コンセプチュアル・アートと強度
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「メディアアート、デジタルアート界隈の美学的、現象学的議論は、あまり作品そのものの強度に寄与していないように感じることがある」
おそらく強度として全面にそういう議論が現れてくるのは、美術界隈狭義のコンセプチュアル・アートだけなんじゃないか、と直感的に思う
具体的に何がどうで、というのは整理できていない。
まだ、思考の戯れの段階にとどまっているので、整理する
強度とはなにか
「ぶっ刺さる」「ぶちのめされる」こと
哲学者はなにがお好き?
ドゥルーズは、フランシス・ベーコンがお好きだった
マジもんのインテリは、語りに体重が乗っていがち
体験とか気持ちのような経験知、身体知が、小難しやかなお話となめらかに接続している
ワナビはなんか社会に客観を保とうとする 分析的であろう、平熱であろうとする
(Under Construction)