自己肯定感とローティのバザールとクラブ
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ローティのバザールは、多様性や交換の場を思い起こさせます。ここでは、異なる人々が集まり、商品やサービスを交換し、社会的な相互作用を楽しむ場所を指すかもしれません。このような場は、経済的価値だけでなく、文化的、社会的な価値も生み出します。人々は物質的な利益を求めるだけでなく、共感や所属感などの精神的な満足感を得るためにもこれらの場を利用します。 一方、クラブは、特定の共通の興味や目的を持つ限られたメンバーで構成される集団を意味します。クラブのメンバーは、共通の目標や活動を通じて、個人のアイデンティティや所属感を強化します。クラブは、メンバー間の緊密な絆や共有価値を育む場として機能し、外部のグループとの差異を明確にします。 これらの場は、個人が自己肯定感を高めるための行動の場を提供すると同時に、社会的な役割や自己の位置づけを再評価する機会も提供します。バザールでの多様な交流が自己の視野を広げ、新たな自己認識を促す一方で、クラブ内の緊密な関係は、自己肯定感を支える強固な社会的サポートを提供します。 nishio.icon
この発言の面白いところは、二軸が直交するところ。
バザールにおいて「所属感」という言葉が出てきて「あれ?間違ってない?」と思う。でもクラブにも「所属感」が出てくる。
この二つの所属感は別物なんだ。
クラブは「閉じた親密なコミュニティ」だ。つまり大部分の人にとって「入ることができない」ものだ。窓からチラリと中の楽しそうな様子が見えたとしても、入り口がどこだかわからなかったり、入り口を叩いても入れてもらえない。「所属感のなさ」としての疎外感を感じる。 一方でバザールでも時々催しが行われる。このイベントは多くの場合「誰でも参加できる」ものだ。自分の興味を引くイベントが開催されるのを知って、参加してみる。そうすると自分と興味関心の近い人たちがそこにたくさんいて「所属感」を感じられる。身近に興味関心が共通する人がいなくて疎外感を感じていた人が所属感を手に入れるわけだ。
これを書いていて連想したもの