トランスジェンダーの原理
発行年 : 2022 年?
社会の中で新しい問題に直面したときに取り得る考える方法を示すことが本書のモチーフ
日本においては、日本の自分たちの今・ここについて自分たちで考える必要がある トランス系や性的少数者のためだけに都合のよい社会を構想する内容であってはならない
1 章
性的少数者は四半世紀ほど前まで異常性欲として扱われてきた → 差別の被害者性を社会は認めない 1990 年代頃、性同一性障害の分類として中核群と辺縁群があった 差別かどうか怪しいものを差別として糾弾する人も多い
差別でないものに不当に 「差別」 というレッテル張りをして糾弾する行為も一種の差別と言える
他者にばかり変化を要求して自己の改善を考えないのは、社会運動にありがちな欠点 マジョリティに正義やべき論を振りかざしても、マジョリティの行動の動機にはならない
マジョリティにとっての快が重要
弱者の聖化 : マイノリティを弱者と位置付け、それを一方的な被害者だという前提に置く それに異を唱える者に対しては、差別のレッテル張りをする
2 章 性別について
人間が生きる上での複数の側面
家族 : ひとり一人が他の人とは交換の効かない個別的な存在 (友人や恋人も入れても良さそう) 生殖や快楽だけではない、交換の効かない個別的な存在として相手を求める
子ども
市民社会 : 契約によって関係が結ばれる経済活動の領域 国家 : 上の 2 つの間に生じる利害対立を調停するメタ的な領域 男女の関係において、能動と受動は固定されたものではない → nobuoka.icon 中動態ってやつっぽい 女性としての 「見られる・見せる」 という意識があるということ
女性としてのエロスを自身に具えたい
理由は明確ではない
男性からモテたいからなのか?
女性としてのエロスを自身に具えること自体が目的なのか?
欲望は思考の底板 (欲望は意識に到来するものであり、理由などを遡って辿ることはできない)
「心が女だから女性的な欲望を持つ」 のではなく、「女性的な欲望を持っているから、自身を女だと認識する」 だと思われる
性別という概念が無くならない限り、性別について判断する何らかの基準も存在するはず (= 完全な無条件はありえない)
性別の概念がなくなればよい?
実際のところ、例えば 「スカートを履きたい」 ということは、単にスカートを履く以上に、女性性の獲得や女性特有のエロスを自身に体現したいという目的が含まれる → 自身の欲望が性別による規範を前提としている
性別否定の先にあるのは解放ではなく (マジョリティもマイノリティも含めて) 欲望の抑圧でしかない
3 章 近代社会原理の再確認
社会で問題を解決するには、社会の原理を知らなくては話にならない → 近代社会の原理を明確にする必要 近代において、社会の仕組みや秩序は人間が作るものだという考えに変わった
近代社会原理は、個人を出発点にして、それら個人がどのような結びつきで社会をつくるのか、というもの
「社会を個人に分解する思想」 という批判は逆
宗教に限らず、先験的な正しさは存在しないと考える
本当の民主主義は、真理主義を乗り越えた先にしか存在しない 自由に必要なもの
民主主義の本質は、何が一般意志であるか、の話し合い
近代の本質 (のひとつ) は、特殊意志が争い合う状況から、一般意志を目指す政治に移行すること
マイノリティもマジョリティも含めた全体の公益として何が妥当であるかということだけが問題となる
4 章 性的少数者と社会
筆者が代表補佐
共通利益を考えた
意味的な本質
相互承認による成員の存在基盤
契約関係で成立するものではない
財産の共有
同居しているかその意志がある
家族は性愛的な横の関係と親子の縦の関係
養子は縦の線の擬制
横の線の擬制として同性婚を認める
憲法は国民が国を縛るものではなく、国民が国家を作るうえでのルール 5 章
自分の生き方は自分で決める、ということ
自分に刷り込まれた規範を編み変える
誰しも子供の頃から多かれ少なかれやっている
往々にして世の中は理ではなく利で動く
善悪は、共同体を利するかどうか
おわり
社会的な混乱