各自で0から考えて擦り合わせるか、1人の成果物に意見を言うか
かなり違いそう
各自で0から考えて成果物を作り、それを擦り合わせる
個々人の学びも大きい
各自の捉え方が違いすぎると分散しすぎて収集がつかない
だからこそ、根本的な修正が入って良い、という可能性もある
1人が成果物を作り、それに対して他の人が意見を言う
作った人と成果物だけを見た人の解像度の乖離が生まれる
背景を理解していないと表面的な批判しかできない
批判が具体的になりがち
だとしても、
他人の意思決定のシミュレーションをするとか
自分でやることはできるうえで、時間短縮のために一人が出したものに意見を言い合う形式を採用する
例
チームでのデザインの決め方
一人のデザイナがワイヤーフレームを作り、他のメンバーはそれに対する意見を言う
0から作った人と、そうでない人とでは全く解像度が異なる
細かいところから大きなところまでの拘り方がそもそもわからなかったりする
批判の仕方もまばらになりそう
0から話を覆すような批判がしづらい
こんなに時間かけたあとに、それ言う?みたいな
また最初から考え直しじゃん、みたいな
そもそもUXとかって論理的に批判するのが難しい
「感覚的にこちらの方がわかりやすい」という主張しかできない状況もある
この辺の記事を読んで思った
この記事では新規サービスの情報設計をする講義の様子が紹介されている
情報設計の箇所を宿題として、各自で作ったものを次回に共有する、という形式を取っている
これは講義なので当然そうするだろう
実際、かなり解釈が割れているようで、各自で出したことの意味が大きそうと感じたmrsekut.icon
複数人プロジェクトのcosenseとか
ある同一の大きな概念に対して、複数人が捉える時
例えばプロジェクトの進め方とか
個々人によって捉え方が異なる
Aが書いたメモに対し、Bがツッコミを入れていく
こうすると、BはAのメンタルモデルに引っ張られる
もしかしたらBが0から考えたほうが筋が良いかもしれない
AとBが個々に書いて、個々に参考にし、共通部分をページ切り離ししていく
例えば、共通の語彙とか