アンドレ・バザン
映画評論のかたわらでシネクラブを組織して旺盛な上映活動を展開し、一九五一年には伝説的な黄色い表紙の「カイエ・デュ・シネマ」誌を創刊する。寄稿者の中にはフランソワ・トリュフォー、ジャン゠リュック・ゴダール、エリック・ロメール、クロード・シャブロルら、後に映画史を一新する才能に充ち満ちた後進が巣立った バザンのリアリズム
バザン以前、とりわけ左翼系の映画理論家たちが依拠していたのはアルトーの『映画の早発性老衰』を筆頭に、一九二〇年代の無声映画時代に映画芸術は頂点に達し、その美学的な独自性、そして現実を批判する力は、トーキー化以後に失われるという歴史観だった。しかし、バザンはその主張を180度転倒させる。 もしも造形芸術に対して精神分析が行われるとしたら、屍体の防腐保存の慣習は、造形芸術の発生のための基本的な一要因とみなされるかもしれない。精神分析学者は、絵画と彫刻との起源にミイラ《コンプレックス》を見出すに違いない。
アンドレ・マルローが一九四〇年に「ヴェルブ」誌に発表した『映画の心理学素描』Esquisse d'une psychologie du cinémaの影響下で書かれ、そのマルローも参加している論文集『絵画の諸問題』において初めて発表されたこの論考において、「映像の現実性」というテーマは、まずもって「心理」すなわち精神分析の水準で検討されている。造形芸術の発端は、時間に──つまり死に抗して、姿形をそのままに保存するという「願望」にあり、写真、そして映画はその歴史の最後にやってきた完成者であると、バザンはマルローの造形芸術史観を踏襲しつつ、位置づける。そして、遠近法という人為的な手段に頼らぬ自動的な転写が決定的な役割を果たしたのだと主張する。ゆえに次のように訴える。 マイブリッジやマレーが最初の科学研究映画を作り上げた時、彼らは単に新しい映画技術を発明したばかりでなく、同時に最も純粋な映画美学をも創造したのだった。というのは、そこには、科学映画の奇跡、その汲み尽くせぬパラドックスが見出されるからである。それらの映画のように、美学的な意図を完全に追放して、実利的、功利主義的な探求を極度にまで押し進めたところに、それに加えて映画美が生まれ、それが一つの超自然的な優美さとして展開される──これが科学映画のパラドックスなのだ。 バザンにとってパンルヴェは、マイブリッジとマレーという先達の場合と同じパラドックス──科学と美の共存を自分の同時代において成しとげた作り手だったのである。
そしてまた、接眼レンズの下で、ちょうど万華鏡でも見るように、あの淡水中の微小動物たちが奇跡的にくりひろげて見せる夢幻的な舞踊を、一体どのような光学上のトリックが作り出すことができただろう? どのような天才的な振付師が、どのような錯乱した画家が、どのような詩人が、このような配列と形態とイメージを想像することができただろう? 最高の美が、同時に自然とも偶然とも──すなわち、ある種の伝統的な美学が芸術とは正反対のものと見なしているすべてのものと──一致する、その不思議な世界の扉を開ける鍵を、カメラだけが持っていたのだ。
当時のフランス映画がもつ〈暗いリアリズム(realisme noir)〉は、一種の悲観主義的ロマンティズム(un romantisme pessimiste)であって、社会的幻想を糧としたそのリアリズムは、ゾラやモーパッサンよりもジャック・プレヴェールやマッコルランに拠る。 シャルダンの影響
シャルダンは北京原人の発見者として歴史に名前を残す地理学者、考古学者であり、イエズス会の修道士として神学を学んだキリスト教思想の研究者でもある。その著作群は、動物から人間へという進化論を専門家として論じつつ、その科学的な世界像を踏まえながら宗教思想を現代的に書き換える試みとして知られ、とりわけ四〇年代と五〇年代に少なからぬ影響力を持った。
バザンとシャルダンの共通点をアンドリューは二つ挙げている。一つ目は、客観的な自然の中にこそ宗教的な啓示が見出されるというヴィジョンである。前章ではパンルヴェに対するバザンの讃辞について見たが、超越的な観念としてではなく、具体的な事物にこそ宗教的なものの現れを見る点で、シャルダンの姿勢はバザンの映画論と親和的である。また、バザンは地理学に情熱を傾けてもいた。二つ目は、新しい共同性への要求である。近代社会の行きすぎた個人主義を補完する新しい集団性の必要をシャルダンは強調し、進化論に基づいた独自の集団性の論理を練り上げた。バザンもまた現代社会における集団性の回復の問題を常に念頭に置いていた。もともと教育者としてこの社会に貢献することこそを望んでいたバザンにとって、映画は単なる審美的な対象であるだけでなく、生き生きとした社会的紐帯を再びもたらすための鍵であった。
だがこの二つ以上にバザンとシャルダンを結びつけるものは、宗教的な目的論である。やがて主著『現象としての人間』に結実することになるシャルダンの歴史観は、バザンが「完全映画の神話」で描いたそれとはっきりとした相同性を持つ。『現象としての人間』は当時の科学的知見を参照しつつ、この宇宙に知性を持った人間が誕生するに至った意味を考察する試論である。なぜこの宇宙に人間が存在するのかをシャルダンは問う。その答えは、端的に述べれば、はじめからそのように方向付けられていたからだ、というものである。 第一に、エントロピーが増大する物質の系における宇宙の進展があるが、第二に、それとはちょうど真逆に「複雑さ」を増すもう一つの系がある。原子から分子へ、原初生物から植物へ、動物から人間へと至るプロセスを観察するならば、そこには主導的な原理が働いていないとは到底考えられないとシャルダンは言う。宇宙の進化には意味=方向(sense)があり、それは人間の知性、宗教的な愛を終着点とする、というのがシャルダンの結論である。
ベルクソンが『創造的進化』で書いた生命史にはっきりと宗教的な意味付けをしたとも思えるシャルダンの論には、同じ宗教思想を共有していないものには説得的に思われない箇所が多々あるし、つねに注意深く議論をすすめるバザンがこれを鵜吞みにしたとは考えがたい。しかしシャルダンの歴史観が「完全映画の神話」とその目的論においてはっきり一致するのは事実である。はじめから実現されるのを予定されていた理念がすべてに先行する。 マルロー
まず一九世紀西欧において美術館の存在が芸術作品の意味を一変させる。一点一点の作品はその本来あった歴史・地理的文脈から抜き取られ、互いに照応可能な「芸術作品」となる。現代のアルシーヴ論あるいはデータベース論の先駆けをここに見ることもできるだろう。写真と映画という複製技術が、この脱文脈化を完成させる。強調しておきたいのは、「現実世界」とそれを「表象=再現前化représenter」する「想像的なもの」とによって、世界がいわば二重化する事態にマルローが着目している点である。世界をイメージとして写しとる「想像的なもの」あるいは「フィクション」が、「現実世界」と二重になり、そして保管される(美術館に、次に、フィルムの上に)。こうして、イメージの世界と現実世界とのある種の並行関係が成立する。
マルローが論じたのは、この両者の関係が、歴史の進展に従っていかに変容してきたかである。すなわち、ルネサンス、美術館の制度化、複製技術とりわけ映画の誕生が、現実に対するイメージの関係をどう変えたか。たえず時代や社会的条件のなかで変化する、両者の関係を議論の俎上に載せる姿勢をこそ、バザンは倣ったのだった。
サルトル
アンドリューは一九四〇年に出版されたサルトルの『想像力の問題』がバザンの「ものの見方」を決定的に変えた書物だと述べている。原題は「想像的なもの──想像力の現象学的心理学L'imaginaire: Psychologie phénoménologique de l'imagination」。 『想像力の問題』がバザンの映画論に影響を与えたのは、芸術論を存在論と結びつけた点においてであるとアンドリューは指摘する。実際、バザンが「存在論」と言うとき、それはなによりサルトルの著作を念頭に置いてのことであるだろう。ただし、ここでも強調しておきたいのは、サルトルの存在論におけるイメージが、いわゆる素朴なリアリズムにおけるそれとは全く性格を異にするものであるということである。
「想像力の現象学的心理学」の副題から明らかなように、これはなにより「想像力」をめぐる論考であり、イメージは想像力と結びついている。その思索は自らの意識作用の反省においてなされる。「想像的なもの」と「現実世界」には連続性があるのではなく、むしろ「想像力」は「現実」を否定し、「無néant」の上で作動する。サルトルの言う「想像的なもの」とは、それによって人間がこの現実世界の制約や条件を超越し、自由を実現するための足場とも言うべき領域である。