満点は学校が作ったバーチャルな概念
daijapan 作るという行為は、未完全を受け入れ続けることです。満点は学校が作ったバーチャルな概念です。社会のどこに行っても問題は無くならない。常に問題があるその不完全さを受け入れながら、少しずつ前に進めるのが作る行為です。 人生は「問題あり」のまま始まり終えていきます。ただ、納得することはできます。そして納得は自ら考え行なったことでしか捉えられないのだろうと思います。
社会には問題のない状態は存在せず、どの程度問題があるかの「程度」しか存在しません。
文脈
減点主義について考えてみると、その背景には標準主義があるのではないかと思います。考えてみれば減点で考えるためにはまず「満点」がなければなりません。 しかし、例えば100mでの満点など存在しません。10"00が満点と定義しても、9秒台で走ることもあるわけです。9秒台を評価してしまえばそれは加点主義になってしまいます。
ですから、減点主義とはまず満点という標準がありそこから点を引いていき評価することが前提となります。
減点主義は標準主義でもあり、品質を均一に保つ上で貢献する点も多いのだと思います。
daijapan 減点主義が標準を見失うとただただ問題点だけに着目する思考になりかねません。自らの問題に着目し、他者の問題に着目し、社会の問題に着目し続けることになります。 満点という定義は学校がバーチャルに作ったものでした。社会にも他者にも自分にもどこまでいっても満点は存在しません。人類史上、地球上のどこにも、問題のない場所は一度も存在したことがありません。
これを完璧主義と呼ぶこともありますが、何をもって完璧とするかの基準すら持たないことが多いので「終わらない減点主義」と私は呼んでいます。減点主義のうち標準が去ってしまい、ただ減点し続ける癖だけが残ったのです。
終わらない減点主義者は嘆き続けています。なぜなら終わりがないからです。
daijapan 作るという行為は、未完全を受け入れ続けることです。満点は学校が作ったバーチャルな概念です。社会のどこに行っても問題は無くならない。常に問題があるその不完全さを受け入れながら、少しずつ前に進めるのが作る行為です。 人生は「問題あり」のまま始まり終えていきます。ただ、納得することはできます。そして納得は自ら考え行なったことでしか捉えられないのだろうと思います。
では「終わらない減点主義」を減らすにはどうしたらいいのか。作る側に回ることです。そうすると問題だらけで足りないリソースの中で、なんとかして作ることの大事さを実感できるからです。
社会には問題のない状態は存在せず、どの程度問題があるかの「程度」しか存在しません。
daijapan ともかく苛立ちや社会への不満がおさまらない時、自分が「終わらない減点主義者」かどうかは自覚することが大事だと思います。そして自分が「作る側」にいるかどうかをチェックし、作る側でもなく苛立ってもいるなら、実は作っていないから苛立ちが増幅していると考えた方が健全だと思います。