現代思想入門
著 : 千葉雅也
https://m.media-amazon.com/images/P/B09V1134H7.01._SCLZZZZZZZ_SX500_.jpg
Amazon : https://amzn.to/3Imb3ic
現代思想 (フランス現代思想)
代表者 3 名
ジャック・デリダ
ジル・ドゥルーズ
ミシェル・フーコー
現代思想を学ぶことで、複雑なことを単純化せずに考えられるようになる
現代は、秩序化に向かっている
コンプライアンス
現代思想は、秩序の強化に警戒心を持ち、秩序からずれるものに注目する
人生の多様性を守るために必要
20 世紀の思想の特徴は、秩序化により排除されるものをクリエイティブなものとして肯定すること
規則のパラドックス
秩序を作る思想と秩序から逃れる思想の両方が必要というダブルシステム
Judith Butler (ジュディス・バトラー) の 『ジェンダー・トラブル』 は、ジェンダーやセクシュアリティを学ぶには避けては通れない
脱構築的な考えや精神分析の知識が必要
ポスト構造主義
ポストモダン思想は相対主義的だとされる
二項対立を脱構築すること
どんな主義主張も好きに選んで良い訳では無い
構造主義
二項対立の脱構築
本書では、デリダは概念の脱構築、ドゥルーズは存在の脱構築、フーコーは社会の脱構築という分担
1 章 デリダ ― 概念の脱構築
ジャック・デリダについて
入門書としては 『デリダ ― 脱構築と正義』 がおすすめ
話し言葉 (パロール) と書かれたもの (エクリチュール) の対立を根本に置く
脱構築
現前性と再現前
パロールは現前性があり、エクリチュールは再現前
二項対立で優位なのは自分の側であり、二項対立の脱構築とは、自分を守る状態ではなく他者の世界に身を開くということ
我々は偏った決断をせざるをえないが、そこに他者性への未練があることを意識しよう、ということ
2 章 ドゥルーズ ― 存在の脱構築
ジル・ドゥルーズについて
日本では 『構造と力』 の影響で、ドゥルーズ + ガタリが注目された
1980 年代のバブル期、旧来の縦割りの秩序が壊れ、資本主義などの発達で新たな活動の可能性が広がった時代の雰囲気にあっていた
資本主義を敵視するのではなく、資本主義を内側から変える可能性
1990 年代のバブル崩壊でイケイケドンドンの空気は終わり、ドゥルーズのブームも終わった
微細な二項対立を脱するデリダ的な思考が前面化
代表する著作として 『存在論的、郵便的』 (東浩紀)
その後、インターネットの普及で再度ドゥルーズ的に
リゾーム : 横に広がっていく多方向的な関係性
存在の脱構築
アクチュアル (現働的) とヴァーチャル (潜在的)
一見バラバラに存在するものも、背後では絡み合っている
仮固定、準安定状態
重要な前提は、世界は時間的で、すべて運動のただ中にあるということ
nobuoka.icon こういうのシステム思考に近い
ドゥルーズ + ガタリの 『アンチ・オイディプス』
『千のプラトー』
管理社会論
3 章 フーコー ― 社会の脱構築
ミシェル・フーコーについて
社会の脱構築
権力論
自己従順化
権力構造 (統治のシステム) の外を考える
正常と異常という二項対立はマジョリティをベースにしている
マジョリティに合わせるべきという規範がある
17 世紀に監獄というシステムができて、犯罪者を隔離するようになったのと同じ頃に狂気の隔離も始まった
そのようなクリーン化こそが近代化
17 〜 18 世紀を通して成立していく権力のあり方を、フーコーは規律訓練 (ディシプリン) と呼ぶ
パノプティコンという監獄のシステム
囚人は自分が監視されているか確かめられない → 常に監視されているという意識
自己監視
近代社会は支配者が不可視化される
生政治
近現代社会では、規律訓練と生政治が両輪で動く
社会のクリーン化は人間の再動物化の側面
性的なアイデンティティ (同性愛者など) も近代化の中で成立
後期のフーコーは、古代ギリシア、古代ローマへ
自己への配慮
これに決定的な転換をもたらしたのがキリスト教、とくにアウグスティヌス
古代、やってはいけないことは個別具体的だった
キリスト教では、やってはいけないことを大括りにする罪の概念が導入
4 章 現代思想の源流 ― ニーチェ、フロイト、マルクス
19 世紀の 3 人の思想家
フリードリヒ・ニーチェ
ジクムント・フロイト
カール・マルクス
3 人とも、秩序の外部、あるいは非理性的なものを扱った
やばいものこそクリエイティブだ、という 20 世紀的感覚の源流
表の秩序の世界と裏にある偶然性
表の思考は、世界を物語化する
物語の水準では見えない裏のつながり
カント OS (感性、悟性、理性)
思考 (表象) と現実 (事物) がズレているかもしれない、というのは現代では当たり前だが、昔はそのズレがなかった
思考と事物を隔てる奈落を埋めようとして埋まらない、というのが新たな無限性
世界そのものには到達できない
対する人間の有限性
人間の思考は真理に向かおうとするが、真理への到達不可能性によってけん引され続ける
人間の思考は闇を抱えることになった = 思考において思考を逃れるものが生じた
それが広い意味での下部構造の発見であり、ディオニュソス的なもの、盲目的な意志、無意識というものはその闇の別名
下部構造はカール・マルクスの用語
労働者は資本家に搾取される
労働者から抜けるという考えではなく、すべての人が力を取り戻すには? → 共産主義
5 章 精神分析と現代思想 ― ラカン、ルジャンドル
現代思想が難しい要因のひとつはジャック・ラカンの精神分析が暗黙の前提になっていること
ジャック・ラカンは難しい
現代思想は精神分析の胸を借りる形で思想を形成している面がある
千葉雅也氏は、精神分析と精神分析批判のダブルシステムを推奨
脳科学の新しい理論である自由エネルギー原理が注目されている
他の動物は本能的必要性のために取れる行動が人間よりずっと狭い
本能は第一の自然
人間は第二の自然である制度によって変形する
人間は認知エネルギーを余している
自由に流動する認知エネルギーを、精神分析では欲動と呼ぶ
欲動の可塑性こそ人間性
欲動のレベルで成立するすべての対象との接続を、精神分析では倒錯と呼ぶ
人間は本能のままに生きているのではなく、欲動の可塑性を常に持っているという点で、全ては倒錯的
我々が正常と思っているものも、正常という逸脱あるいは倒錯である
すべての人間を倒錯的なものとして捉える発想はジャン・ラプランシュが示した (『精神分析における生と死』)
人間がいかに有限化されるか
自己が確立する前の子供は母と一体的 (母子一体)
母というのは、女性の生みの親に限らず、その存在なしには生きられない他者のこと
母が必ずしも常にそばに居ないことは最初の疎外
それこそが自立のはじまり
母が居なくなったあとに戻ってくることの快
偶然に振り回され、死ぬかもしれないところから安全地帯が戻ってくること
死の欲動の概念
死の偶然性と隣り合わせのような快を、ラカンは享楽 (jouissance) と呼ぶ
母との二人の関係を邪魔する父の存在
第三者、社会的なもの
母が第三者によって奪われる → 父 = 第三者は憎むべき存在であり、母を奪い返さねばならない
これが父殺しの物語、エディプス・コンプレクス
こうした父の介入を精神分析では去勢という
客観世界は思い通りにはならず、母子同一には戻れない、ということを引き受けさせられること
欠如の哲学
母 (絶対的な安心・安全) の欠如を、埋められないと知りつつ埋めようとするのが、人生
対象 a
ラカンの三つ組みの概念 (想像界・象徴界・現実界)
鏡像段階を通して自己イメージができる
自己イメージは常に外から与えられる
千葉雅也氏の研究におけるラカン解釈の影響元
ラカン ― 哲学空間のエクソダス
ラカン入門
おすすめ
疾風怒濤精神分析入門 ― ジャック・ラカン的生き方のススメ
人はみな妄想する ― ジャック・ラカンと鑑別診断の思想、必読
ピエール・ルジャンドル
否定神学
否定神学システムとは、事物それ自体に到達したくてもできない、という近代的有限性
6 章 現代思想のつくり方
フランス現代思想を作る時の原則
他者性の原則 : それまでの思想で取りこぼされている何らかの他者性を発見する
超越論性の原則 : 何かある事柄を成り立たせている前提をシステマティックに想定したもの (超越論的なもの) を提示する
極端化の原則
反常識の原則
ポスト・ポスト構造主義とも言える 21 世紀に入ってからの展開
カトリーヌ・マラブー
形態、可塑性
可塑性については 『わたしたちの脳をどうするか ― ニューロサイエンスとグローバル資本主義』 がわかりやすい
カンタン・メイヤスー
7 章 ポスト・ポスト構造主義
アラン・バディウが改めて注目されている
思弁的実在論
火付け役はメイヤスーの 『有限性の後で』
オブジェクト指向実在論の潮流を作ったのはハーマン
参考文献
https://news.yahoo.co.jp/articles/be72237d240b3c45ff93c9cb8b0508df924cf9d2
#書籍 #文献