理解の理解
「理解した」という言葉は、曖昧すぎて人によって指す質が全く違いそう
過去の自分とも全く違う感覚がある
自分の中での「理解した」の基準が日に日に上がっている
良いものを知っている良さと近い感覚な気もする
深い理解をして何かをなし得た経験があれば、
その時に感じた、全てを把握している感覚、を再現できるどうかを指標にできる
しかし、同様に、それより上の「理解した」は想像できない
知識として知っているだけか、記号接地できているか
実践して、失敗するという経験をしたか
めちゃくちゃ記憶力の良い人が、プログラミングの本を読んで、文法を完全に頭に入れたとしても
一行もコードを書いたことがなければ、「プログラミングを理解した」とは程遠い状態にある、だろう
業務プログラミングに関して言えば、
途中でジョインしたサービスを0から作り直せるようにする
とかが、mrsekut.iconの中の指標として存在する
知のマトリックス
理解のフェーズ