作った人と成果物だけを見た人の解像度の乖離
例えば、時間をかけて戦略を作った人と、完成後のものを共有された人の間には、何重にも認識の差がある
他には、デザイナがワイヤーフレームを作って、エンジニアがそれを実装するケースとか
色々ある
成果物には、諸々の情報が欠落する
具体性が高い
コンテキストが圧縮される
背景を類推するしかない
適当に思いついただけなのか、めちゃくちゃ考え抜かれたものなのかわからない
例えば、
それを考えるに至った経緯
考える過程や意図
却下したアイディア
考える中でぶつかった点
重要度の認識
どれぐらいマジの話なのかの認識が揃ってないと、自分ごととして捉えられない
接している時間の長さも違う
数日〜数カ月試行錯誤するのと、結果のみ見たとき
キャッシュの乗り方が違う、記号接地のしやすさが違う バイアスがある
「他人も自分と同じ前提を持っている」と思いがち
知っている人ほど「説明しなくても分かるでしょ」と思ってしまう
どう緩和するか
お互いの歩み寄り(?)が必要そう
作った側
共有される側
考えるところから参加する
一旦それを自分の中で抽象化し、再度具体に戻って来るということをやらないといけない
一緒に考える、各自で0から考える
本に対する批判とか
どこまで背景を想像して深い批判をできるかみたいな