生簀のメタファー
生簀(いけす)
「捉まえた」魚を「生きたまま」「泳がせておく」ために使われます。もちろん、必要になれば、即座に(漁獲のような手間を掛けずに)再捕縛できることも重要です。
「アクティブ」は、むしろ総数を限定する(私の言い方をすれば、閉じて動かす)方が価値を発揮します。人間の認知の領域下に置ける情報の数は限られているので、なんでもかんでもを「アクティブ」にしない方がいいのです。
お魚ちらちら状態: 簡単に言えば、無意識のメタファーとしての地底湖があり、そこに浮かんでくる魚たちという着想がある、その着想をうまく捉まえることが、アイデアマネジメントにおいて肝要である
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その情報を保存したときの自分にしか読解できないのであれば、それはその時点の自分の枠組みに捉えられた状態ということになります。これは「自律」していません。泳げないのです。
つまり、最初に着想が意識下に捉えられ、それを意識の外に出す際に、異なる意識であってもその着想が自律できる状態で保存されるとき、その情報は「泳ぎうる」のです。
でもって、それが「文章での説明」、つまり豆論文化です。 「泳ぐ」とは何か?