「非モテ」 からはじめる男性学
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1 章
ラベル化された 「非モテ」 がもたらしたもの
非モテの社会問題化
非モテ男性の弱者化
非モテについて語られる次元がそれぞれ異なる
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これまでの 「非モテ」 論の多くは、モテないことが問題の核心であるという前提にたっているが、それが適切なのか?
「モテない → 苦しい」 という単純な因果論から抜け出すために、多角的に分析する必要
本書は、非モテ男性が抱く苦悩に着目した非モテ論の再構築を試行
苦悩との付き合い方も提示
2 章 : 「ぼくらの非モテ研究会」
著者は、メンズリブという活動を下敷きに男性たちが男性の問題について語り合う会を主催 3 章 : 追いつめられる非モテ・自分を追い詰める非モテ
童貞は 1960 年代中ごろから恥として評価されるようになった (その価値観は現在も続いている) 男性たちへの 「男はスポーツに秀でていなければならない」 という社会的圧力 (多賀太) 男性内の序列関係を背景として仕掛けられるからかいが、それを受けたものの自己否定につながりやすい
自己レイベリングの過程で、人は、他者につけられたラベルを引き受けて自分を否定し、付与された評価通りの人間だと自己定義していくようになる からかいへの抗議や無視は難しい
3 つの理由
からかいの言葉は、普遍的・自明的・匿名的なものであるため、言い返すなどが難しい
男性集団の仲間としての資格を喪失しないために抗議しない
遊びの文脈に位置づけられているため、抗議すると友情関係にヒビが入りかねない
nobuoka.icon この理由と上の理由の違いがいまいちわかってない
ある年齢に達すると、男性同士の会話は女性に関する話題が非常に多くなる
その会話の構成員全員が関心を持っているかどうかは定かではないにもかかわらず、それは当然話されるべきものであるかのように語られる
男性が、社会が生み出す 「普通」 の男性にこだわるがゆえに 「男性の生きづらさ」 が生まれる → なぜこだわる?
なぜこだわるかの分析がなされていないと、「他の生き方があるのに男らしさにこだわるから生きづらくなっている → 自業自得」 という言説に繋がる
「普通」 の男性像にこだわらざるを得ない実情がある
現行の社会構造において、性規範に従った場合の男女の差異については注意が必要 : 性別による非対称性
女性が性規範に従った場合、無償のケア役割という従属的な立場を強いられる 一方で、男性が性規範にうまく乗れば多くの特権や社会的評価を得る
「普通」 の男性に多くの特権が集中する社会構造そのものを問い直す必要
男性同士の権力構造にはジェンダー以外の要素もかかわる からかい被害は被害として認識しづらい : 完全な受け身なものではなく、被害者がコミュニティ維持の協力者にもなっている
4 章 : 女神への執着と非モテ
上述のとおり、男性集団内で 「緩い排除」 を受けて、それでも集団内にとどまったり自意識を保つために様々な手段を講じるようになる
その中でも、恋人ができることは非モテ男性にとって大きな意味を持つ
5 章 : 非モテから離れる実践
6 章 : 非モテの苦悩の正体を考える
公共性の問題 (社会的排除) から親密性の問題 (非モテ) への読み替え 特定の誰かと親密な関係を築くことへの期待が社会の中で過剰に上昇している
7 章 : つながり出した非モテ
終章 : 隣り合って 「男」 を探求するということ
日本において、1980 年代以降、男性性に焦点をあてた研究や議論が蓄積されてきた フェミニズム・女性学の登場によって相対化された 「ジェンダー化された存在」 としての男性を描き出す営み