建築デザインⅡ/2022年度
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コロナ禍を経験した今、地域住民においてこれまで必要とされてきた「地域コミュニティ施設」が、「新しい日常」の中でどのようなプログラムでどのよ うに変容し、どのような空間施設の提案が必要となっているのか・・提案してもらう。各自の現在住んでいる街・地域に限定し、問題意識を鮮明にし、「小学校区レ ベル」で「住民の視点から、建築家として」 本当に必要とされる建築の提案をして欲しい。各自の現在住んでいる街・地域に限定し、問題意識を鮮明にし、「小学校区レ ベル」で「住民の視点から、建築家として」 本当に必要とされる建築の提案をして欲しい。
■提案内容
・各自の住んでいる地域の状況やコンテクストから、洞察力を持って調査分析し、その地域に必要とされる建築の「プログラ ム」を提案すること。
・「新しい日常」の中で変容する 「地域施設 (コアとなるビルデ ィングタイプは各自の調査による)」を設定しその中に「地域 住民のための建築」を計画・提案する。
※:各自の居住する地域において、社会的な問題を抽出し、その問題が建築で解決できることかどうかを考察する。・日常的な施設に着目し、そのビルディングタイプがどのように変容すべきかを地域・社会情報を集めて建築プログラムを検討する。どのようなコミュニティのあり方が必要なのか、それによって空間はどのように変わり、住民の生活は変容するのかを計画する。
現在、 前川國男設計の東京海上ビル (1974) の建て替え計画が話題となっている。 前川は、いうまでもなく日本の近代建築を牽引した建築家であるが、その設計手法や建築空間 については十分に理解および評価がされていないように思える。そこで、代表作であり大学からも近い東京文化会館 (1961) を中心に、前川建築の読解を行う。東京文化会館はJR上野駅改札口の正面に配置され上野公園のホワイエのような存在でもある。大ホール小ホール、会議室、音楽資料館、レストランなどからなる複合建築であるが、限られた敷地の中に各機能が織り込まれた構成はダイナミックでありながら、音楽鑑賞のためのホールとしてこの華やかさと落ち着きを兼ね備えた空間が実現されている。同様の機能を持つ、弘前市民会館や埼玉会館、京都会館なども対象としながら、前川建築の設計手法を分析し、その可能性について考えてみたい。後半では、そこで得られた方法を活かして、各自で設計を行う。
下田市立図書館は、老朽化が著しく耐震性も劣ることから、図書館の再整備が検討されている。 この課題では、山中研究室の委託研究に関連して下田市市民が自分たちの暮らしの中に新しい図書館をイメージし、計画の方向性を検討する基礎的な資料を作成することを目的に、(1)市民ワークショップの実施と(2)空間イメージの作成、を行う。
(1)市民ワークショップの実施(第1フェーズ)
生活の中での本のあり方や図書館の使われ方、具体的な図書館の利用シーンなどの「WS 素材」を構想し、それを元に小学生、中学生、高校生、一般 (世代の異なる参加者を募る)が自分達の生活の中での本のあり方や図書館の使われ方、具体的な図書館の利用シーンまでを語り合い、市民の意見やイメージをまとめる。
(2)空間イメージ作成(第2フェーズ)
下田市との協議によって選定された複数の建設候補地を対象に、図書館建設上のメリットやデメリットを建築計画 地域デザインの観点から分析し、 市民ワ ークショップでの市民の意見などを参照しながら、空間イメージを作成する。配置図、平面図、 断面図、模型または立体表現によって、それぞれの立地条件や計画条件の特長を生かした提案を行う。
■課題の位置づけ
古澤スタジオの通底するテーマは「建築の両義性」です。今年度は「存在」を切り口に両義性を考察します。各年度におけるキーワードの関係は以下のようになっています。2020年度「タイポロジカルな図形」→地と図の反転、内部と外部が拮抗した両義的状態。2021年度「エスクという形容詞」→○○風の○○であって○○ではない両義的状態。2022年度「潜在という存在形式」→潜在と顕在、暗黙知と形式知が同居した両義的状態。 また、もう一つの通底する具体的なテーマは「手を動かす」ことです。頭で熟考するのではなく、直接的に手を連動させ、思い切って造形するトレーニングを意図しています。
■課題の背景
今私たちを取り巻く社会は、道徳的に正しいとされる世論の声に同調しなければならない空気が漂っています。その声に同調できない者は排除されるような世界になりつつあります。本来あらゆる事物は両義的性質を持っているにもかかわらず、ある特定の「分かりやすい」概念へと同一化させようとする不寛容な状況になりつつあります。こうした状況の中だからこそ、明瞭さへ同一化させようとする理性的な声への抵抗、あるいは非同一性への離脱が必要だと考えます。
■<暗黙>とは?
視覚中心主義や音声中心主義への批判は、芸術や哲学における創作の動機と同義です。目の前にある分かりやすい対象物(像や声)を疑うことこそが創作の原点のはずです。かつてマイケル・ポランニーは、人間には言語化できない潜在した知=暗黙知こそが創造性を溢れさせる源泉であることを指摘し、客観的で分かりやすい共有可能な知=形式知を優先しようとする社会を批判しました。こうした潜在的なるものへの探求は、ジル・ドゥルーズやアリストテレスにおける「潜勢態」や「可能態」への眼差しと符合します。 本課題では 〈暗黙〉 を、潜在しながら存在している状態と位置づけ考察を行なっていきます。物体における質量のように目に見えないけど確実に存在しているもの。あるいは、物体の体積が水中で変換される浮力のようなもの。こうした事物に潜みながら存在している「潜在体」を、建築として立ち現すことを試みます。