万人は利己主義である
この前提はいったん正しいと仮定しておいて、
さて、ならば教育する時に、どういう教育をするかを考えてみると面白い 我が子に何かを教育する時に、
いわゆる道徳を教えるのか
万人は利己主義なのでお前の好きなように生きなよ
など
自分目線
我が子を愛していようと、そうでなかろうと、利己主義と自覚している自分から見れば、子も、「世界\{自分}」の一要素に過ぎないので、
道徳的になって、他者貢献してくれる人になってもらったほうが、自分にとって利がある
更に、子にとってもそれ自体は恐らくそこまで不幸ではない
「世界\{自分}\{子}」がそもそもそんなふうに回っているので、馴染むことができる
子供目線
子にとって見れば、道徳みたいな社会の暗黙規則を課せられるよりも、欲望のまま生きたほうが幸せになれるかもしれない
ただし、これは不確定要素が多すぎてなんとも言えない
下↓の議論を考えれば、道徳的な振る舞いと、そうでない振る舞いができる、ような人を育てることが、子にとっては一番良い
バレなければ万引きしまくっていいよ、みたいな?
だから、ばれない万引きの方法を教えてあげよう、てきな?
道徳は、世界にとって好いことと、一人の人間にとって好いこと、が上手く折り合う部分を抽出して作られた制度 なので、道徳に則って生きるほうが、道徳が前提にある世界である以上、楽
道徳は完璧ではない
なので、道徳的に行動することが、常に自分にとって有利である、とは限らない
なので、
道徳的に行動したほうが自分にとって有利になる場合と、
そうでない場合、
を識別する能力を向上させることが、総合的に見て、自分にとって最も有利な選択になる
この能力がめちゃくちゃ高い人を、傍から見ると、「道徳的な人間」に見える
人間は、道徳的でないからこそ、道徳的言説を吐く