暗黙知
ポランニーの暗黙知の概念(1966)と、野中郁次郎の暗黙知の概念に多少のずれがある。
see
科学者の新発見にフォーカス
組織内での知識移転にフォーカス
-----
暗黙知とは「知識というものがあるとすると、その背後には必ず暗黙の次元の「知る」という動作がある」ということを示した概念である。この意味では「暗黙に知ること」と訳したほうがよい。
それゆえ知識から人間的要因を「恣意的」として排除しようとすると、決して操作に還元しえない「知る」という暗黙の過程をも否定することになり、知識そのものを破壊してしまう。「暗黙知」を単純に「語り得ない知識」と同一視することが広く行われているが、これは安冨歩が指摘したように誤解である。
野中は「暗黙知」という言葉の意味を「暗黙の知識」と読みかえた上で「経験や勘に基づく知識のことで、言葉などで表現が難しいもの」と定義し、それを「形式知」と対立させて知識経営論を構築した。野中は「暗黙知」を技術的次元とは別に認知的次元を含めた2つの次元に分類している。この野中の暗黙知論はポランニーの理論とは根本的に異なっており、野中独自の「工夫」と見た方が良い。
という意見があるので、気を付けて使った方がよい用語と言えるだろう。
最初に誤解を解いておいたほうがいいと思うので言っておくけれど、暗黙知とは意識の下のほうにあるために取り出せなくなっているぼんやりした知識のことをいうのではない。下意識に隠れ住んでいる知のことではない。どうも一部の経営学者たちがそういう見方を広めたようで、誤解が広まった。