立川さんコミュニケーション論
立川:西尾さん、会社のMacですか?
西尾:これ会社のMac。
立川:未踏のシールだけ貼ってある。
西尾:会社のシールもらったら、貼ろうと思っているけど、僕は研究部門なので、会社の商品を紹介するステッカーを配ったりするシチュエーションってあまりないじゃないですか。
立川:たしかに。
西尾:意外とステッカーを貰う機会が少ないという。
立川:社内で配ったりしない?
西尾:社内で、取りに行けばあったりするとは思うけど。
立川:どこに置いてあるのか調べるの面倒くさいなみたいな。
西尾:そうそう、たまたま出会ったら貼るくらいの感じ。
立川:社内のたまり場と言うか、給湯器あって飲み物置いてあって、みたいな場所あるんですよね。
西尾:あります。
立川:そういうところにパンフレットやシール置いてあるじゃないですか。
西尾:置いてたりしますね、他の会社のやつね(笑)
立川:自社のおいてない?
西尾:自社のもたまに置いてある、余った時とかじゃないですか。新しいの作って、今度からこっち使うから、前のやつ残っているから、じゃあここで、みたいな(笑)
立川:使いません普通に?外出るのに。
西尾:そうかな、そうかも。
立川:それこそ、始めましての会社さんとかで、うちこういう会社なんです、みたいな感じで、必要ない?(笑)そういうふうにやっていない?
西尾:僕は、そういうことしたほうがいいのかもしれない。
立川:分からないけど、西尾さん、そういうことを期待されているんじゃないかな?
西尾:どうなんでしょう。
立川:森さんとかはそれが仕事じゃないですか。
立川:いいと思います、なんですか、面白いですね、みたいなところから話膨らんで、みたいな。
西尾:分かりやすくはないですよね、その文字しか情報ないから(笑)たぶん、貼っている本人以上に、それを見ている人は別に何とも思っていない。
立川:そうなのかな、分からない。それこそ、人が繋がる社会を創る、みたいな(笑)
西尾:ビジョンの一言とかをここにバーンと、入れたりすると、話題にならないかな、なるかな(笑)
立川:それだ、分かりました、僕それ今度やります(笑)
西尾:(笑)
00:02:50
西尾:何か、もし、話したいことがあれば聞きます。
立川:僕の想像していたとおりです。僕は、そんなことあろうかと、箇条書きしている。最近考えていることを箇条書き。
西尾:事前に箇条書きしたらとメッセージで伝えたら、それはそれで「考えてこい」みたいになって、あれかなと思って言わなかったのだが(笑)完全にお互い操りあってますね。
立川:(笑)
西尾:相手の思考パターンをお互い。
立川:最近、どっからいこうかな、お品書きあるんです。
立川:(笑)
西尾:さておき、集まるの見るの嬉しいって何ですかね。
立川:昨日考えていたこと。
西尾:キーワードだけだと、何を意味しているのか分からない。
立川:東工大のSUDやっているではないですか、今年3年目、年々、受講生が増えてきて、7人9人13人、昨日ちょうど一期生から三期生の合同の、一期生二期生の中、それぞれ繋がりがある、そこで、機を与えて、皆が知り合っているとか、各期ごとに集う、なかなか終了しちゃうと会う機会が減りますけど、終了後でも皆来てくれる、1年2年経っているのに。しかも、結構皆半分以上は来てくれる、一期も二期も、その様子を見ていて、僕は嬉しかった、前提として。すごい感動的だなと。「待てよ」と、というのが今回の主題で。
西尾:「待てよ」とは何ですか?
立川:この嬉しいという感覚は、普遍的な、人を100人集めた時に皆が皆そう思う感覚なのか、意外とそう感じる人は少ない感覚なのか、これどっちなのだろうと思ったんです。
西尾:世の中の人が感じる、感じ方に関して、どちらが多いか、考えても分からないし、議論をしても結果が出ないと思うので、無益だと思う、その議論。
立川:(笑)
西尾:例えば、僕とかが講演します、聞きに来る人が150人いますみたいな話があった時に、150人も人が来てくれて、その人達が俺の話を聞いているから、俺すごい、みたいな感じでテンション高まる人がいる一方で、僕はあまりならなくて。150人のところで話すといったら、僕が一方的に情報を伝えて、会場はシーンとして、ちょろちょろと質問が出てきて、それで終わり、というのに僕は時間を2時間とかかかる、講義資料を作るのに時間をそれなりに奪われるわけで、これは、非効率だと。むしろ、30人とか12人とかで、濃い議論をしたい。ここなんか正にそれで、2人しかいないんです。
立川:ミニマムの(笑)
西尾:こういうのがしたいと思うわけです。そう言う人と、聴衆がたくさん集まった方が嬉しい人と、どちらの人の方が人類の中に割合が多いかというのは、意味がない議論。例えば、人類をアメリカと日本に分けた時、それぞれの中での比率は恐らく違うだろうし。
立川:まず、実は、今回の主眼はそこじゃないです、僕も同意で。
西尾:主眼は何?(笑)
立川:主眼は、何かというと、自分が価値があると思っているものには、案外、価値が無いと感じる人がいる。逆に、自分にとって価値が無いと思うものに対して、すごく価値を感じる人がいる。っていうことに、普段あまり意識して生きていないなと思って。普段、無意識では、自分が良いと思うものは、周りの人も良いと思うだろう、みたいな感じで生きているなと思った。
西尾:価値観が自分と同じであると思いこみがち。
立川:がち。
西尾:一方で、物の交換とか取引って発生するじゃないですか、あれ何で起きるかというと価値観が違う。
立川:こっちの地域の金の価値と、こっちの地域の金の価値が違う。
西尾:何かを僕が一万円払って買うことが出来るということは、売っている人はそれを一万円の価値が無いと思って売っている。
立川:なぜか一万円以上の価値があると思っている。
西尾:会社がIPOする時に、いくらいくらで株売りますっていって、買う人がいるじゃないですか、僕あれを理解出来ないけど、創業者とか、株持っている会社の人達が、この株こんな価値ないと思って株出しているのを、買うの、なんで?みたいな気持ちになる。それは、個人の価値観で、僕がそれに価値を感じていないだけで、今後の成長の可能性とかを、経営者自身よりもよく分かっている、と思っている人達が買うわけですよね。
立川:でもソフトウェアの商売って正にそうじゃないですか。すごい過去の長い蓄積で、ちょっとずつ時間とお金をかけて改良してきたソフトウェアをコピーしているわけですよね?シンプルに言えば。その時に、価値とは?
西尾:価値とは?ホワイトボードにさっそく(笑)
立川:感覚的に、つまり、西尾さんが言っている、ある人、自分にとて一万円の価値が無い物を一万円で売れたら嬉しいわけですよね。
西尾:自分の価値基準よりも、高く評価されると嬉しい。意外と高いんだ、みたいな。
立川:概念感で、我々は一体何にお金を払っていると思っているのか。例えば、絵を買う、いろんなパターンがある、例えば、オーダーの絵を買う。絵って、僕、ざっくり何段階かあると、絵を描くフレーズいっぱいあって。練習の時間。
西尾:絵を描けるようになるまでに、5分で絵を描けるまでに10年練習がかかるって話ですね?
立川:そうそう、ここが、描く時間。
西尾:オーダーを受けたものに実装するのにかかる時間。
立川:3つあって。オーダーとか。
西尾:絵の取り方のパターンに3つくらい種類がある。オーダーされて描くやつと、作ったやつを後から売るやつと。
立川:既にあるもの。
西尾:パトロンになる、なるほど。この3つというのは、買う側の視点として、自分のオーダーして、それを描いてもらって買うパターンもあるし、並んでいる商品を買うパターンと、人を見つける、その人をパトロンする。
立川:例えば、いっぱいあると思います、同じ絵を買っているけど、タイムスパンが違うわけです。パトロンは分かりやすい、この時間も買っている。
西尾:練習する時間から全部買っている。
立川:既にあるものを買うって人は、なんだろう。描く時間というのは違うかな。モチーフを考える。ここを買っていると思い込んでいるんじゃないか。そのつもりでたぶん買っている。
西尾:実際はどうなんですか?
立川:実際はどうなのかというのは、何とも言えない。実際は、原理主義者は、実際はこうだと言う。アート原理主義者みたいな人。
西尾:練習の時間も含めてそれが出来ているんだったら、練習の時間も含めた金額で買われるべきである、という。
立川:今ここで10分で描いたものは、10分の時給じゃないよという主張。それはそれで正しい。けど、出す側がそれを主張されると、何か腑に落ちない部分もあると思う。だって、10分じゃん、みたいな。
西尾:描くのには10分かかっている、10分描かれたものに対して、どういう価値を感じるか。それを、時間でメジャーするのはそもそもおかしいよね派。
立川:そもそも別に、絵そのものには時間って関係ない、絵の価値は絵の価値だから。価値って、どういう風に決まるんだっけみたいな。
西尾:絵の価値的に言うと、絵というものが、そもそも論として価値が曖昧なものだから、既製品の小便器にサインをして、作品ですって言った時期があるわけですよね。
立川:これ全く同じことがソフトウェアで言えると思いませんか?
西尾:言えるかな?開発にかけた時間も含めて払っているのか。
立川:そうです、特に、ソフトウェアの初期ユーザーというは、高いソフトウェアを買う訳じゃないですか。それというのは、開発に含めた時間も合わせて買っている側面が強いと思う。でも、ソフトウェアが広まれば広まるほど、価格も下がって、どこかのタイミングで、あるソフトウェアは無料にしましょう、みたいな話になっていくわけじゃないですか。
西尾:まず、その「ソフトウェアが広まるにつれて価格が安くなっていく」かどうかに関して、若干疑問があるのと、絵と違って、ソフトウェアは大体目的があって買われる物で、所有することを目的にソフトウェアを買う人はいないっていう構造の違いがあるわけです。一方で、ソフトウェアを作る為にも、どういうソフトウェアを作るか、モチーフを考えるところと、キーボード叩いて実装する手前に、勉強する時間が当然あるよね、というのは同じ構図だとは思います。
立川:顧客はソフトウェアの、どの時点で買おうが、どんな風に買おうが、ソフトウェアはソフトウェアそのまま。けど、お客さんが主観的にどこに対して価値を払っているか、主観的に感じるのかには大きな差がある。
西尾:ソフトウェアを作って売るタイプだと分かりづらいですが、いわゆるSIer的には、お客さんのニーズに合わせてシステム開発やる場合って、お客さんて実稼働時間で。
立川:そうそう。
西尾:書いているところだったり、〓00:15:19〓を作成しているところ、モチーフを考えるところだけに対して払おうとするわけで、そうすると、練習のところ沢山積もうとするインセンティブ、練習をするところに投資をすることに対して、逆のインセンティブがかかるから、とりあえず、沢山よく学んだすごい人を揃えるよりは、人数を、駄目では無い人を沢山集めよう的なほうにインセンティブがかかってしまって、割と悲惨という。
立川:僕、すごく印象的に思っている学生時代のバイト先の社長の名言があって。これすごいですよ、ビックリしました。田町にある建設会社、立川くん、エクセルなんていう無料なものではなく、もっと良いソフト作ってよ、作れるでしょ。って僕言われたことがある。これ名言だと思って。
西尾:エクセル無料じゃないし。どんだけコストかかってると思ってるんだ。
立川:エクセルより良い物作ってって真顔で言われましたよ。
西尾:その時は学生バイトだった?
立川:修士2年でした。
西尾:修士2年の学生バイトがエクセルより良い物を作れると思っている。なぜなら、エクセルは無料だから。
立川:そう。ビックリした。これ建設会社の社長さんでした。僕、真顔で、「何言ってるんですか?エクセルって、最高級ソフトウェアですよ」と。世界を見渡しても、上に無いくらいの最高級なソフトウェアですよって話をしたら「何言ってるの?言っている意味が分からない」って言われて。逆にキレられた。
西尾:結局、その最高級が何を指しているか、良いと言うのが何を指しているか、2人の間に食い違いがある。
立川:それを丁寧に説明し出すと、また、どんどん顔が不機嫌になるから。
西尾:分かる分かる、2人の価値観が異なっていますというのを伝えても、学生バイトと社長との間で、お互いの価値観は異なっているけど認め合おうっていう関係にならない。そのシチュエーションで、そういうことになっても仕方ないと思うけど。良いの定義が違うわけですよね。 立川:一つは。
西尾:エクセルは、あのソフト一つだけで、一体何億人のニーズを満たすことが出来るという、大量の顧客にばらまくことが出来るソフトウェア、しかもそれぞれに、例えば、方眼紙にして、それっぽい商品を作るのにつかったりできる、そんなそこまでの汎用性が高いソフトウェアでありながら、それ程、プラスしてデータが飛んだりという頻度が高くない、まあまあ安定して動く、というすごさがあったわけですけど。でも、社長さんが求めていたのはそれではなくて、多様なツールではなくて、自分のニーズをくみ取って、自分の背中のかゆいところをかいてくれるソフトが欲しかった。 立川:そうだったんです。ビックリして、そんな風に世界を見る人いるんだと思って、ショッキングだった。
立川:ビックリしました、この話をしたら、ふと思い出して。10年くらい前の話、未だに覚えていますからね。衝撃的過ぎて。勉強になりました。そういうふうに人と思う。この社長、慶応出た立派な人ですからね。頭悪い人で無いはずなんですけど、そういうこというものだから、マジかと。
西尾:そうなんですよね、意外とITに不慣れな頭の良い人が、我々が思っている以上に意外な価値観を持っている。
立川:そう、たぶん、ITに疎い自分がバカだと思っている人よりも、ITに疎い自分が賢いと思っている人の方が、厄介。
西尾:厄介だと思いますね、自信をすごく持っているから。
立川:僕は正しいこと言っているよと。
西尾:自分の考えがおかしいわけがない、まさか学生バイトの方が正しい価値観を持っているかなんて、そんなことは認めることが出来ない。
立川:この件で「そうやってすぐに反論するくせ止めた方がいいと思うよ」みたいなことを言われた(笑)君の為を思って言うけどさ、って(笑)
西尾:結局、この件は価値観の違いだから、議論をしても自分が正しいという根拠を示せないので、別の手段で自分のことが優位であると示したのだ。
立川:話を戻すと、ソフトウェアはどこに対してお金を払っているか。このエンジニアは、一万時間練習したので、いくらみたいな、計算の仕方しないじゃないですか。
西尾:一万時間練習したかどうか、そこが難しい。結局、エンジニアのスキルが、観測しづらい、情報の非対称性の話になってくる。そこで、シグナリングをする、自分を高く売る為に、その一つの手段が例えばIPAとかがやっている資格試験を受けて、とか、オラクルの何とかマスターとか。それでシグナリングするとか、もしくは、別の手段として、イベントとかでガンガン話しまくって、プレゼンスを高めるとか。結局そういうのをしないと、有益なスキルがあったとしても、スキルがあるかどうか大抵観測出来ないので、支払いは行われないって当然のことが起こる。レモン市場ですよね、安い方の金額で買われる。 立川:レモン市場って何ですか?
西尾:レモン、情報の非対称性で、買ってみないと酸っぱいレモンか分からない、そういう時に、酸っぱいレモンだろうなと思って買う訳じゃないですか。お金を払う側は、安い値段しか払おうとしない、そういう現象がおきますよね。
立川:これすごく、結婚相談所も同じ、お客さんはここにしかお金払っていない。
西尾:それは、結婚相談スキルの高さとか、練習とかって見えないし、測り様がない。結婚相談所の相談員が本当に相談する人に足る人なのか、全然分からない。大体、皆、胡散臭いなと思っている。
立川:そうだと思う、お客さん何を判断軸にしているかと思う。
西尾:いくらか払って、相談するっていう、意思決定が難しい。
立川:皆、疑似的に、練習の部分を、年齢に置き換えているなと。ある程度、50歳くらいの人達は一番高く売れていると思う。
西尾:相談するに足りそうな気がする。逆に言うと、23歳結婚相談員ですって人がいたら、全然信用されないわけ。でも実際のところ、50歳のおじさんよりもセンスがある23歳の学生絶対いる。
立川:絶対いる。ただ、間違いなく売れない、売り方を相当工夫しないといけないし。工夫しても売れるか分からないって感じですね。
西尾:もし売れなければ、フロントに相談役のおじさん置いといて、後ろに指示出すようにしたほうがいいくらいの。レンタルおじさんインターフェース
立川:(笑)
西尾:レンタルおじさんをそこに座らせて、うんうんって話を聞く役だけして、その聞きだした話を後ろでやって、今度はこういう話聞いて下さいって指示は後ろで。
立川:レンタルおじさんインターフェイスってのは、僕は結構、しっくりくるんですよ。ビジネスの場でそういうのが必要なケースって多いじゃないですか。でも、外見がおじさんである必要があって、威厳のある。
西尾:威厳のあるか、もしくは、人生経験を沢山積んでそうな、でも優しく話を聞いてくれそうな。おじさんがいいのかどうか、疑問で、おばちゃんがいいかな。
立川:人は、おばちゃんの言うことを信じるらしいです。一番、年齢と性別で区切った時に一番信頼されるのがおばあちゃんらしいです。
西尾:なるほどね。分かるけれども、おじいちゃん信用されないのかと自分の将来を考えて、ちょっとどよめきながら。
立川:そもそも全体的には女性が信用されるし、その中でも特におばあちゃんは信用されるらしいです。
西尾:事実として信用される行為を女性がしているのか、それとも、何となく我々が逆にdown estimateされている状態なのか気になる。可能性としては、ありますよね。何となく、人とコミュニケーションに関することに関しては女性の方が優れているというふうに認識されがちで、それが実際に優れているかもしれないし、男性が不当に差別されているだけかもしれない。
立川:分かる、そこは、また沼。
西尾:分かんないし、炎上するから止めましょう。
立川:(笑)なんでこんな話になったんでしたっけ?
西尾:価値を感じるという話で、自分が思っている価値と人が思っている価値は異なっている。物が売れる時は、自分が思っている価値よりも相手の方が高く価値を感じているというのがある。その話に関連して思った事は、自分の強みに集中しなさいみたいな言葉あるじゃないですか、自分の強みって認識出来ないと思う。なぜかというと、自分はそれが当たり前だと思っているから。でも、自分が当たり前だと思っていることを、自分で無い人が意外と評価してくれた。っていうのが強みのシグナルだと僕は思う。自分副業したいと言う人がいたとした時に、よくある、誰でも出来るような、例えば、文字数いくらでブログの記事買います、的な副業をやっても強みにならないからよくなくて、そうじゃなくて、もっと自分の強みに集中した、自分の強みを活かせる活動をやっていったほうがいいですよ、っていった時に、強みって何だろう?ってなるわけです。その時に、何か今までに、自分が好きでやったりしたけど、周りの人がすごく喜んだケースってないですか?みたいな。それもやはり同じように、自分が思っている自分の活動は、これぐらいの価値があると思ったものが、周りの人がその人に対しての価値のほうがでかい、ということが起こる。これは個人的にはすごく残念なんですけど、僕が書いたプログラムって、僕が思っているほど評価されないんです。
立川:(笑)
西尾:爆弾発言。僕の書いたプログラムが評価されるよりも、僕が書いた解説文や説明の方が圧倒的に僕が思っているよりも評価される。分かりやすいとか、物事を分かりやすく説明する才能があるとか、そういうふうな感じのことを言われたりする。だけど、ちゃんと理解してアウトプットしたら、これは出来るでしょう、皆がちゃんと理解していないだけだよね、という気持ちになる。
立川:僕、西尾さんのコーディングを支える技術に書いてある話とリンクする話、つまりそれって、無理やり名前を付けると、メタプログラムですよね。
西尾:メタプログラムという言葉の意味が分からないんですけど、どういう意味か説明してもらっていいですか?
立川:要するに、プログラミングを作るものは、思考回路。その思考回路の設計開発に関して、西尾さんは強みがあるのではないかなと思っている。
西尾:思考回路の設計開発、考える方法?
立川:正に考える方法ですね。つまり、なぜこのプログラミング言語では、こういう処理をこういうふうに書くのか、それにはそういう技術思想があって。
西尾:こういうシチュエーションでは、こういう機能のソフトや、こういう言語を使った方がより向いていて。こういう感じの実装をした方が、効率よく計算できる。それって、コンピューターアーキテクチャ、データコードを理解して、このデータコードでこういう処理をするんだったら、このアルゴリズムを使ったほうがいいよと考えるのと、全く同じなんですけど、僕がコンピューターに対して、それをやって作り出すよりも、人間に対して、このコンピューターのプログラミングに使っている脳の回路を使って、それを人間に適用して、言語化したもの、プログラムを書いた、そこで言う時にプログラムというのは、人間の考え方としては、こういう考え方をするとよいという日本語の説明文。その自然言語の方が、なぜか世の中的には評価が高い。
立川:確かに(笑)、相当な評価。
西尾:僕の〓00:28:36〓は、プログラムなわけじゃないですか。なぜか、そうなんですよ。不思議。
立川:たしかに西尾さんは、自然言語のところで評価されている。
西尾:自然言語でアウトプットしている僕の「コーディングを支える技術」は、何かというと、今まで、コンピューターでプログラミングしてきた、いわゆるCPUのやつもあれば、FPGAみたいな、いわゆる非ノイマンアーキテクチャのプログラミングもやれば、関係の宣言の集まりで出来ているようなちょっと異色なプログラミングもやってきた、そうこうやっていって、コーディングを支えるを出したタイミングでは、まだいろいろな言語があって、そのいろいろな言語の一段階抽象化したものを文章書いている段階だったと思うが、あの辺りですよね、転機としては、僕がアウトプットしたプログラムよりも、僕がアウトプットした自然言語の解説のほうが高く評価されるということが、明らかになり始めた。
立川:西尾さんからしたら不本意だったんじゃないかと。
西尾:不本意です。僕もプログラム作りたいんです。僕、正直、人とコミュニケーションするのあまり得意でないので、山奥に引きこもって、キーボード叩いて、好きなソフトウェアを書いて、そのソフトウェアがバカ売れしてくれて、生きていくいくのに十分な金が湧いてきたら、人とコミュニケーション取らないまま、引きこもって生きたい。小説家でいるじゃないですか、引き込んだところで、鉄道模型とか作って遊んでいる人。有名な人ですけど、名前が出てこない。(追記: 森博嗣)そんな感じの、そっちかと思いきや、意外とコミュニケーションして、人間をコンピューターのアナロジーで理解しているわけですよ、だから、人間のアーキテクチャ、人間の思考プロセス、プログラム、OS、人間と人間の間のコミュニケーションはプロトコル、全部コンピューターのアナロジーなわけですよ。 立川:僕は割と、コンピューターのアナロジーから人間のそのプロトコルを解説して、一部に好評という感じだったんです。昨日、中山さんにも話してもらったんです。僕はこのコースを知ったきっかけは、西尾さんっていう人がいて、その人が、誘ってくれて、理系で論理的で、アスペル結婚相談所所長がいる、みたいな(笑)結構、僕の中で衝撃なパンチ。なるほどと思ったわけです。
西尾:アスぺルと言ったかは忘れたけど、君と気は合うと思うよ、みたいな、同種の人間だよ、って言い方をした。僕も、いわゆる、平均発達者ではない。アスペルとかADHDとか、そういうところは置いておいて、定型発達者ではない、という。
立川:僕、大人になるまで気づかなかったんです、自分がそうだってってことに。今もADHDっていうのは、自覚はあるんです。でもアスペルガーに関しては、本当に自覚がない。ってことは、本当だったら、ガチなんだと思って(笑)
西尾:病的なアスペルガーであるかどうかではなく、アスペルガーを理解することが出来る回路を持っていない。
その、要は、プロトコルが異なる、アスペル同士の通信プロトコルと、定型発達者の通信プロトコルが違っていて、問題が発生するアスペルの人というのは、アスペル同士の通信プロトコルのこの回路しか持っていないのが問題だと。元々、持っていなくて苦労していたんだけど、その後習得によって、一般人コミュニケーションプロトコルも何とかエミネート、出来るようにして、頑張ってやっている人というのもいる。一方で、ここがそれ程苦手ではなくて、元々この回路を持っていたけど、それ程辛くなく、本人としては、大きな問題ではなくコミュニケーション出来るようになっている人と、元々こっちだったんだけど、アスペルガーを理解することが出来るようになった、コミュニケーション能力が高い人。世の中には、自分に似た人の他にこういう考え方をする人もいるんだな、を受け入れて、エミネートしてコミュニケーション取ることが出来るタイプの定型発達者もいある。それで、ここの人に関しては、要は、自分と異なるアーキテクチャで動いている人間は見えるとする機能が高いのです。これは、感情認知能力がある無いとは別の、エミネーション能力だと思うので。
立川:っていうと、僕、会社になじめなかったのが、たぶんエミネートの力が弱かったからだと思っているんです。上司とか先輩の言っていることが理解出来なかったし、僕が言っていることもたぶん上司とか先輩も理解していなかった。
西尾:その理解出来なかったと言っている話の時に、どういうふうなやり取りが行われていたかの情報が無いので、ちょっとその話だけだとどっちなのかよく分からない感じがしますけど、むしろ、会社に入る前の子供の時の、5歳とか、そういう時にどうだったかのです。
立川:僕から言うと、僕、物心ついてから、中学生くらいまで、周りが全員バカだと思ってたんです。全員、話が通じなくて当然だと思ってたんです。やばくないですか、この発想。自分より皆バカだから、話が通じないのは当然だし、話が通じないということに関して、何かストレスを感じるとか、不満を言ってはいけないと思っていたんです。
西尾:なるほど、話が通じない人達であるという認知をしていたと。
立川:やばくないですか、相当性格悪い。高校くらいから、ようやく、なんか、そうじゃなくて、自分の客観的な位置がようやく分かったし、話が分かる分からないというのは、一次元の話ではなくて、n次元の話なんだなと、ようやくわかった。
立川:分かる分からないが最初は一次元だと思っていたから、自分の考えを分かる人がいる、そこには当然、自分が一番良く分かる、トップにいて、自分の考えが分からない人達が下にいる時に、自分の考えが分かるか分からないかの一次元置くのならば、当然自分がトップになりますよね。全ての人は当然そうなんだけど、それを自覚していないって話。一方で、進んでいくうちに、これって矢印しづらいことがいっぱいあるので、それぞれの人がそれぞれの人にとって、通じやすい人がいるし、通じにくい人がいるという状況なんだっていうのを理解したという一般化が起きたわけですね。発達過程として、より視野が広がったという、そういう感じの。
立川:その、自分が一番賢いみたいのは、極端、分かんないですけど、皆それぞれあると思うんです、〓00:36:00〓、発達のどこかのタイミングで変わっていくみたいなことだと思う。その全能感が、ちょっと病的に強かったんじゃないかなという。
西尾:何が病的か分からない。子供が全能感持つのはよくあることだし。
立川:本当にすごかったです。自分以外全員バカって真面目に思ってました。ひどいですよね。
西尾:そういう意味で言うと、ちなみに、小学校時に塾に行ったりとかってされていました?
立川:小学校5年か4年くらいの時から、塾通い始めました。
西尾:塾の中の人はどうでした?
立川:勉強はそこそこ出来ました。ただ、勉強は出来ても、自分に対して、新しい視点とか面白い視点とかをくれる人というのは、本当に皆無だった。中学生くらいになってようやく、大学生のアルバイトのお兄さんとかの話が面白いと思うようになって、そこから、大人の中には面白い発想の人いるんだみたいな。
西尾:自分一人ではなくて、いろいろ面白い人が他にもいることに気付いた。
立川:それで、高校に入ったらいっぱいいるもんだから、なんだ、自分が生きていた世界ってすごい狭かったんだなって、自分が小学校中学校の時に全然下に見ていた人というのも、そういう位置関係ではなかったんだなというのをようやく。
西尾:彼らの方がより知っていることもあったに違いないと、今になって思えば思う。
立川:そうです、今でなくて、高校生くらいに気付いて。でも本当に小中学校の時はそういう子供でしたね。
西尾:僕の話は、かなり似ているところと違うところもある。僕も例えば、10歳以下の頃は、周囲とは話が成り立ちにくかった。本当に小学校の同級生とはコミュニケーションはかなり困難であったが、親と会話は成り立つ。
立川:僕もそうでした、父親がほぼ唯一くらい成り立つ人だった。
西尾:僕のケースでいうと、周りがバカとかそういうことではなく、良く分からないなポカーン、みたいな感じ。分からないなー、あと僕が夏休みの宿題で作った貯金箱をなんか壊されて残念だなとか。僕がノートに実験結果を書いていたのに対して、うんことか上に書いて来る人がいて、嫌だなー、変な人がいるなー、みたいな気持ちだったわけです当時は。
立川:よくグレずに済みましたね。
西尾:僕のターニングポイントは小学校4年生の時に塾に入った。これは、いわゆる、進学校に入れる塾。そこに行ったら、周りの人が面白かったという記憶は特にないんですけど、授業の内容がすごく面白かった。そこで授業を受けます。そして、灘中学に入って。
立川:灘中、知らないというか、名前としてしか知らない。すごい中学校らしいっていう。
西尾:灘中は、簡単に僕の解釈で言うと、3分の1がとても真面目に勉強して勉強出来るようになった人達、3分の1が変人、残りがなんと表現したらいいかわからない人だけど、世の中の平均からするとまあ頭は良い。
立川:日本でも有数校。
西尾:この3分の1くらいの引いている中の普通の、例えば、アスペルガーとかの有症率でいったら、50人クラスに1人とか2人とかじゃないですか、灘にはざっと考えても二桁は絶対いたと思うので。ものすごい量でいるんですよ。
立川:アスペルガーのそこそこ社会で暮らしている人って、アスペル同士のコミュニケーションにすごく安心感がありません?
西尾:可哀そうにアスペルガーがクラスに1人しかいないところで生きた人って、自尊心が損なわれる。自尊心が損なわれて、将来がずたずたになったりすると思うんですけど、幸いにして、アスペルガーが3分の1くらい、言い過ぎかもしれないけど、結構な割合のアスペルガーがクラスにいて、そんだけ周りにいると、アスペルガーという存在に対する許容度の高い人達もいるわけですね、先生とか。そういう環境で進んだので、自尊心を損なわれることなく進むわけですよね。この中にいた、アスペルガー傾向が高かった人達とかが、京大の数学部に入ったりとか、そういうふうな進み方をしていって、それぞれの分野で自分のやりたいことをして、世間一般の平均からすると、かなりずれた考え方をしていても、それはそれで、彼らは評価をされて生きていくという幸せなビジョン。っていうことが発生して、僕は幸い、こういった温室にいれて頂いたおかげで、木枯らしに吹きさらされて枯れることなくぬくぬくと育ったアスペルガーなわけです。
立川:たぶん多くの人は、どこかのタイミングで木枯らしにさらさられるわけです。それが例えば大学入ってからなのか、会社に入ってからなのか分からないですけど。
西尾:これ恐らく僕の木枯らしにさらされるタイミングというのは、未踏終了後です。
立川:それはどういうあれですか、当時のステータスは学生?それとも社会人?何歳くらい?
西尾:未踏の終了後に、奈良先端大の授業でグループワークがあったんですけど、なじめなかったですね。
立川:未踏プロトコルに染まっちゃってる。
西尾:未踏プロトコルに染まっているというより「僕はこうだと思う。僕は実績がある。あなたの意見はよく分からない。あなたの意見は間違っているのではないですか?」みたいなことを、それによって相手のプライドが傷つけられて感情的な反発を生み出す可能性があるということに思い至らないまま叩きつけるんです。だから深刻なんです.立川さんより深刻で、僕何年か、立川さんは高校のタイミングですよね。大学院のタイミングでそれが発生している。
立川:やべえ(笑)
西尾:僕ここに飛び級して入ってきたんですけどね、みたいな。
立川:やばいやつですよ(笑)
西尾:なぜかというと、単に子供が全能感持っているのに比べて、全能感持っていたわけじゃないけど、何というか、これはこうだと思う。僕がこうだと思うと喋ったことに関して、ロジックではなく、何となく抵抗する人いるじゃないですか、抵抗する人がなぜ抵抗してきているかロジックが全然読めなくて。今なら分かる、彼らは彼らのアーキテクチャで動いている。例えば、〓00:43:36〓が損なわれることに対しては、すごく感情的に反発したり、今となっては分かるけど、分からなかったから。例え、あなたが先輩だろうが、先生であろうが、あなたの考えは間違っていると僕は思うって。辛いね。
立川:それは辛いでしょうね(笑)
西尾:この後、就職に失敗する人生コースと成功するコースがあったわけなんですよ。これは危うかった。当然のように就職に、面接がありますよね。NAISTの受験での面接の時僕ね「この行列対角化して下さい」「は?対角化って、どこまで詳細説明すればいいですか、簡単ですよね」みたいなことを言って、受かったからいいんだけど、同じことをたぶん恐らく就活の面接でやると、落とされるケース多々あったと思うんです。これは運が良いことに、当時出来たばかりのサイボウズラボに、竹迫さんが「こんな会社があるけど受けてみませんか」って誘ってくれて、未踏で実績出していて、こういう人で、本人は面白い人で、運の良いことにNAIST時代の先輩が、面白いやつだから、技術系のカンファレンスで話さないかと誘ってくれてそれで、じゃあ行って見ます、って発表したりしてきたその実績がそれなりにあった。僕もアスペルガーとか気にせずにオープンでブログに書きまくるわけです、自分が技術的に調査したことをブログに書いていく、とにかく情報量として、アウトプットしたものの量としては、リストとして並べた時に大量にある。そのリストを応募書類につけて出すわけです。 立川:発表機会が出来ましたって時に、新たに作る必要は全くなくて、そこから引っ張ってくれば良い。
西尾:いや、新たに作りまくってたんです。当時は、特に何も考えてなかったので、発表期間に合わせて、発表内容とか作ったり、新しい面白いこと何か出来ないかな、よしこれやろうみたいなこと。そんな感じで、やっていた。その結果「多種多様なことに挑戦して発表実績のある人」という状態になっていた。これが運よく採用されましたと、運良かったです。その後、不適合が発生するわけです、社会に対して。仕事って何だろう悩み。すったもんだあって、ある種の、一言で説明するのは非常に困難だけど、一つの理解としては、僕はコンピュータグラフィックスでアート系のコンペティションに出して、そこで入賞するという経験をしたことによって、評価対象というのは会社に限らない。自分に対して評価をしてくれる人というのは、いくらでも、あちこちにあるものであるから、特定のところから評価されるかされないかは気にしなくてよいという、境地にいたり。
立川:それはかなりブレークスルーですね。
西尾:そう、その結果、社長が反対しているにもかかわらず、東工大のMOTに行くという決断をし。
立川:社長というのは、サイボウズラボの社長さんが。
西尾:サイボウズラボの社長が反対していたんだけど、でも行きたいですと言って、MOTに行くということをし。
立川:それは今は良い方向に転がっているじゃないですか。
西尾:良い方向に、この後いろいろ転がって行ったわけなんですけど、運良いなと。各分岐のあちこちのところで、その後人生が台無しになるシーンあったと思うんですよ。
立川:ありますよね、実際これを、この後、こうなってたから良かったですけど、この部分、ここが止まっていたら(入社後の不適応からのアート入選によるブレイクスルーがなければ)、失敗だったっていう。
西尾:そうですね、誘われてこの会社に入ったのは間違いだったという結論になっていたかもしれない。結果として、今は意気揚々と生きているので、結果オーライですけど、人生良かったかどうかは人生死ぬときしか分からないわけですよね。今のこれが、実は失敗かもしれない。
立川:たしかに、でも30代くらいの時に意気揚々と生きているって大事だと思う(笑)30代、40代を意気揚々と生きられないと、結構辛いなと思って。もちろん、そこから、状況変わるかもしれないですけど、我々そろそろ、下積みという時代では。
西尾:いちおう理屈としては、たとえ60歳からスタートしても80歳まで経歴20年なんだよみたいな感じの事は、ありますけど。むしろ深刻なのは、その手前60年の間に、学習性無力感、自分がチャレンジしてもどうせ上手くいかないんだって、感覚があると、障害にぶつかった時に、頑張ってチャレンジしようと思わなくて回避するじゃないですか。回避しちゃうと突破する経験をすることはないわけですよね。 #悲観的な勘違い 立川:そうなんです、だから、若い頃の無意味な、無根拠の全能感って、ある意味、エンジンだから、それを上手く使って、とりあえず最初に、いけるところまでいかないと、その後苦しいと思うんですよね。
西尾:ロケット打ち上げ時に、加速するために使うエンジンがありまして。
立川:どっかで切り離すんですよ(笑)
西尾:なくなってしまう、たぶん体力的にしんどくなってきたりとか、ちょっとずつ足枷になるんですよね。
立川:結構、気持ちの問題だと思うけど、気持ちの問題だからこそ乗り越えるのが難しい話で。その辺はなかなかありますね。
西尾:気持ちの問題ってすごく大事だと思っていて、なぜかというと、人間が行動するのは気持ちの理論なので、気持ちの問題イコール全ての問題の源であるわけで。
立川:そうなんです、気持ちの問題、that’s allなんです。
西尾:やっぱり世の中、生産性向上とかいって、ツールがどうだとか、いろいろライフハックがあるじゃないですか、その前にやる気を出すというところが一番重要なところで、やる気が出なかったら、道具がどうであっても駄目なんだよねみたいな。
立川:今の残業を減らそうみたいな話、そもそも、残業を減らしたいという強い動機がなければ、残業減らないわけですよ。生活残業に関しては、割と強い動機がありますよね、働く側としては。
西尾:減らしたくないという強い動機が。
立川:夜7時頃まで仕事をして帰るって、ちょっと若くて体力のある社員にとっては、苦痛でもなんでもないわけですよ。それをちょっと、残業代が出るといったら、やりたいわけです。
西尾:5時に東西線に乗ったりすると、死ぬわけで、ぎゅうぎゅう詰めで。ちょっとすくまで、8時頃までやると、電車がすくので、そこまでやろうかなとなりますよね。
立川:夜7時過ぎくらいの仕事って楽しかったりするじゃないですか。なんで楽しいか分からないけど。
西尾:夜7時くらいの仕事が楽しいのか。
立川:時間じゃないのかも。
西尾:暗くて静かになってくるとか。ゲームをしていた時の経験からとか?
立川:なんかテンション上がってくって人がいて。そういう人って、逆に、午前中とか全く仕事してなかったりするんですよね。何の話でしたっけ?
西尾:それぞれの2人が、アスペルガーであるかどうか検討する手前に戻ると、コミュニケーションが出来る出来ない的な話。
立川:我々、二人がアスペルガーだとしましょう、仮に。
西尾:「そういう傾向があるだろうな」としましょう。いちおう、きちんとした診断基準のある、疾病についている名前なので、素人判断で、つけたり名乗ったりするのは良くないことだと僕は思っている。なので「傾向がある」みたいな感じにしましょう。間違いなく傾向はある。
立川:我々は傾向があるので、どうやって、社会とのプロトコルを獲得していったのか。そのプロトコルの獲得の、プロセスを言語化出来れば、それによって助かる子供がいっぱいいると思う。
西尾:いるいる、かつての僕らみたいな。
立川:そうそう、なじめなかった。
西尾:定型発達者プロトコルとか定型発達者アーキテクチャとはどういうものなのか、理解ができれば、幸せになりますよね。
立川:そういう話があると、すごく社会に価値があると思っていて、というのは、これは何か公開される?
西尾:公開する前に確認しましょう。
立川:うちのお客さんでゴリゴリのアスペルガーの方がいた。すごく自分のコミュニケーション能力が無いってことは自覚していて、周囲と馴染めない人生でこれまで来たみたいな。でも、すごく学習能力はあるんですよ。僕は会う度に、女性はこういうことを言った時、女性はどう思っていると思います?みたいな、答えは言わなくて、一緒に考える。それこそ、基本的な、ちょっとコーヒーでも飲みたくない?ってデート中に言われた時、女性はコーヒーを飲む、すなわち、喫茶店に入るということである、それはすなわち、女の人が今座りたいと思っている、そういう動機があるんだ、みたいな。
西尾:足が痛いのかな、みたいな。
立川:変換をする必要がありますと。
西尾:靴何履いているかな、ハイヒールだった、ごめんね連れまわして、みたいな。そういうことですよね?
立川:それは、獲得した人からは当たり前のプロトコルで、すっと出来るけど、持ってない人からすると。
西尾:女性の気持ち分かるかどうか、お姉さんがいたかどうかがすごく影響するとか。
立川:兄弟の存在がコミュニケーションの練習にはなりますね。そういうのをひたすらやったんです。その結果、その人はちょっとずつ改善したんです。
西尾:習得できるスキルなわけですね。定型発達者プロトコル、その場合は女性プロトコルになるかもしれないけど、こういう生き方をしたら、どういうことを考えるかというのは習得できるスキル。
立川:結構なおっさんががっつり習得したわけですよ。間に合うんだと思って、感動したわけです。
西尾:ハードウェア的な機能ではなく、習得可能なスキルなんですね。
立川:しかも、結構大人になっても、そこそこ疑似的に習得は出来る。っていうのは、僕の中では成功体験だったんです。それって、そのプロセスを得ることで人生めちゃめちゃ豊になる人ってすごいいっぱいいるだろうなって。
西尾:いると思う。特に昔の我々みたいな。
立川:(笑)
西尾:どうやって習得したかのところで、会社に入って悩んでモヤモヤしていたこの時期に、クチイ君と深夜まで、ガチ哲学論争をしていた。今となっては具体的な議論の内容は覚えていないから哲学論争ってくくっているけど、要するに、人とは何か、人はどう考えるか、どう振舞うか、そういう話をした。僕と彼の価値観は激しくずれていた。激しくずれていたんだけど、お互い、哲学とかロジック要素はあるので、ロジック掘り下げていって、これは作業仮説としてお互いが認めている仮説に違いがある、公理系が違う、と理解した。それで、僕もそちらの公理系を仮に採用したら、同じことが構築できる、みたいな感じのことがガチ議論をしたわけです。それは教育目的というわけではなかったと思うんですけど、結果として、僕はクチイ君のエミュレータとして、クチイ君からすると非常に使える道具として。お互いがエミレーターが出来たことによって、つなぎ目が出来た。すごく効率の良いコミュニケーションチャネルが発生したんです。 立川:つまり、エミレーターというのは、決してどちらか一方が持っているわけではなくて。
西尾:互いが互いの心の中に相手のエミレーターを持っている状態がコミュニケーション効率が良い。なぜなら、ほぼ同一の人物と同じようなことになる。知識は異なっているけれども、思考に関しては、共通の心を持っている、融合人格として。これは説明として。 立川:融合人格いいですね。融合人格には、お互いのコミュニケーションプロトコルを、エミレーターをお互い持つことで、仮想相手の人格を持てますと。そうすることで、あたかも一つの人格のように振舞うことが出来ます、外から見た時。
西尾:「外から見た時に一つの人格として振舞う」と言った時に、三人目の登場人物が出てきている。もう少し具体的に考えるとAさんBさんがやってるあるプロジェクトがあって、このプロジェクトに対して、普段はAさんがハンドルを握っているとする。でもAさんが不在の時に情報や質問なりが入ってきた時に、これはBさん自身は判断できないけど、Aさんの思考回路をエミュレートして「Aさんはこういう意図があって、こうこうしていると思うので、この入力に対してはこういう出力を出すのではないか」と考えることができる。で、これであっているかとAさんにメールを投げて、そうすると、Aさんは説明しなくてはいけないことの9割くらい僕が言っているので「そうなんだけど、プラスαにちょっとここをこうして欲しい」「OKOK、じゃそれでやっとくね」みたいな感じで、プロジェクトへの入力に反応することが出来る。これ実話なんだけど、つい先日あった。
立川:それ聞いて、すごい最初の頃に西尾さんにこういう講演をして欲しいって送ったメールを思い出しました。あれも今思えば、仮説の方向はかなりずれていたと思う、でも、とにかく、違うところに仮説をガって積み立てると、何が違う、何が同じか、観測可能になる。
西尾:確かに、この講義を解析した結果、こういうパターンがあるに違いないと仮説のメールを送られて来た時に、僕自身はその仮説には同意しなかったけれども、こういう分析は僕がしたかったことであって、僕の人格はそれに対して価値を感じていることであって、おっ素晴らしい、みたいな。
立川:あのメール当時、シロタさんが若干ひいいていたらしいですから。なんでこんなの送ってるんだみたいな(笑)僕からすると、たぶん西尾さんこういうの好きだろうなと。
西尾:あのメール、ものすごく評価高いです。やはり、我々とシロタさんの間には、何らかのアーキテクチャの違いがあって、我々の間ですごく効率よくお互いハッピーになるコミュニケーションパターンとか、イベントのやり方をした時に、必ずしもそれでみんながハッピーになるわけではなく、違う価値観の人達も世の中にはいる。
立川:あれは結構、印象的な出来事でしたね。あの時に、変に普通のメールではなくて、思い切った仮説を持って書いたのは良かったなと、今思えば。
西尾:あれはいわゆる、普通の打診が来ていたら、普通の発表をして、一回きり終わりだったと思います。
立川:不思議ですね、何かあるんですね。それは僕は前提として、クチイさんが面白いと言っている人だから、みたいな情報がでかかった。
西尾:結局、その辺のメンバーが同族である。
立川:ってことは、こういうふうに言った方がいいだろうなと、仮説がたつわけです。
西尾:一方で、クチイ君が本当に同族であるのか、クチイ君は定型発達者で、突角したタイプであるのか、っていうのは。
立川:分からないです(笑)
西尾:これは、こっち(非定型発達者が定型発達者のプロトコルを習得しているパターン)であると考える証拠がいくつもあるにもかかわらず、彼があまりにも習得能力が高すぎて、本当に定型発達者プロトコルを定型発達者より高い能力で実行できるから。
立川:前提として、たぶんこれ(非定型発達者が定型発達者のプロトコルを習得しているパターン)なのはかなり確率が高いはずなんですけど、ただ、言いきれない部分がある。限りなく黒に近いグレー(笑)
西尾:要するに、圧倒的な他者理解スキルによって、もはやそれが、最初がどうであったか分からないくらい学習が進んでいる。
立川:そうそう、分からないそこ。見分けがつかない。あの人、本当に素で、週刊SPAとか読んでそうじゃないですか。
西尾:素で、週刊SPAを読んでいるどころか、少なくとも、この時期だったら、パチスロ行っていたかも。肉体労働系の人達と話を合わせる為に、風俗の話をしたり、そういうことを普通に出来る人だ。相手のインターフェイス、相手が関心があることを本当に理解した上で、相手の関心があることを話出来るところまで学習することが出来てしまう超人なんですよ。なので、最初のこの誕生時の初期値がどうであったか、もはや、分からなくなってしまっているタイプ。逆にそこまで超人的な他人の理解スキルが発達したのは、子供の時から周囲の人達が自分とは違う人だと認識していたから、それを理解しなければいけないと振ったのかもしれない。
立川:クチイさんのすごいところは、理解しなければいけないというところに、割と早めに振ったところ。我々は、理解しなくていいじゃんというところで、結構大人までいっちゃったと思う。
西尾:理解出来ないな、ホワーン、で就職するところまでいっちゃった。
立川:(笑)そこまで保持するのはすごいなと思いますけど。
西尾:だから、最初はずっとこうしていた。
立川:今日出た話で一番大事なのは、いわゆる、定型発達者では無い人、大人でも子供でも、が、定型発達者の思考回路を学べるプロセスみたいのは、ものすごい価値がある。さらに言うと、より厳密な話をすると、定型発達者かそうじゃないかっていう議論があって、人にはいくつかのコミュニケーションプロトコルがあって、それが組み合わさって、個人の考え方の癖が出来ている。
西尾:定型発達者かどうかで線を引こうとすると、絶対揉め事になるので、そうでなくて、人にはいくつかのベクトルがあります、ロジックで説明する方が伝わりやすい人もいるし、共感する方に持って行った方が伝わりやすい人もいます、みたいな話。
立川:自画自賛ですよ、〓01:04:12〓さんって女性の方がいて、皆でディスカッションしていた。新しいことを始める時って、どういうプロセスがあるか言語化してみましょうっていう話になった。ある女性の受講生の人が、私は朝起きて、それが頭に思い浮かぶっていう日が10日連続で続いたら、それをやります、って言うんですよ。欲しいバックとか、新しく始めたいこととか、何でもいいらしいんですけど。僕それを聞いた時に、なんてまどろこしいことを。
西尾:初日でやるよね、って僕も思った。同じだった(笑)
立川:10日まで、せいぜい5日。
西尾:そもそも論として、10日って覚えてられる気がしない。今が何日目とか覚えてられない。
立川:ビックリした、そこまで自分と極端に離れた考え方で生きている人っているんだって、結構面白かった。そういうのをしっかり理解して、その人がなぜそういう、考え方とか行き方を得るに至ったのかみたいのを、いくつかパターンがいっぱいあるはず。いっぱいなのか、意外と少ないのか。
西尾:まず、いっぱいあるということを本当にあくまで腑に落ちた状態で知るのが大事ですよね。皆が自分と同じと思いこみがちという話が最初にあったじゃないですか、あれが、そうではないと、皆は自分とは違うんだと。
立川:僕ね、すごく子供心に違和感があって、大人になってから、その違和感説明できますけど、人からやられて嫌なことは人にもするな。おかしいだろうと、子供の頃は、おかしさが言語化出来なかった。大人になって思うのは、つまり、人と自分は違うのだから、自分にとって良い事と相手にとって良いことは、イコールでは全然ない、っていうことが分かって。
西尾:「あなたはこの宗教を信仰したほうがいいわよ」って言いに来るからね。
立川:それは、人に言われて嫌な事を自分もするなと、正しいことなんです。ただ、変ですよねそれ、普通に考えて。ということがあるので、あの言葉は良くない。
西尾:均質であるというのが大前提にあるから、とても良くない。相手が何をして欲しいか、相手にちゃんと確認してそれをやるべきなんです。
立川:あれは道徳の。
西尾:僕このアニメのキャラクターが大好きだから君にあげるよ、って人にプレゼントしては駄目なわけで。一緒にお酒飲もう、僕お酒大好きだから、ってのも駄目な人いる。このクッキー美味しいから食べてって小麦アレルギーの子供に食べさせるおばさんとかいるわけですよ。全部同じです。自分が良いと思っていることが、相手にとって良いとは限らない。
立川:それって、割と角度高く、そうだろうと自分で信じていることですら、結構違ったりするんですよね。っていうところは、すごく難しくて。これは本筋ではないですけど、じゃあ、全ての考え方が全くフラットに尊重されるべきなのかということは、議論の余地があると思う。ただ、基本的には、いろいろな考え方のプロトコルがある。
西尾:全ての考え方をフラットに尊重されるべきっていうのは、よくあるパラドックスが生まれるやつですね。「すべての考えがフラットに尊重されるべきではないという考え」を尊重すべきかどうか。
立川:パラドックスだそれは。
西尾:なので、ここは置いておいて。結局、自分の観測範囲のことに関して、均等に扱うことは人間には出来ないと思うので、自分が良いと思うものを良いと思うし、そうでないものは思わないというものになると思うんですよね。
01:08:50
立川:僕は、生きづらいコミュニケーションプロトコルを持っている人に対して、いくつかのコミュニケーションプロトコルのモジュールをさずけるみたいなことには、ものすごく前向きですね、意味があると思う。それに対して、定型外発達、なんていうんですか?
西尾:非定型発達者。
立川:非定型発達者に対して、どういう〓01:09:21〓を取れば良いのか、みたいな話で。僕がよく見るのは、居場所を作ってあげようとか。
西尾:居場所を作って、仲良く和気あいあいとする場所を作りましょう、そういうのは嫌だって言っただろう、みたいな(笑)
立川:そう(笑)
西尾:なんで人と和気あいあいと、例えば、一緒にランチ食べに行ったりとかしたら、ハッピーだとか勝手に決めつけてんだ、という。
立川:大前提がおかしい。
西尾:それは、あなたがた定型発達者の皆様は、他の人と料理食べに行くのは楽しいと思っているのか知らないけれども、我々としては、気の合う少数の人と議論するのが楽しい。世の中の、例えば、大人の非定型発達者とか、大人の発達障碍者みたいな感じの教科書とかある、定型発達者の医者が書いている、アスペルガー傾向に関して、医者って、アスペルガー傾向が低い分野なんです。数学とか高いんだけど。
立川:意外、低い?
西尾:医学は低いんです。あれは対人活動なんですよ。なので、もちろん、高い医者も世の中にはいるのはさておき。定型発達者の医者が「非定型発達者はこうした方が良いよ」と書いた文章は役に立たなくて、一方、最近、僕が非定型発達者に興味を持ってから、5年か10年経っているので、大分世の中温まってきて、非定型発達者が非定型発達者にとって、どうであるのが良いかアウトプットしている機会が割とあるんですよ。それ見ると、面白いんですよ、最近読んだやつ(これのこと: 大人の発達障害について考える)だと、非定型発達者が5人くらいいて、まず皆さん一言ずつ自己紹介して下さい。一言とは、どのくらいですか?みたいな。こんな感じこんな感じ、みたいな。いかにも。一言とは、一単語なのか、5分なのか、1分なのか、みたいな。いかにも感が。とても共感できる。そういう人達ね、みたいな。曖昧な指示を出すのは止めて下さい、みたいな感じになる。 立川:例えば、西尾さんは、クチイさんとの、議論の中で、ちょっとずつ人間性を獲得した。僕も似たことがあったと思っていて、僕の場合は、近いんですけど、無理やり人と関わる傾向があったんですよね。具体的には、高校時代に、文化祭実行委員とか、生徒会やったりとか。
西尾:それは自発的に手を挙げたのではなくて、無理やりだったのですか?
立川:自発的でしたね、苦手とは分かっている、苦手というか、人とのコミュニケーションは得意ではないと自覚はあるんですけど、人とのコミュニケーションが得意でない自分がやっても、何も問題はないだろうと思っていた。それが障害になると信じていなかったし、実際にやってみると、ガチャガチャと摩擦が起こる。ってなった時に、この摩擦を解決したいと思った。自分のコミュニケーション能力をどうにかしたいではなくて、この自分と人との起こっている摩擦をどうにかしたい。
西尾:なるほど、自分が悪いからコミュニケーションに失敗するんだという自責の感情で潰れちゃう機会が多い反面、摩擦という現象は、双方の間に起こる。よくあるコミュニケーション能力ある無いという話が僕は大嫌いで、コミュニケーションが失敗したという事例は、両者の間に発生していることだから、どっちが悪いじゃないよね。
立川:そう、そもそもどっちが悪い話では本来無いはず。お互いのコミュニケーションのプロトコルがミスマッチだった話なので。本来は、どっちかに責任がある話では本当は無い。
西尾:でも失敗しがちな、要するに、多数派とずれている人というのは、失敗を経験する確率が高いので、それを自分の責任であると自分に紐づけて考えた瞬間、心がズタズタになるわけです。
立川:そうなんですよ。自分の場合、潰れずに済んだのは、メンタルが強かったというのが大きいのかもしれない。いろいろなコミュニケーションのプロトコルの整理が出来たら、有意義だと思ったんですよね。
西尾:整理とは具体的にはどういうことですか?
立川:まず、そもそも、どういう軸で分類すれば良いのか、というのを明らかにして、その上で、ある程度、っぽいよね、みたいな、モジュールの最小構成単位みたいな、それに対して言語化による説明が出来るようになると、それを材料として、体形が出来ると思う。
西尾:なるほど、今、立川さんは、まずどういう分類にしたらよいか、トップダウンの分類から話がスタートしたんですけど、エンジニアの知的生産術で書いた通り、まず具体的な情報を集めて行って、それを一覧するようにして集めていったら、事後的に構造が出来る。たぶん、日常のお仕事をやっている過程で、いっぱい事例が出てくると思う。その事例がそのままだと伝えられないのを、まず思ったことを書いて、しばらく寝かせると、これは別にいいやみたいなことは落ちて、抽象化された、匿名化された情報を沢山集めていくことが出来る立場にいるんです、僕は出来ない。それって、結婚したいということは、相手と良好な関係を持ちたいと思っている男性と女性がコミュニケーションする時に発生する事例なわけで、これが100件とか集まって、そこから構造発見したらすごいですよ。絶対売れる本になる、実データがある。何人も話してきた中から、抽象化して、構造化して、ちゃんと説明できるようになったら、これはすごく有益なものが出来る。ニーズも絶対あるし。 立川:正にやっていることは、ずっと変わっていなくて、人の思考の言語化なんです。
西尾:今まで自分の中だけでやっていたことを、アウトプット、上に書かれた状態で蓄積していくことによって、消えなくなるし、一次記憶で持てるよりも沢山の量を一度に持てるようになるんです。そういう状況を続けていって、100くらい貯まった後って、すごく面白いことが発生しそうな気がしないですか?
立川:しますね。
西尾:役に立つし、例えば、会社の規模を拡大して新しい人が入ってきた時の教育資料としても、とても有益ですね。
立川:教育資料の拡充は継続的にはやっているんですけど、そういう一大トピックを加えるというのは、ここ何年か無いです。
西尾:これをスタートして、たまっていくのがどのくらいの速度か分からないですけど、徐々にたまっていくのでいつかのタイミングで、絶対100には到達するわけですよ。
立川:半年とか三カ月とか期限決めないと、絶対100いかないと思いますね。
西尾:今100って思っているから、遠いと思って心萎えているんです。例えば、これが終わった後に、タイマー設定して、思いつくことを全部書いてみよう、とやるわけです、それが何枚かカウントすればよいのです。
立川:それをかける何枚かすれば、どれくらいの負担かが分かるから。
西尾:作業負担だと思っているからつらいんです、そうではなくて、今まで自分の頭の中だけで重たく支えていたものを、出して、楽になった、書いてここに置いたから楽だ、また湧いてきた、って感じ。どんどん刈り取るとキノコ生えてくるんですよ。取ればとるほど新しいのが生えてくる。
立川:それ、僕結構、昔から意識的にやっているつもりなんですけど、課題があって、書き散らかしたメモがたまっている、なんか昔似たようなこと考えたんだけど、どれだったっけなっていうのが分からない。西尾さんはスクラップボックスでどうやるか試行錯誤しているじゃないですか、どうやっている?
西尾:たとえ、まず何か書こうと思った時に前に似たようなことを書いたような気がすると思ったとしても、今大事だと思ったことを書くんです。なぜかというと、共通なことを見つけようとすると仕事が重たくなるから、そうではなくてアウトプットは、まずアウトプットして終わらす。前に似たことあったよなと見つける作業をするためには一覧性が高くないといけない、だから紙に長文で書いていって沢山になると見つけづらい。なので、僕は付箋を使っていて、付箋にはちょっとしか書けない、それが100枚になった時点で、100枚だったら全部机に並べて見ることが出来る。これとこれは3か月も離れてるけど、同じことを言っている、ということが起きる。スクラップボックスは、KJ法みたいに並べてみることが出来ないので、そこのところは弱い、長文を書いてしまいがち。けど、同じキーワードが入っている1年半前のキーが出てくることがあるので、KJ法とスクラップボックスはどちらも有益だけれども、どちらかだけだと僕は駄目で、どちらか捨てろと言われたら、KJ法を残してスクラップボックスを捨てる。なぜかというと、一覧して総合するのは、それでしか出来ていないから。
立川:近いところがあるのですけれども、子供の頃から、ただ道を歩いているだけで、いろいろ着想が頭にバーっと来るときに、これどうすんねん、みたいのが課題としてある。それを僕はブログに書くみたいに発散していたけど、ブログに書いても、過去の、mixiの時の日記とか超たまってる。
西尾:そう、過去のブログとかTwitterの発言とかね、有益なものが埋まっている気がするけど、掘り出せない。
立川:なんか良い方法がないかなというのが、ずっとあるんです。確かに、付箋を貼るというのは大事なのかな。
西尾:あと、過去に良いのがあった気がするけど、見つけることが出来ないのであれば、それは無いんです。取り出すことが出来ないものは、今5分時間かけて見つけることが出来るか出来ないか、それを見つけることが出来たとする、それは5分時間を費やしている、5分間で考えたことがそれよりも価値が高かったら、そっちの方が良い、ってなった時に、すぐに出てこないものは、どんどん価値が下がっている。ちょっと探してTwitterの自分の発言を検索してみるとか、自分のブログを検索かけてみるとか、いくつかのキーワードで探してみて、すぐに見つからないのであれば、無いんです。ある気がするのは気のせい。部屋の片づけと同じで、いつか訳に立つかもと取って置いたものは、必要な時に出てこないわけです。
立川:西尾さん、マジック・ザ・ギャザリング、やったことあります?
西尾:ないです。
立川:カードゲームってことは知っていますか?マジック・ザ・ギャザリングの考え方の中で、昔から「引くことが出来ないカードが存在するか」の話があって。
西尾:引くことが出来ないカードは存在しない?(笑)
立川:そう(笑)引くことが出来ないカードでも存在していると考える派閥は、山札を捨てることを嫌うんです。けど、引いてないカードはそもそも存在しない派閥は、山札を捨てる効果のあるカードを使うことを恐れない、という二大派閥があって、みたいな話を思い出して。
01:22:19
西尾:何か今思っていることをとりあえず吐き出してしまうという。
立川:僕の中で最近ブームになっている、操られ力と同じくらいブームになっている考え方があって、それは、いかに、経験、学びって、たぶん似たようなことをいろんな人が言っていると思う。僕は学びって、経験量。
西尾:時間的に次が来る可能性があるので。もしよかったら、今写真撮って頂いて、とりあえず後でFacebookか何かで送って頂いていいですか?
01:23:30
西尾:一旦、締めつつ、まだレコーダーはまわっているので、思いついたものは喋って頂いていいです。
立川:もう一つ、いかに、経験とか感じたことからの学び量を最大化するか。要するに、同じ経験をしても、そこからものすごく深い知見をいれば、何も得ない人もいる。じゃあ、どうすれば、同じ量の経験でも、深い知見を得られるか、めっちゃ考えるんです最近。
西尾:経験の量で測るのはおかしいと思う。
立川:僕は経験を、今のところ量としか言っていないのは、質の測り方がよく分からないからです。
西尾:経験の量とか質とか、両方とも一つのスカラー値に対応する概念のわけだけど、そうではなくて、ジグソーパズルのピースのような不定期な形のものがふってきて、上手くはまるかはまらないか、はまらなかったら流れ去っていくと思う。なので、沢山はまるような網目が準備されていたところにいっぱいはまるけれども、〓01:24:42〓して終わりみたいな。
立川:ということは、受け止める準備が必要みたいな。
西尾:というか、理解するための知識が必要。ぶっちゃけ、例えば、今ここで僕が日本語で喋っているのをドイツ語で喋ったとしたら、分からないじゃないですか、これ日本語とかドイツ語。