利己主義という気概
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0xtkgshn 一般論として、倫理とか哲学、思想の本は本だけでは解釈できないなと。文字でしか無いので、それをどう経験と交流含めて広く読んでいくかが味わい深いなと思った。(「利己主義という気概」、自分が薦めてはいるものの会話の中でより深まる) 0xtkgshn 「誰もが欲しがらないクリスマスプレゼントを交換する」ような利他主義をベースに世界を認識するのはしない方がいい。自分もだし、他の人もしない方がいい、一旦それをやるとキリがなくなるし逆にコーディネーションが難しくなる。そして唯一コーディネーション出来るのは、利己主義。 0xtkgshn 自分を満足させるためにやるべきことをやらなければいけない。そして、利他主義に見えるのは優しさではなく”自分がやりたいから”と思い続けなければいけない。相手のことを思ってると解釈しながらやった瞬間に変な期待値を産んでしまう。全員が利己主義的に交換をしてたら生まれない。 「自分の利益のために行動をするのは当然である」という通念がまずあり、それをみんながやると力のある者が利益を得る 利益は悪、力は悪、自分の利益のために力を使うのは悪
2024-08-30
原題はThe Virtue of Selfishness: A New Concept of Egoism
「自己中であることの美徳」みたいな感じnishio.icon 「利己的」ってイコール「邪悪」みたいに思ってる人がいるけどおかしくないですか〜という主張nishio.icon なぜなら道徳的価値の定義として利他主義は「他人のために行ったことは善、自分のために行ったことは悪」だから
行為の道徳的価値が受益者によって決まる
道徳的であるということが自分を傷つける
自分で自分のために尽くすことがゆるされないので他人に「もっと自分のために尽くしてくれたらいいのに」と恨む気持ちが生まれる
自分のために生きることに対して罪悪感を生み出す
「送られる側が選んだわけではないクリスマスプレゼントを交換するようなもの、自分のために買うことは道徳的に許されていないので欲しくもないものを交換し合う」
価値のあるものは人間の活動によって生み出される。
利他主義は「生み出された価値の受益者は、生み出した人ではなく、活動しなかった人だ」と主張する
利己主義を攻撃することは、人々が自分を大事にすることを攻撃することになる
なるほどな〜nishio.icon
「利己主義 v.s. 利他主義」みたいな対立構造や、「利他主義は善だから利己主義は悪」という誤った二者択一がよくないってことだな 訳者コメント
ああ、これには反対の立場なのか
国が個人から価値を取ろうとするな、互恵的交換にしろ、的な考え
利己主義とは
生き延びるのに有益なものが「善」、有害なものが「悪」
この定義だと、今すぐ死なないくらい余裕がある人にとっては、周囲の死にそうな人を助けて恩を売ることが今後のイレギュラーな事態の助けになる確率があるのだよなnishio.icon
長期的視野に基づいた合理性がないと生き延びられない
厳しい環境ではそうだろうなnishio.icon
日本は長らく平和なのでピンとこない
ランドが12歳の時、二月革命(1917年)が起きた。...その後の十月革命と、ウラジーミル・レーニンが指導するボリシェヴィキの独裁確立により、ランドの一家はそれまでの快適な生活を破壊された。父の薬局事業は没収され、一家は転居を強制された。ランド一家はロシア内戦中白軍の支配下にあったクリミアに逃れた。...ランドが16歳でクリミアの高校を卒業した後、一家はペトログラード(旧サンクトペテルブルク)に戻った。ペトログラードでの生活条件はひどく、時に飢餓寸前の状態に陥った。 なるほどな
互いの獲得した価値を合意の元で交換する互恵的関係が理想
価値を生産し提供することなしに他人の価値を手にしようとするのは寄生虫である
おっ、語気が荒いなwnishio.icon
この道徳の実践を擁護するのは資本主義である、個人間の合意に基づく交換に干渉し規制する体制は邪悪である
レーニンに対するヘイトが感じられるwnishio.icon
個人の生き延びる権利と所有権を保護するのは夜警国家である 暴力による諸権利の侵害を抑止する力を持ち、暴力に反撃するときにだけそれを使う
暴力の心配がなくなると、生産に専念できる
政府運営資金はサービスに対する国民からの自主的支払いであるべき
おっ、税金を否定したぞnishio.icon
自分の努力によって獲得することなく、価値あるものを入手しようとするなかれ!
体制によって自分(親)の持っていた価値を奪われた体験から来てるんだろうなnishio.icon
真善美の定義に関して、プラグマティズムは「自分の人生に有益な知識が真」とするわけだが、アイン・ランドの利己主義は「自分の人生に有益な行為が善」とするわけだnishio.icon ここでいう利己主義は理性的で長期的なもので、短期的な欲望で行動して後で損をするような行動はNGなわけなので、世の中で「利己主義」と呼ばれてるものより狭い気がするなnishio.icon
「長期的視野に基づいた自己利益」いい表現だ
訳者コメント: 哲学に自己啓発的指針を接続させている
納得感ある表現。だからこの本は大衆からの評価が高く、知識人からの評価が低いのだろうnishio.icon
訳者コメント: アイン・ランドの客観主義は自由主義の中でももっとも自由至上主義的なリバタリアニズムに属すると考えられている 本人は自分をリバタリアンとは考えていない
「どう生きるべきか」は普通は個人の自由だが、アイン・ランドは長期的視野に基づいた自己利益の追求を「そう生きるべき生き方」として提示してるnishio.icon
なるほどな、それは確かに自由に対する干渉だ
「どう生きるべきか自己決定しろ」という自由は大衆にとって荷が重い
なのでそれを与えてくれる「宗教」にニーズがある
アイン・ランドは利己的に生きるという「宗教」を与えたから大衆に受けたし、その宗教が普遍化することを理想と考えてるから信仰の自由がないんだよね
教会に寄付することは悪とみなされそうだし
nishio.iconアダム・スミスに対する原子論的・個人主義という批判は誰がやってますか gpt.icon
アダム・スミスに対する「原子論的・個人主義」という批判は、主に19世紀以降の社会主義者や経済学者、特にマルクス主義者から行われてきました。例えば、カール・マルクスとフリードリヒ・エンゲルスは、スミスの経済理論が個人主義的であり、社会全体の関係や構造を無視していると批判しました。彼らは、スミスの経済学が社会的・歴史的な文脈を欠いているとし、そのために資本主義社会の問題を十分に説明できないと考えました。 また、現代の経済学者や社会科学者の中にも、スミスの理論を「原子論的個人主義」として批判する者がいます。彼らは、スミスの市場経済モデルが個々の利己的な行動に過度に依存しており、社会的協力や共同体の役割を軽視していると指摘しています。こうした批判は、社会経済学や制度経済学などの視点からもなされることがあります。 問題意識は同じだが結論が真逆で不思議〜という訳者
2024年のホットな話題である円キャリートレードの話がここで出てくるのは予想外だったな(この本は2008年)