名付けで生じる認識と名付け直しの困難性
アウトラインの元
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名前をつける時に生じる認識(※自分の実感)
1. 名付けたものは「扱える対象」である
名付けた瞬間に「手に負えないもの」という印象は薄れる
神でさえ「神」と呼べるがゆえに(信仰によるストッパーがなければ)「扱えるもの」になりうる
2. そして「扱わなければならない対象」である
名付けによってそこに「存在」することになった以上は、それについて論じなければ気が済まないのが人間 「それは何か?」を問い続ける
3. しかも「その名前によって区切ることが可能なものとして扱える対象」である
名前の持つ「範囲」が、そこで区切ることの正当性を保証しているかのように思わせる
例えば「男」「女」は区切りとして正確か?
これらの認識に対して疑問がある
真っ当な判断であるか検証し続けなければならないと思う
偏見は名付けのもとに生まれる
名付け直しは可能か
名付けの検証とは
とりあえず扱ってみるために名前をつけ、その名付けが合っていたかを検証し、適切でなければ名付け直す、というプロセス
それは可能か
一人の中だけなら可能
しかしその名前を二人以上が使いだしたらもう「名付け直す」のは困難なものになる
伝播の力は制御できない
各々の背景に基づいて名前を思い思いに使うことになる