権利
権利と権利の対立
e.g. 表現の自由 v.s. 環境的セクハラを受けない権利
トレードオフが生じる場合は、代わりの基準が必要
しかし、功利主義は場合によっては基本的人権の侵害すら許容する
公理主者は権利とどう向き合うか
「私」の利益と「私たち」の利益が対立したときに、後者を優先させるように促す
感情に基づく
効率が良い
対処すべき問題が集団内のものである限りは、オートモードの道徳は上手く機能する
しかし、集団 v.s. 集団のときはそうでもない
自分の属する集団に対して配慮する代わりに、相手の集団を敵対する
属している集団の主義にもよる
個人主義寄りなのか、全体主義寄りなのか
理性に基づく
e.g. 権利、神の教え、科学的事実
マニュアルモード的ではあるが、集団同士の対立に対してあまり回答を見いださない
e.g. 功利主義
集団同士が対立した時も、理性に基づいて判断ができる
功利主義から見た、奴隷制
最大多数の最大幸福のために、奴隷制が有効であるなら、肯定することになるのか?
奴隷制度に依って奴隷にもたらされる不幸が、奴隷主や他の人達が得られる幸福を上回ることはありえない
功利主義が実際の場面ではどのような判断を行うか、が重要
権利という言葉は、主観的な感情を、客観的で公平に聞こえる言葉で正当化する目的で使用される
「権利がある」と言った時、権利というものが物理的にそこにあるように感じられてしまう
まるで客観的事実を説明しているかのように聞こえる
権利は、既に制度的に認められている権利ばかりを重視してしまう
制度がないものに対しては目を向けられなくなる恐れがある
権利とは、私達の内側にある感情を正当化して強弁するために、その環状が実在する物体であるかのようなもっともらしい表現を与えたもの
自明で解決済みの問題は権利
権利ということは方便として便利
そうでないものは、功利主義
権利と権利が対立するときなど
に則ると良い
とはいえ、権利と権利が対立している問題に対しては、どうやって功利主義は回答するんだ #?? 最大幸福が目に見えてわかり場合はそれで良いけど、
ほぼほぼ同じぐらいの人数同士が争っていたら判断できなくない?
保留するの?
また、「最大多数」という対象には動物も入っているんだろうか #?? それとも人間だけ?
功利主義は、ただ人数だけの比較でもない