの活動は、舞台の背後の見えざる手によって操られる操り人形の身振りのように見え、したがって人間は、神の一種の玩具のように思われるのである。プラトンは、近代の歴史概念となんの繫がりもなかった。だから、その彼が、活動する人びとの背後にあって糸を引き、物語に責任をもつ舞台背後の活動者という隠喩を、最初に考えついたというのは注目すべきことである。このプラトンの神は、真の物語は、私たちが書く普通の物語と違って、作者をもたないという事実の象徴にすぎない。そのようなものとしてプラトンの神は、神の摂理、「見えざる手」、自然、「世界精神」、階級的利害等々の真の先駆者なのである。実際、キリスト教の歴史哲学者や近代の歴史哲学者は、このような概念を用いて、歴史が存在するのはたしかに人間のおかげであるのに、歴史を「作る」のは明らかに人間ではないという難問を解こうとしたのであった。(実際、舞台背後の見えざる活動者という概念は、あらゆる歴史哲学に見られる。そして、これくらい、歴史の政治的性格をはっきりと示すものはほかにない。この場合、歴史というのは、傾向とか諸勢力とか観念などの物語ではなく、むしろ活動と行為の物語だからである。この理由一つとってみても、歴史哲学とは、仮面をかぶった政治哲学にほかならないと認めることができよう。同じように、アダム・スミスは交換市場における経済取引を導く「見えざる手」を必要としたが、この単純な事実は、交換には純粋に経済的な活動力以上のものが関与しており、「経済人」は、市場に姿を現わすとき活動する存在であって、単なる生産者、商人、交換者ではないということを明瞭に示しているのである。) 舞台背後の見えざる活動者というのは、難問から生まれた知的な発明ではあるが、現実の経験に少しも一致していない。そのおかげで活動の結果である物語は、虚構の物語と混同されている。虚構の物語の方では、実際に作者は糸を操り、遊びを指導しているのである。虚構の物語は作者を明らかにする。それはちょうど、すべての芸術作品がだれかによって作られたことをはっきりと示すのと同じである。このことは真実の物語の性格についてはいえず、ただそれが存在するに至るときの様式についてのみいえることである。真実の物語と虚構の物語の違いは、まさに後者が「作り上げられる」のにたいして、前者はけっして作られるのではないという点にある。私たちが生きている限り関与している真実の物語は、既に見えるか見えないかにかかわらず、いかなる作者をももっていない。なぜなら、それは作られるものではないからである。
このような偶然性の芸術としてアーレントは劇の存在を称揚する。なぜならば、他の模倣たる芸術は静的な状態で物化され、必然性の只中で停止されているのに対し、劇とは模倣でありながらも動的に我々に現前する。それは他の模倣の芸術と同じく、戯曲に記された過去を示しながらも、同時に現在性としての偶然を強くその場に反映するのである。
活動と言論の特定の内容は、その一般的な意味とともに、芸術作品の中でさまざまな形で物化されている。芸術作品は、偉業や達成を称賛し、ある異常な出来事を変形し、圧縮して、その出来事の完全な意味を伝える。しかし、行為者と言論者を顕にするという、活動と言論に特殊な暴露的特質は、活動と言論の生きた流れと解きがたく結びついているから、この生きた流れは、一種の反復である模倣によってのみ、表現され、「物化され」る。アリストテレスによれば、模倣はすべての芸術に一般的に見られるが、実際にそれがふさわしいのは、ただドラマだけである。この「ドラマ」という言葉は、ギリシア語の動詞dran「活動する」からきているが、これこそ、劇の演技が実際は活動の模倣であることを示している(11)。しかし、模倣の要素はただ俳優の演技に見られるだけではない。アリストテレスが正しく主張しているように、芝居を作り、書くことのうちにも模倣の要素がある。とはいうものの、ドラマが完全に生命を与えられるのは、やはり、それが劇場で演じられるときである。物語の筋を再演する俳優と語り手だけが、物語そのものの意味、いやむしろ、物語の中に姿を現わす「主人公」の意味を、完全に伝達することができるからである(12)。これは、ギリシア悲劇の場合でいえば、物語の方向は、物語の普遍的意味とともに、合唱隊によって明らかにされるということである。合唱隊は模倣せず(13)、その解説は純粋に詩的である。他方、物語における行為者の触知できないアイデンティティは、一般化できないものであり、物化できないものであるから、ただその活動を模倣して伝達することができるだけである。これは演劇がすぐれて政治的な芸術である理由でもある。人間生活の政治的分野を芸術に移すことのできるのは、ただ演劇だけだからである。同じ意味で、演劇の主体は、他人とさまざまな関係を取り結ぶ人間だけであり、このような芸術はただ演劇だけである。
政治的判断力と同様、美感的判断力においても何らかの決定が下される。たしかにこの決定は、つねに一定の主観性によって規定されている。しかしこの決定は同時に、世界そのものが普遍的な所与、すなわち、そこに住まう者すべてに共通のものであるという事実を拠りどころとするのである。趣味という活動様式は、この世界が、その効用とそれにわれわれが抱く重大な利害関心から切り離して、どのように見られ聞かれるべきか、人々が今後世界のうちで何を見、何を聞くかを決定するのである。
美は公的意味を帯びる、政治的判断も美的判断も主観により世界を眺め判断するという意味で客観的な与件、すなわちそこに住まう人々にとって共通のものだ。
判断力とは、特殊なもの(particulars)を一般的規則に包摂することなくして判断できる能力である。〜特殊を判断できる能力は(カントが明らかにしたように)「これは間違っている」とか「これは美しい」とか言える能力であって、思考する能力とは別物である。思考は不可視のものを扱い、目の前にないものを表現しようとする。判断はつねに特殊なもの、身近にあるものに関わる。