ツイッター
code:2025/09/02 23:09
ときおり、道化的な自分がイヤになる
真剣に話したいのに、ちょけてしまうぼくがいる
それはクソ真面目な僕自身に対してもちょけてしまう僕がいる
それではなにも話せやしないや
code:2025/08/29 2:11
言葉にならない、深夜。いったいなんだったんだろうなあ、と思い、金子みすゞをふと読むと、今日も昨日も一昨日も去年も夢、すべて覚えたまま、いつかぱっちりと目が覚めて、今度こそいい子になりたいなあ、という詩があった。いったい、なんだったんだろうなあ。
code:2025/08/26 19:35
昔の曲を聞くことで、いまから離れられる、ことって単純だけど、たまにやるにはいいと思った
東京にきてから、僕は、ここは監獄だと思って、休まってはないんだけど(友にも私の部屋は、家というよりコワーキングスペースだと言われた、そのとおりだと思う)、いまではない音楽を聴くことで、やりすごすのです
code:2025/08/26 19:28
友に教えてもらい、みうらじゅんの仮性フォークを聴き始めた。
この童貞くささ、ダサさ、ノイローゼ、しかしカッコイイ、アツい、人間。
なんだろうなあ、笑わせてしまうことのカッコよさね、自分に大真面目にやったからこそ笑える。
一方でこれを聞いたことで、John DenberやBeatles, Byrdsとかともかく70年代前後のカントリーやロックを聞くとすべてみうらじゅんの顔がちらつくようになった。…
code:2025/08/21 4:23
なんか、社会って大変だなあ
それより、君と踊りたい
そういえばshall we danceで思い出したけど、とある職場の同年代のたまにしか合わない女性で、すごくお綺麗な方がいる。お、久しぶりという感じになり、ひとまず社交辞令的なやり取りをしたあと、なにを喋ったらいいか分からなくなったので、「休日は何してるんですか」「ご趣味はなんですか」とかなんとか言ってたら、客観的にみて口説いているような感じになり、すごく気まずくなったというか、明らかに相手が適当な返しになったので、あ、しまった、やってしまった、と思った。社交性がないと、キショいコミュニケーションになってしまう。
それにもかかわらず、でもなんか、ラジごの司さんが言ってた「人を褒めたくなる」気持ちはすごく分かり、これは男性、女性問わず服かわいいねとか、カッコいいねとかネイルいいね、帽子オシャレだね、ピアスかわいい、とかなんとか軽率に言いたい。社交性がないわりに言いたい。で、言うと、特に女性が相手だと客観的になんとなく口説いているようにも見える(という自意識だろうが…)。まあ、口説いてようが口説いてなかろうが、カワイイものはカワイイのだ、が、私はけっきょく男性なので適切に抑制していかなければいけないのだろう(こんなところでジェンダー論をやるつもりはない、ジェンダーというよりどちらかというとアイデンティティの問題であるので)。
code:2025/08/20 20:06
人間気を抜いたらすぐつまらなくなる
code:2025/08/20 20:00
noteとかブログに、よく仕事に疲れて病んで休職したり辞めたりした人の日記的なものあるけど、ことごとくつまんない
信じられないほどつまんない
PDCAとかSlackとかVaundyとか、つまんねえセンスばかりなのか、この世は
退屈だ
code:2025/08/20 19:54
100年後、みんないない
code:2025/08/20 19:34
それでも世界への期待といえば、最高の芸術に出会うことであり、それは例えば麦さんのWebサイト、昨日公開され、ほんとうにこの世界にはまだ嬉しいことはあるのかあ、と。まだ嬉しいことが世界には残っており。
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(星野源:)で、なけなしのお金でジュースを買って。それを飲んで、砂利とかを足でジャリッてやっていたなっていう(笑)。で、「俺、ここにいたわ」って言ったら、一緒にいた小田部仁が……仁は前に高円寺に住んでいたのよ。で、お金がなくてやることがなさすぎて。もう阿佐ヶ谷の方まで来て。「僕、この同じ公園の同じベンチで絶望的な顔をしてました」って言っていて。「ああ、そういうのってあるんだ!」みたいな。「同じような思いをした人が、同じよような思いでこのベンチに座ってたんだね」ってなって。
code:2025/08/19 21:14
あぶない。仕事終わり、家に着いたとたんに憂鬱症に襲われたが、横になりながら鶴見済を読んで、回復。あれは回復によく使えるマニュアルなのだ。
code:2025/08/17 19:09
一人はきほんてきに、健康によくない。
code:2025/08/17 3:15
自分は大学生のとき、作品という形にまったくできていなかったんだけど、詩は書いた、手帳にごちゃごちゃによく書いた。詩は好きだった。今も好き。でもべつに人に言う事じゃないのかもしれない。
さいきんはSNSというものは、めっきりダメになった、と感じてきており、ポストさえ難しい。当たり前だがもう実際に、人と会って喋ることのほうが楽しいし、詩だなあ、って思う。詩、というのは内面の繊細で尖った部分を送り合うコミュニケーション空間。先日、高円寺で友人と朝まで飲んでいた。そのとき、心の底からいいなあ、と思った。こういう時間のために、俺は生きてきたのか、と思えたから。
code:2025/08/17 2:44
疲れた時に『デリシャス』読むとめちゃくちゃ元気でる。気持ちよく大声で笑えるし、「なんか、最高👍️」となる。いろんな作風あるからそれだけで楽しい。
とくにいいのは、もはや執念の文章とコラージュの嵐、ZINEとかめちゃくちゃいい。内面のカオスそのものすぎる『DEEP DEPPA DENPA』、みうらじゅんみたいなファンキー本『少女展』とか、デザインを執念で破壊するデザイン本『Hello, my future』、男性女性の3Dアセットが悪魔合体した『Rise ANd Shine』、急にサステナブルに食を考える『日本フードシフト大阪』(ちなみに私はいただきます、なるたけ言うよ)、かと思えば内省的な現代詩『春の終わりはいつも雨』、である。すべてが混ざりすぎて、カオスで、この情報量でぶんなぐる感覚、ほんとうに好みすぎる。上に上げたやつはとくにどれも好きなんだけど、個人的には詩が好きで、そこに生きることのその人なりの繊細さが現れると思うので、ほんとうにいい。彼女は詩を書いてZINEなりなんなりで形にしたほうがいい。なんなら返歌形式で見開きで応答しあうみたいなこと、そういうZINEとかね、いやそれは俺がやりたいだけなのかもしれないけれど、ともかく、詩。文章のジャンルとしては地味だし、誰が読むんだと思われるかもしれないけど、読者はいる。そして詩はなにより「不特定多数」ではなく常に「あなた」を相手にしてとどくメディウムなので、信じるに値する。
とにかく「デリシャス」、いい。最高。どういう感じかといえば、そのあまりに人間的な執念で最初はめちゃくちゃ引く。顔が引きつってくる、お、おう、みたいな感じで。でも見るのを続けていくと、なにか繊細な人間像が現れてきて、複雑な人間像が現れてきて、いつのまにやら惹かれている。めちゃくちゃ惹かれる。めちゃくちゃ引くのと同時にめちゃくちゃ惹かれるという体験はしたことがなく、だから大声で笑ってしまった。やばいな、この人は、と。
書いているともう27時14分。おやすみなさい。
code:2025/08/16 23:55
友人たちと朝までしゃべる
そうして生活にほんの少しの自由を開く
code:2025/08/16
7月から8月にかけて、そしていまも、あらゆることが詰まりて、けっこう疲れている
ほんとうに物理的にも精神的にもジリ貧である
そういうときに、近場の銭湯に行く
それだけでもういいのだ…
code:2025/07/12 20:37
ほんとうに好きな人、尊敬する人と相対するとどもったり言葉が出なくなったりするけど、ふつうに新参としてその場で会ったスゴイ人とはふつうに喋れる。あんまり相手のことを知らないほうが変に壁ができなくていいんよなー、、。たいていアーティストっつうのは、メディアでは(意識的、無意識的に)嘘をついて、フェティッシュ化するかんなあ。あるいは嘘という言葉は強すぎるにせよ、そういうように価値化している。生存戦略として。
code:2025/07/11 01:07
Pygameライブラリ、アツい。なんかシンプルなExampleが実行できたときの簡単さにビビる。
いかに映像表示処理がクソだるいかを実感した上でこのライブラリに出会って、ありがとう、ありがとう、となる。
https://gyazo.com/c98c83db0ec4b5951fb7f916db956ebe
code:2025/07/11 00:09
ビデオ処理というか低レイヤー表示処理、フレームバッファとかなんとかってやつ、めためた難しくないですか?
こんなん、ハードル高すぎるでしょ、映像界隈で電子工作流行るわけないんですけど。
ここ1週間はまず、仕事終わって夜寝るまでずっとLinuxターミナルとにらめっこ。なんか、2年前くらいにLinuxふれてちゃんと勉強しないとなーと思って、テキスト買ってたけど後回しにしつづけて今。ラズパイむずいよ~。
code:2025/07/08 21:48
Linuxコマンドは打った方が早い。覚えた方が早い。最初はCursorのAgentモードでやっていたが、どうにも「現在」の場所が分かっていなかったり、エラーが起きたり、アホなループを繰り返していたので、もう最初からこれコマンド手打ちでよくないか、となる。
code:2025/07/07 0:09
ここ数年、「月曜日」のない生活を送って気付いたんだが、ブルーマンデーを消去するのには、マンデー自体を消去するのが一番効果的なんだとわかった
ブルーを全体に拡散し希薄させる
これはとうぜん一方で危険であり、ある意味でつねに憂鬱の種をかかえているというわけで、ちょっとした火花で大爆発を起こすバルカン半島だ
そういう数年間。
code:2025/07/05 4:32
俺には時間がない。Im running out of time.
時間がないときに、見えてくる、すべてが。
code:2025/07/05 3:34
限界下でさらに追い詰められると、数学ヤクザ荻野暢也がでてしまう。
code:2025/07/05 2:50
うががが……
Cursorでやっていたが、なんの成果も出せずProPlan終了した。
俺に残された道は、Puredataに戻って来る。
やるしかない。
code:2025/07/05 2:03
やりなおし。
VibeCodingで進めていたが、品質の面でほんとうにうまくいかない。
そして、ディスプレイ配線のメモをドキュメントに残していたのに、気づかぬまにAgent AIによって修正されており、なんなら消されており、ひどい。
エッセンシャルなドキュメントに関しては別枠にしておかなければいけないことを学んだ。
code:2025/07/04 4:58
コンピューターについて考える。コード=記号操作(CLI)の極北としてのLLMがあるとすれば、アラン・ケイによるGUIの発明はコード以前の操作。粘土をこねるような、あるいは楽器を演奏するようにして自由自在にコンピューターを扱うことに賭けられていた。
GUIがここでは問われている。GUIと思考と、粘土、と時間をともに過ごし、慣れること。愛着を得ること。拘ること。
code:2025/07/04 04:49
5時前くらいまでが作業の限界か、うまくいかないラズパイに苦戦。明日までに終わらせないといけないものがあり、それも同時進行して作業。限界がもしかしたら近いのかもしれない。いまのところ自分は感じていないが、ちゃくちゃくと歩みを進めているような奴だ。外があかるイ。
code:2025/06/30 1:47
RP.
そういうことはきっと事実としてあるのだろうとおもうし、素朴にやはり怖さもある。しかしまあいずれにしたってしょうがないこととも思う。いずれ人は死ぬのだ……早いか遅いか、そういう、腹づもりをしておけ、だがきみは速い。
研究者とかアーティストとか文学とかを志すというのは、20代の時にほとんど貯蓄ができないことを意味する。それがどれだけ大変なことかは後になって愕然とすることになる。まずそのことを意識しておいた方がいい。まあそれでも死線、デッドラインを超えるかどうかだ。
千葉雅也, 25.6.4
code:2025/06/28 23:20
慌てるな、でも続けよう
稲見昌彦さん
「光学迷彩」で有名な方
code:2025/06/28 22:12
いきものがかり聴いていると、人生が終わった気持ちになって、これはマズイと思う、エモすぎて、現在が死ぬ
そういう死の歌をここまで作れるのはとんでもないな…いきものがかり
code:2025/06/28 20:35
切り替えて、別のことをやろう
code:2025/06/28 20:22
明日、ちょうど実家もどるので、そこにあるRaspberry Pi 4でやるかあ…
Raspberry Pi 4でRTOS導入事例もあったし、それに従えば…
code:2025/06/28 20:18
4時間かけたOSビルドでカーネルぶっとびました。
いきものがかり脳内再生じゃもう効かなくて、YouTubeでほんとうに再生したら、泪がでてきました
中学校の卒業式を思い出しました、まだお父さんお母さんは若かったなあ、いま思うと。
https://youtu.be/VZBU8LvZ91Q?si=kf88xlm8IspKMBG4
code:2025/06/28 15:27
麦さんのページで書いてあった
「メディアアート、デジタルアート界隈の美学的、現象学的議論は、あまり作品そのものの強度に寄与していないように感じることがある」
は、自分も同じように感じていて
おそらく強度として全面にそういう議論が現れてくるのは、美術界隈狭義のコンセプチュアル・アートだけなんじゃないか、と直感的に思う
具体的に何がどうで、というのは整理できていない。
まだ、思考の戯れの段階にとどまっているので、整理
code:2025/06/28 14:41
カーネルのビルド中
エラー起きないでください(祈)
https://gyazo.com/4bdd948e8466db0df410a89247a5e5aa
code:2025/06/28 14:02
↓昨日のAgent AIによる戯言は、実際はそんなことなくて、いまだ泥臭いのが現実…
朝6時までやってもエラーがとまらないので、いったん寝ました
私は、ただ、ラズパイで音を鳴らしたいだけなのに、なぜOSのカーネルをビルドしているのでしょうか……
これが現場の実際ですかー、予定通りに進まない
https://gyazo.com/31b7eb6bd8bf84594a68f66242076f48
code:2025/06/28 0:23
というか、ソフトウェア開発が、別段積極的に最新AIを追いかけているわけでもないので最適解ではないかもだけれど、Agent AIのおかげで随分楽になって、珈琲を飲んだり、本を読む時間に当てれるようになった。素晴らしい。ありがとう。いまは成瀬巳喜男特集のユリイカを読んでいます。
素朴なキラキラAI驚き言説
確かに感性的に、共感することはあるのでこういうことを言ってしまう
だけど、あとでその当のAIそのものにどんでん返しされる
このカタストロフが、言説のダイナミクスで、世に出回っている楽観論と悲観論の境目なんだろう
その意味で、どちらも見ているもの、体験している感覚はきっと同じ
この同じであるということには、まだまだ救いはあるな、と思う
「AI」とはもちろん岸裕真さんの言うそれであり、技術名のことではない
キラキラした、なにか未来を感じさせる、新しいなにか(Fiction)
code:2025/06/28 0:17
人文系ミーハーとしては、やはり文化人(笑)になるために教養筋トレを敢行することにきめた。断行する。このままではなにかよくないのではないか、と思い始めた。深夜テンションかもしれない。自己改革のような、古典的な実存的教養主義をいまやるべきではないのか。いちどやってから破綻するというカタストロフを得たほうがいいのではないだろうか。ともかくやる。1年はやる。やるんだ。ユリイカを全記事、興味のないやつでも読み切る。単発がたくさんあるだけだから、そんな難しいことでもないだろう。それに同社の現代思想みたいに、難しいということもあるまい。
code:2025/06/26 1:09
Xでたまたま流れてきたVocaDuo2025の告知。ようするにボカロ界隈、歌い手界隈のクリエイターコミュニティのこと。素朴な微笑ましさと、そして過去に通り過ぎてしまったノスタルジアになってしまっていることに気がついた。
そうか、いつのまに僕は別のところにきてしまったのだ、と、こういうことがあるたびに思う。すごく、感傷的だが、25時だからしょうがない。
もうけっして、こういう作品は作れない。というか、昔から作れなかった。実際、何回か参加して作ろうとした形骸だけはネットにあるけれど、あれはけっきょく、中途半端なよくあるオリジナリティ(笑)を求める平凡な自意識によって、界隈の作法や空気をうまく吸収できず、死産したのだ。なにかこういう死屍累々としたぼくのかつての作品群はたしかにいまの自分のコンプレックスとなっているし、ほんの一握り、というよりもぼくの親友の一人にしか共有されずにいる。香ばしさが心の底から共有できるのは、同じ香ばしさをもつ人だけなのだ。
もう一気に冷めてしまった感覚だ。
あのころの無敵感。AviutlやAfterEffectsの無敵感、インターネットの無敵感は、鮮明に覚えてある。
code:2025/06/24 21:21
真空管ラジオ受信機を見た
あ、、、
基板,いらないんだ.
ディスクリート部品をすべて直付け
ひとつの導線のジャングル
ICなど半導体を一切つかわず,
すべてプリミティブにアナログ
これで,いいんだ,と思った.
よかった.これで,よかったんだ.
https://gyazo.com/f11b2fe5f3988ff91e51dd80a91e79b0
code:2025/06/23 2:31
思想はふりまわさない。思想は机の下で密かに読むもので、いつでも陰湿だ。表の顔はナイスにする。ナイスにしたい。ナイスでありたい。暗い音楽より明るい音楽がいい。悲しいことはひとりで悲しみ、あなたにはナイスでありたい。ナイス。
code:2025/06/18 01:31
夜、とても静か
ぼんやりとしながらVimeoの短編アニメーションたちを見る。なあんか見たことあるような雰囲気だなあ、とぶつぶつ思いながら、頭もぼやけてくる。あんがいこういうのが気持ちいい。
code:2025/06/17 13:29
ほんとうの意味で受け取ることは、ファンになることではなく、応答することなんではないだろうか?
code:2025/06/17 13:24
今年、ドゥルーズは生誕100年
改めて読んだ
つもりで
いまだに分からない
なにも説明できない
言葉に惹かれる
それはみんな同じ
ドゥルーズを一度でも読むと
みんな惹かれる
あれは一体なんだったのか
彼の思考の鋭さはなんなのか
彼の理論を、そのまま素朴に作品制作なり概念に当てはめていく、なんてことはそれ自体ドゥルーズの哲学から逸脱している(単なる「適用 application」こそ敵だ)
それはドゥルーズを読みながら、根本的に、悪い意味で逸脱していく
彼を読む、とは、畢竟、彼を読まないことなのか
彼はスピノザやライプニッツやストア哲学やカントやヒュームやベルクソンを読みつつ、読まなかった
マイナー哲学の系譜を
主流派から引き剥がして
すでに忘れ去られた古典から
掘り返していく、あのピッケルはなんなのか
あの眼はなんなのか
誤読と創造性の違いはなんなのか
彼によれば裏表、というよりもむしろ
表面にべったりとくっついている
「平面 plan」
彼はサーファーにこそ、自分の哲学が受け取られる、と言っていた
サーファー。
ジャン・ヴァールは読んでいたのかもしれない
先生として
信頼できる先生は必要なのかもしれない
その安定的な、地盤(/地層)として
それは本の批評やテクニックからは得られない、ひとつの個人的な体験
code:2025/06/16 2:18
今日の夜、「テクテク」メディア・アートをやっている方、斎藤凪沙さんとお話していた。InstagramのポストやHPを見ていると、インターネット・ブルータリズムなセンスをバチバチにやられていてカッコいい。やはり話してみると、自分との興味とバチバチに合って言葉遣いも面白くすごく刺激をもらうとともに、周りにいわゆるメディア・アートの方向性で同年代で仲間がいなかったのでとてもタノチかった。IAMASに院進するとのことで、作品が楽しみ。
タイにいた幼少期に外の遊び場が少なかった(治安の問題)そうで、そこからインターネットギークの方へ。北海道出身の方にアーティストが多い、という理由とちょと似ているのかもしれない(?)
code:2025/06/15 18:30
大学時代の仏文出身の友人から院進のための研究計画書の相談を日々受けている。ゼロ年代東浩紀的な文学→社会学の方向性で興味があるみたいで、すごく刺激になる。「ソルジェニーツィン試論」を勧めた。あれは東のデビュー作であり、同時に文学批評から社会学へとピボットしていく際の、いかに語るかというスタイルの好例であった。「不可能性」を直接語ることなく彫刻のように浮かび上がらせていく文章は、ポストモダン批評のお手本のようでもある。個人的に正直話の内容はロシア文学でさっぱりなんだけど、確実に熱があり、後年のスタイルの萌芽が見られる。批評の限界を自覚的に見極めつつ、それでも批評を書くという姿勢。どの分野でも何か新しい創作をやるという気概があるなら、それは常にそのジャンルの限界を(精神衛生上ほんとうにツライんだが)見極めて、「それでも」ということを貫きとおしていかなければいけない。でなければ、つまらないタコツボになってしまう。
だがこういう言い方は、あくまで「新しさ」という観点からであって、そのジャンルを育てていくという意味では、逆の意味で「新しさでないもの」を責任をもって引き受けるということをしないといけないとも思う。「新しさ」だけでは文化は生まれない。おそらくいままで、幾多の新しさが出てきて、多くが惨死していったのだと思う。その意味で「新しさ」それ自体はむしろきわめて凡庸なことだろうと思う。
code:2025/06/14 2:07
これは自分にも向けて言うが、Instagramのストーリーズ、僕みたいなWannabe だけじゃなくて、ちゃんと名の知れたアーティストやデザイナー(よっぽど金かけてブランディング戦略してれば別だが)でも、クソダサいよね
その要因に、ストーリーズのエディタのスカムさがあるし、なにより少なくともAndroidの場合、日本語フォントがないし、(中国ナイズされた感じとUnicode標準みたいなやつしかない、明朝体すらない。iOSはあるらしいが。)勝手に付与される色味がダサいし、選べるカラーピックもダサい。
ちゃんとしたInstagramストーリーズエディタを日本向けでつくるべきである。
いつかちゃんとつくろう。さすがにダサすぎる、悪い意味で。
code:2025/06/13 23:16
「論」はメタ
code:2025/06/12 23:09
Adobeから解き放たれたあと
GIMPをちまちま触ってると
尊さがでてきた
Photoshopとは違う香ばしさがあるなあ
基本的にやはりPhotoshopには実務上でも、手軽さでも機能面では圧倒的に勝てないんだが
まだGIMPを掘りきれてないものの、きっと面白いという直観がでてきた
つまりプロプライエタリかGNUかの思想の違いというか、コミュニティの空気の違いがある
一方でGIMPはフリーソフト(笑)だが、ある人たちにとっては自由ソフトウェアで
別種の熱意みたいなものがないまぜになっていて、
Adobeコミュニティではあまり感じられなかった、ギークな空気も(わかりやすく)見える
(Photoshopにも探せばあるんだろうけど、見えづらい)
しかしその分、
やはりPhotoshopは、開発陣がとてつもない人が集まっているんだろうなとも感じる
code:2025/06/11 1:25
世界、おもろ
code:2025/06/10 19:37
作品制作の裏側をほんとうに見せること(メイキングとか、btsみたいに裏側自体を作品化しようとするのではなく)は、
ほんとうに難しいと思う
たとえばInstagramは顕著。
もうちょっと素直なプラットフォームってないかな。そうなるとアーティストというより、クリエイターだし、エンジニアなんだと思う。ぜんぶとは言わずとも、裏側みせちゃって、巨人の肩を尊敬する。
そこにお金は発生しない。
お金は、まずもって、巨人の肩を借りながら、私のものだという、ある種の後ろめたさというか、厚顔無知というか、あるいはそういうもんだろ?なりきってしまうこと。
nagasena.iconまー、だからといってアーティスト/クリエイター/エンジニア、どっちがいい、とかもないんだけど。どっちも好きだし、尊敬してるよ。愛してる。世界ダイチュキ。
code:2025/06/10 19:30
あ、なるほど。アートは裏側がたとえ明白にせよ意図的に隠されることで成立する。し、人はそう欲望してきた。尊敬する人のダサいところを見たくない、のと同じように。
それはすごく素直な感情だよなあとおもう。いまの本心から言うけど、別に原理主義的にすべて開示せよとも思わない。ちょっと前までは思っていた。でもオープンにすることにもやはり美学があって、それはオープンを求めるハッカーたちも同じ。
プログラマは、自分のコードを公開しないのは、単にNDAとか、先行者利益とか、そういうものを確保しようとしているのでは必ずしも実態はなくて、やっぱり話をきくと、「汚いコードだから見せたくない」というんだよね。もちろんそれは、どこかインターネットから拾ってきた"グレー"なコードが含まれているからかもしれないけど。でもそれでも、ともかく見せたくないという人は多い。とても素直な感情だよなあ、と思う。
アートは、そういう意味で、きちんと人間的な感情によりそっているのかもしれないね。その意味においては、きわめてポピュラー。どんなコンテンポラリー・アートであろうと、見せないという限りにおいて。
code:2025/06/10
RP/ 例えば、紀元前の彫刻ですら、作品名のプレートには材料が書いてあります。しかし、チームラボは、これは◯◯(例えばUnity)を使っているな?という場合にも、ツール名を明かすことを避けます。理由は「アート作品だから」です。
齋藤あきこ
code:2025/06/03 1:26
とはいえ、文化というものは、情報の不足や誤解から生じるものでもある。15世紀の欧州のアジア観や、19世紀の日本の西洋観は、いまからみれば誤解だらけだが、情報不足を独創的なイマジネーションで補っていたため、独自の文化だったとも言いうる。
(ロック語りはなぜ暑苦しいのか 押しつけがましさの背後にあるもの, 小熊英二コメント)
RP
code:23:37 2025-06-02
過去のインターネットを見てたら、大学生の頃のあいかわらずなポエムがでてきた。香ばしいねえ。でもその香ばしさをいまも継続してポエム書き続けているいる自分も香ばしいねえ。
でもポエムを書き続けて、なにか一冊の本にしてあげれば詩集になるんじゃないか。
そういう自分の詩集は、欲しい。売れるとか売れないとかよりもまず大前提として、自分の詩集、というものを作っておくべきだと思う、ポエマーを名乗るなら。