ポランニーの暗黙知
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「メノンのパラドックス」はプラトンの対話篇『メノン』に由来するもので、「もし何かをすでに知っていれば探求の必要はなく、知らなければ探求の手がかりがないから、そもそも探求は不可能ではないか」という問いに要約される。しかし実際には私たちは「答え」を知らなくても、それを求める過程で「これだ」という確信や「近づいている感覚」を得ることがある。 マイケル・ポランニーの「暗黙知(Tacit Knowledge)」や「暗黙知の次元(The Tacit Dimension)」は、この「答えに近づいている感覚」の背後にある知識のはたらきを説明する有力な概念とされる。たとえば次のように理解できる: 1. 部分的・暗黙的な知識が“探求の方向”を指し示す ポランニーは「私たちは言葉にできる以上のことを知っている(We can know more than we can tell)」と述べ、まだ明示化されていない下支えの知が、何らかの閃きや正解への道しるべを与えると考えた。 メノンのパラドックスで「探求の糸口がない」とされる状況でも、実際の探求では、経験や身体感覚、これまでの知識の断片など、言語化しきれない暗黙の知が大きく働き、「何か違う」「ここはいけそう」といった直観を得る。 「何か違う」のことを「違和感」と呼んでるnishio.icon 2. 「従(subsidiary)」と「主(focal)」の統合
ポランニーは、探求や創造を行う際、人は中心的に注意を向ける対象(主)だけでなく、周辺的に把握している知覚や感覚(従)を統合していると説く。
数学の問題を解く際、式変形や定理の適用などは「主」に意識が向くが、その背後で経験的に培ってきた勘や知識の連鎖が「従」として暗黙に作用し、「この方法は行けるかもしれない」と感じさせる。
3. 暗黙知がパラドックスを“実用的”に解く
メノンのパラドックスは一見すると、理論的には「知らないことを学ぶのは不可能」に思えるが、私たちは日々の学習や研究の中で「まだ正解がわからなくても、手ごたえを感じながら前進する」経験をしている。 このギャップを埋めるのが暗黙知の働きであり、完全な未知であっても、部分的な手がかりや文脈的理解が私たちを導き、やがて明確な答え(形式知)へと到達できる。 要するに、「答えに近づいている感覚」は、暗黙のレベルで何かしらの手がかりを統合・活用しているからこそ生まれるものだと考えられる。これは「言葉にできる以上のことをすでにある程度“知っている”」からこそ、方向性を見いだせるというポランニーの主張とも呼応している。
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マイケル・ポランニーの『暗黙知の次元(The Tacit Dimension)』では、単なる「言語化しづらい知識」以上に、知識そのものが「暗黙」を含む構造をもつことが強調される。彼は「私たちは言葉で説明できる以上のことを知っている(We can know more than we can tell)」という有名な言葉で、その“次元”の存在を示した。
具体的には以下のようなポイントが挙げられる:
1. 暗黙知の構造—「従」の意識と「主」の意識
ポランニーは、人が何かに注意を向ける際「従(subsidiary awareness:周辺的・下支え的な意識)」と「主(focal awareness:中心的・焦点的な意識)」の二段階があると説く。たとえば、楽器を弾くときには指の動きや楽譜を無意識に支えつつ、演奏全体の音楽表現に意識を集中している。暗黙知はこの「従」の意識として機能し、知識の根幹をなす。 2. 暗黙知はパーソナル(個人的)かつ身体的
暗黙知は個人の身体や経験に根差すため、完全に客観化・形式化しきれない。それはその人の背景や文脈、身体感覚に結びつき、言語やマニュアルだけでは伝えきれない部分を含む。
暗黙知を言語化するとき、価値を保っていることはないnishio.icon
身体感覚などを切り離し抽象化されたものになる
o1 Pro.icon背景として働くものは、あくまで暗黙のうちに機能し、意識的に取り出して言語化しようとすると、むしろ意味が失われてしまう
例えば、文字を読む場合、私たちは一文字一文字に注意を集中しているように感じますが、実際は一文字ずつを背景に置いて、文章の全体的な意味に焦点を当てています。一文字一文字に「何の字か」を逐一意識すると、文章全体の意味を把握できなくなります。この「背景に置かれている文字を通じて、文章の意味という別のものを理解する」プロセスが、まさにポランニーのいう暗黙知の次元です。
3. 探求や創造の源泉
科学研究なども含め、新しい発見や技術の習得には必ず“暗黙知”が働く。データや理論のような明示的知識だけでなく、暗黙的に身につけた勘や直観を使いこなすことが、革新的なアイデアや問題解決につながるとポランニーは主張した。
こうした「暗黙知の次元」は、知識を単に情報としてとらえるのではなく、人間の身体性・文脈・個人的な関わり合いを含めた総合的なプロセスと理解する上で重要な視点となっている。