「同じ」と「違う」が対称的でない
増井さんとnishioさんが「同じ」「違い」の点で対称的な考え方をしている
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/villagepump/増井俊之.iconさんの講演を聞いて気づいたのだが、増井さんとnishioさんが「同じ」「違い」の点で対称的な考え方をしていると思った
/villagepump/増井俊之.iconさんは「同じ」に着目していると感じた
謎ファイルを放り込むのとブックマークするのは一緒
検索と入力は一緒
他にも色々あった
「引き算とスペルチェックは同じ」も出現した/villagepump/nishio.icon
/villagepump/nishio.iconさんは「違い」に着目している
有名(要出典)な記事
面白い着眼点/villagepump/nishio.icon
一方で「大体似ているから同じものとして扱おう」と雑に捉えるのではなく、そこにある違いを分析するといいことがある
つまり両方やればいいのか
そりゃそうだw/villagepump/nishio.icon
大抵はどちらかが当たり前になるので、どちらかは「自明」という分析結果しか出ないだろう/villagepump/takker.icon
「XはYに似てる」とすごく離れたものについて言ってからなぜなのか考えるのウミガメのスープ感がある/villagepump/nishio.icon /villagepump/nishio.icon
違いに注目するか同じに注目するかの差がある、と指摘されたけど、同じに注目してることもあるな、とこの記事を書いてて思った
対称な行動ではない気がしてきた
増井さんの「XとYは同じ」は「この視点から見れば重なって見える」という「新しい視点の発明」だと思う
僕が「違う」と言い出す時って「XとYは視点を変えると重ならない」ではない気がする
「そのXは曖昧にぼんやりと広がっている(=解像度が低い)、もっとはっきりと観察すべきだ(=解像度を上げよう)」な感じ 視点を変えてるというより、カメラのレンズを変えてる?フォーカスを調整している?
2023-08-11
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この行き来をしてると思った