エミュレータ
機械を真似る機械
ある機械部品やソフトウェアを動作させるのに、オリジナルのシステムを用意するのが難しい場合に、オリジナルと全く同じ動作をするより簡便なシステムを用意することがある。この装置をエミュレータと言う。エミュレータの上で、動作させたいソフトウェアや機械部品をオリジナルと全く同じように機能させられる。機械装置やハードウェアだけでエミュレータを作成したり、ソフトだけで作成したり、あるいはその両方を同時に使う。
たとえば、巨大な工作機械や航空機などは部品の設計段階や試作段階から装置全体を使ってテストをすることが困難である。そこで、テストする部品以外の部分をエミュレータで代用する。あるいは反対に、一部の部品をエミュレータに置き換え、極端な負荷をエミュレータから発生させて、システムの耐久性をテストしたりする場合などにも使われる。
本を読んで抜き書きしたものを使ってKJ法をするのでも、他人の視点からの情報を混ぜて再度耕すことに相当しそうに思うかもしれません。ですが私の実感としては、なかなか難しいです。その難しさには3つの要素があります。まず、本に対して自分が教えることはできないので、ついつい「教わる側」という態度になってしまいがちです。次に、「そのタイムマシンはどういうタイムマシンですか?」というように、単語の意味を確認できません。著者が書いた単語を自分なりに解釈するしかありませんし、その解釈が正しいかの検証が困難です。最後に、本は能動的に語りかけてきません。自分が授業などをした場合には、質疑の時間に聞いていた人が能動的に質問を投げかけてきます。それは他人の視点から見て重要な部分に投げかけられます。本から抜き出す場合は、他人が書いたものから、自分の視点で見て重要だと思ったところを抜き出すことになります。本とは双方向コミュニケーションができないのです。
私とKJ法との付き合いを解説すると役に立つのではないかと思います。まず最初に川喜田二郎の本を読んで、KJ法は有用な方法だと感じました。次にKJ法をいろいろな本の抜き書きの構造化に使って、有用だという気持ちが確信に近付きました。この有用な方法をほかの人に伝えたいという気持ちが高まりました。そこで、川喜田二郎のほかの本も含めて抜き書きを作りKJ法をしました。書籍の内容を一度噛み砕いてふせんにし、それを自分で再構築することで、自分の中の理解を育て、川喜田二郎の考え方のモデルを作ったわけです。これを私は「自分の中に川喜田二郎エミュレータ(注1)を作る」と呼んでいました。この段階では、自分由来の情報より、川喜田二郎由来の情報のほうが多かったです。 講義をするとき、エミュレータができているかどうかで、質問されたときに答えられるかどうかが変わります。本から書き写しただけの知識では、本に書かれていない質問に答えることができません。エミュレータがあれば、自分の代わりにエミュレータに考えさせることによって、本に書かれていない質問に答えることができます。そのエミュレータを使いながら、講義をして他人の反応を観察したり、講義資料を改善したりしました。そうすると、オリジナルの本の表現では伝わりにくいところが見つかってきます。「トップダウンではなくボトムアップ」「関係ありそうなものを近くに置く」などの表現は伝わりにくかったです。どうすれば伝わるだろうと考えはじめ、エミュレータが私の経験をもとに新しい記述を作りはじめます。今回「関係ありそうなものを近くに置く」という川喜田二郎の言葉は、私によってかなり解説が追加されました。 このように他人から「これがわかりにくい」という情報を得て、それを耕したわけです。そして、耕し、芽生えて、育てた結果が書籍の形になったものがこの本です。大勢の人に見ていただくことで、私の学びを加速することを期待しています。
(注1) ある機械の動作を別の機械で模倣することをエミュレーションと言い、その模倣する機械をエミュレータと言います。たとえばゲーム機によっては、昔のゲーム機のゲームを遊ぶことができる機能を提供しています。これができるのは、新しいゲーム機の内部に古いゲーム機のエミュレータがあるからです。