自分という存在の自分にとっての価値はありとあらゆるものより高い
なぜなら自分がいなくなれば、ありとあらゆるものの「自分にとっての価値」はゼロになるからである
「社会にとっての価値」は曖昧概念である
具体的な他人Aさんを想定すれば「Aさんにとっての価値」は意味のある概念になる
この「Aさんにとっての価値」は「自分にとっての価値」とは一致しない。自分と他人は別物だから 何かを達成したときに、それを振り返ってみると、誰でもできそうなことの積み重ねで構成されていて、大したことじゃないと感じてしまう/villagepump/yosider.icon できた後で振り返ると道が見えるけど、できる前には道は見えてないんだよな〜/villagepump/nishio.icon
そもそも自己評価をしない?のか/villagepump/yosider.icon なるほど、自己評価をしてないのか?/villagepump/nishio.icon 他人それぞれで異なってるもの
「Aさんによる評価」「Bさんによる評価」
二人は別物だから食い違っていても何もおかしくない
下に書いてあったこれだな
「この方は自分のことをそのように評価してるのだなあ」とそのまま受け取る
その評価はあくまでその人の評価に過ぎなくて、そこにもしもあなたが至っていないとしても、あなたの責任ではありませんし、あなたがそこに至らねばならない理屈はどこにもありません。 自分からの声を少し弱めるというのもわかりにくい言い方でしたが、いままでと違う方向に(試しに)行ってみるということです。あなたの内なる声がたとえば「こんな分不相応な評価を受けてしまった!このまま進んだら自分は嘘つきになってしまう!必死にギャップを埋めねば!」といったとしても、 「いやいや、そうそう焦りなさんな。潰れてしまっては評価の何もあったもんじゃない。マイペースで着実に行こう」と自分の「声」を押し返してみるのです。