サバイバル精神のスイッチを入れずに生きるのは多分苦しい、
関連
🤔
サバイバル精神というか、サバイバル状態というか
持っているものを工夫して生き延びるということ
生を求めてガツガツするという意味ではなく
「極限状態」とか「自分を追い込む」とか「背水の陣」とか「リスクを取る」とかそういう話ではないということです
自分の持ち物はこれこれである、そして今いる場所はこのようである、じゃあ持ってるこれをこう使ってみるかーという気持ちを抱けるかどうか
絶対生き延びてやるという強い意志は必要なくて(あるならあっても良くて)、死ぬときゃ死ぬよねという諦めとともにあっても良い
ハンマーが無い時に、ハンマーを必死で探していると、モンキーレンチで叩けばいいやとは思えないかもしれない
(モンキーレンチがあるのにハンマーはないんかい、というツッコミはなし)(そういうこともある)
(あと実生活ではちゃんとハンマーを用意して叩くべきですよ、壊れたり滑ったりして危ないので)
「モンキーレンチで叩けばいいや」と思った時、なんか嬉しい感じがする気がする
工夫を思いついた喜び
自力でなんとかできるという自信
「ハンマーがない工具箱なんて工具箱失格だあああ」と思っているとつらい
しかしハンマーの代わりのモンキーレンチのようにすぐに見つかるような代替物があるとは限らないのも事実
工夫を喜ぶことを重視するということは、格好良く生きるという競技から降りなければならないことを意味しているかもしれない
格好良く生きる競技では、自分固有の喜びを諦める代わりに「格好良さを讃えてくれる人との繋がり」が得られる
それを求める女が多いから男はなかなかその競技から降りられないのかもしれない
逆もまあそうですけど 度合いは違いそうではある
無事結婚してから降りる人は結構いるよね
一番つらいのは「負けているし勝つ見込みはないんだろう」と思いながら競技から降りることができない状態だと思われる
「ひょっとしたら」に賭けている(逆転することもあるしその賭けが悪いわけではない)
降り方がわからない
自己を完全に見失っている
「ハンマーがない工具箱でも合格なんです」という認知のすり替えではなく、「そもそも失格とか合格とかって何?」という哲学的な問いが必要。
このすり替えって本当に危険ですよね。
「英語の点が駄目でも数学の点が良いなら良いんだよ!君は価値あるよ!」みたいな…。
結局何かの点は良くないと駄目なんかい。(そんなわけないだろが)
しかし、哲学的な問いに向かうには多分ある程度の「余裕」が必要で、それは客観的に物差しを当てて測れるような(つまり人間の価値として本質ではないが社会では評価される類の)強みが何かあることによってもたらされているような気がして、哲学方向に転換できる環境を整えるのは結構難易度が高そうという思いもある。
社会的に強みはあるけど自分の心を蔑ろにしたツケが回ってきて精神が壊れた、というタイプには哲学によって自分を立て直すパターンがよく見られる気がする。
まず「それってなんやねん?」という前提への懐疑で解体が始まるのだが(それによって、当初の囚われからは脱出できるが)、そのベクトルしかないと行き着く先は虚無である。よって、どこかでベクトルを変更しなければならない。
そう~~~~~そうなんですよね~~~~~
虚無に突き進むと神経衰弱に陥って身体的にも変調をきたしてしまう。
そのとき、二つの(あるいはそれ以上の)エンジンが(あるいはベクトル)が内包された認知(価値観、世界観)になる。
確かにそうかもしれない。
それが結局のところ、「程度の問題」「全てはグラデーションである」という認識に繋がっているのだろう。