現代思想入門
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代表者 3 名
現代思想を学ぶことで、複雑なことを単純化せずに考えられるようになる
現代思想は、秩序の強化に警戒心を持ち、秩序からずれるものに注目する
人生の多様性を守るために必要
20 世紀の思想の特徴は、秩序化により排除されるものをクリエイティブなものとして肯定すること
秩序を作る思想と秩序から逃れる思想の両方が必要というダブルシステム
二項対立を脱構築すること
どんな主義主張も好きに選んで良い訳では無い
1 章 デリダ ― 概念の脱構築
パロールは現前性があり、エクリチュールは再現前
二項対立で優位なのは自分の側であり、二項対立の脱構築とは、自分を守る状態ではなく他者の世界に身を開くということ
我々は偏った決断をせざるをえないが、そこに他者性への未練があることを意識しよう、ということ
2 章 ドゥルーズ ― 存在の脱構築
1980 年代のバブル期、旧来の縦割りの秩序が壊れ、資本主義などの発達で新たな活動の可能性が広がった時代の雰囲気にあっていた 資本主義を敵視するのではなく、資本主義を内側から変える可能性
1990 年代のバブル崩壊でイケイケドンドンの空気は終わり、ドゥルーズのブームも終わった
微細な二項対立を脱するデリダ的な思考が前面化
一見バラバラに存在するものも、背後では絡み合っている
重要な前提は、世界は時間的で、すべて運動のただ中にあるということ
3 章 フーコー ― 社会の脱構築
マジョリティに合わせるべきという規範がある
17 世紀に監獄というシステムができて、犯罪者を隔離するようになったのと同じ頃に狂気の隔離も始まった 17 〜 18 世紀を通して成立していく権力のあり方を、フーコーは規律訓練 (ディシプリン) と呼ぶ 囚人は自分が監視されているか確かめられない → 常に監視されているという意識
社会のクリーン化は人間の再動物化の側面
古代、やってはいけないことは個別具体的だった
キリスト教では、やってはいけないことを大括りにする罪の概念が導入 4 章 現代思想の源流 ― ニーチェ、フロイト、マルクス 19 世紀の 3 人の思想家
3 人とも、秩序の外部、あるいは非理性的なものを扱った
やばいものこそクリエイティブだ、という 20 世紀的感覚の源流
表の秩序の世界と裏にある偶然性
表の思考は、世界を物語化する
物語の水準では見えない裏のつながり
思考 (表象) と現実 (事物) がズレているかもしれない、というのは現代では当たり前だが、昔はそのズレがなかった
思考と事物を隔てる奈落を埋めようとして埋まらない、というのが新たな無限性 世界そのものには到達できない
人間の思考は真理に向かおうとするが、真理への到達不可能性によってけん引され続ける
人間の思考は闇を抱えることになった = 思考において思考を逃れるものが生じた
労働者から抜けるという考えではなく、すべての人が力を取り戻すには? → 共産主義 5 章 精神分析と現代思想 ― ラカン、ルジャンドル
ジャック・ラカンは難しい
現代思想は精神分析の胸を借りる形で思想を形成している面がある
千葉雅也氏は、精神分析と精神分析批判のダブルシステムを推奨 他の動物は本能的必要性のために取れる行動が人間よりずっと狭い
自由に流動する認知エネルギーを、精神分析では欲動と呼ぶ 欲動の可塑性こそ人間性
欲動のレベルで成立するすべての対象との接続を、精神分析では倒錯と呼ぶ 人間は本能のままに生きているのではなく、欲動の可塑性を常に持っているという点で、全ては倒錯的 我々が正常と思っているものも、正常という逸脱あるいは倒錯である 人間がいかに有限化されるか
母というのは、女性の生みの親に限らず、その存在なしには生きられない他者のこと
母が居なくなったあとに戻ってくることの快
偶然に振り回され、死ぬかもしれないところから安全地帯が戻ってくること
母との二人の関係を邪魔する父の存在
第三者、社会的なもの
母が第三者によって奪われる → 父 = 第三者は憎むべき存在であり、母を奪い返さねばならない
客観世界は思い通りにはならず、母子同一には戻れない、ということを引き受けさせられること
母 (絶対的な安心・安全) の欠如を、埋められないと知りつつ埋めようとするのが、人生
自己イメージは常に外から与えられる
おすすめ
6 章 現代思想のつくり方
他者性の原則 : それまでの思想で取りこぼされている何らかの他者性を発見する 超越論性の原則 : 何かある事柄を成り立たせている前提をシステマティックに想定したもの (超越論的なもの) を提示する
極端化の原則
反常識の原則
7 章 ポスト・ポスト構造主義
参考文献