書籍は既に抽象化産物
良いタイトルが思いついたら変える
認知能力の限られたホモサピエンスが、具体的な経験を取り込んだ後、内部で抽象化して、それを再構築してアウトプットしたもの ホモサピエンスの一時記憶より潤沢で信頼性の高いメモリを持っているプログラムの気持ちになって考えると「貧弱なメモリで前処理なんかしないで生でアウトプットしろよ」という気持ちになる
デジタルカメラがJPEG圧縮しちゃうのがいいのか、後で高性能なコンピュータで現像処理をするのだから撮像素子のセンシングした値をそのまま生で出して欲しいのか、という違い
ホモサピエンスがホモサピエンスの読者を想定して書いた書籍はフロッピーディスクをストレージにしたデジカメみたいなもの
Scrapboxの良さの議論で「リンクが張れないメディアでは同じことを何度も説明する必要があり情報の密度が薄い」などの意見がある 紙の書籍は「リンクが張れないメディア」
「紙の数100ページの塊」というフォーマットは物理的流通の都合が強く影響している
一方で抽象化しないと応用できない、そこの問題をどうするのか