旅行記:2018年2月長崎2
せいすいを てにいれた! ▼
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# 3日目:2月23日(金) 長崎
# 「聖水」
電停(路面電車)一日乗車券を買って長崎市街を観光する。
訪問当時の2018年2月、大浦天主堂はまだ工事中だった【注】。天主堂は丘の上に建っているため、丘を登る参道はお土産屋が軒を連ねている。よその観光地と比べるといずれの軒先も洒落たような洋風な感じがして、なかなか儲かっているんだろうという印象を受けた。工事中でも大浦天主堂を見学することができた。ステンドグラスは赤、黃、青、緑と原色が均等に散りばめられ、花畑や虹を連想する色合いだった。
隣接するグラバー園にも入った。だが、私の悪い癖で、3日以上同じ人と一緒にいるとだんだん苛立ちを覚え、疲れるのがここで発露した。美しい庭園も大きな屋敷も、富国強兵政策による日本の工業化で得た財産だ。富む人がいると同時に、奪われた人や失われた景色・生活があっただろう。そう考えると無批判にきれいだと思えるものではなくなった。
今更かもしれないけどこの旅行記(この本、および続巻のヨーロッパ旅行の記録)は万事こんな調子で進む。
母の話に戻る。
母はリウマチの治療をしているが、同時に肝臓も患っていた。リウマチ治療は肝臓に負担がかかるため肝機能を改善する必要があったが、その薬の効き目が悪く、薬を替えても肝臓の数値が落ちなかった。
ある日旅番組で「ルルドの泉」を知る。フランス南部の街ルルドは1858年に聖母マリアが出現した【注】といわれ、聖母が示した湧き水には治癒の効果があると伝えられている。ルルドの泉はカトリックの巡礼地になり、湧き水を汲むために現在も観光客=巡礼者が絶えない。聖水は通販でも購入できる。
日本には、明治時代に布教に訪れたフランス系のカトリックの神父たちによって「ルルドの泉」信仰が伝えられた。長崎県五島列島のカトリック井持浦教会には、信者たちが石を積み上げて作った日本の「ルルドの洞窟」がある。 “日本の「ルルドの洞窟」”とはつっこみどころ満載ですが
長崎教区に「聖母の騎士修道院」を設立したマキシミリアノ・コルベ神父も、長崎の本河内教会に「ルルドの洞窟」を設置した。彼が設立した「聖母の騎士信心会」の日本支部跡地は現在「聖コルベ館」と呼ばれ、大浦天主堂やグラバー園から坂を下った路地裏にひっそりと建っている。 そこでは日本のルルドの泉で汲まれた水ではなく、フランスのルルドから取り寄せた聖水を販売している。
話半分にというか「宝くじが当たったらいいな」程度の希望を抱いて母は聖水を求めた。日本人は自国の多神教の神だけでなく、他の文化の唯一神に対してもぞんざいに神頼みしがちではないかと思った。唯一神は人間の願いを叶える便利屋ではない。
ただしカトリックは聖母信仰や聖人信仰など、神たるイエス以外への信仰もあるので、多神論的な側面を持っている。 「聖コルベ館は大通りから離れた場所にあるため見つけづらい」と母が見つけたブログには書いてあったそうだ。特に地図も開かずに適当に歩いていると、たまたま行く手の先に聖コルベ館が見つかった。聖マリアの彫刻や聖人の描かれた護符など、観光地化した教会でよく見られるような聖なる土産物が並んでいた。
その奥はコルベ神父に関する小さな博物館になっているようだが、訪問当時(2018年2月)は宗教共同体の「誰でも歓迎」「アットホーム」な雰囲気が苦手だったので立ち入らなかった。
キリスト教思想では「人類みな家族」なので、「誰でも歓迎」「アットホーム」で当然
そもそも宗教はいつでも信者を増やしたいので「誰でも歓迎」「アットホーム」で当然
上記の理由がわかっている今でも優しい共同体は苦手だが……もし長崎に一人旅で来ていたら博物館も見学していただろうと思う。
母はプラスチックの小瓶に入った「聖水」2本セットを買った。
昼食は出島蹟のそばにある長崎新地中華街で皿うどんを食べた。長崎の醤油は甘い味だった。少し酢を加えると、味が引き締まってますます美味しい。ちょうど春節を祝う「長崎ランタンフェスティバル」の時期だったので、通りには赤い提灯がいくつも掲げられていた。
後日、旅行から帰ってきたあとに、母は「聖コルベ館」に関するブログを読み返した。自称霊感のある人だったか、聖書の記述の域を超えて信心深すぎる人の書いた記事だったか、いずれにせよ良い意味で語られない「スピリチュアルな」記事だった。
そこに書いてあることには、聖コルベ館には「本当に必要な人にしか館は見つけられない」。「本当に必要な人しか聖水を手に入れることはできない」
「だってさ、うちらすぐに見つけられたのに、そう書いてあんの」
怪談を語る高校生のような「ノリ」で母は教えてくれた。八重山諸島のどこかに隠された地図にない食人島の噂を、私が納得したときと同じように。
そして母が聖水を飲んだところ、薬を替えてからはじめて、定期検診で肝臓の数値が落ちた。それも母は報告してくれた。しかし効果があったのは、聖水を飲んだ一度きりで、その後は今に至るまで変化が見られない。母は酒も暴食もしないので、肝臓の患いの原因はストレスと思われる。聖水ではなく、単に旅行によって一時的にストレスが癒やされたんだろう。
聖水について、結局あれは効いたと思う? と尋ねると、「効かないんじゃないかな」と即答された。
でもキッチンにはいまでも聖水の空き瓶が残っている。「効かないんじゃないかな」と言った母は、「もったいなくて/せっかくだから聖水の空き瓶を捨てられない」とも言っている。半信半疑どころか、ゼロ信全疑のまま、怪談を信じるような「ノリ」で。
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