アンチ・オイディプスに至るまでの二人の逡巡
ドゥルーズは自身の思考が構造主義に近いということも、構造主義の根幹に問題があることも知っているが、そこからの出口が見えていない状況に陥っている
ドゥルーズは構造主義的な概念に惹かれていた
その6つ目である空白のマス目は、この世のすべてのものを規定しているものだが、 空白のマス目それ自身は、自らの起源を欠いている
発生の哲学をするドゥルーズにとっては、これは矛盾である
この矛盾を解決するためには端的に言って2つの選択肢がある
構造主義の定義の中の矛盾を解消することで、構造主義を確立する
これが以下に書いているもの
矛盾を解消すると構造主義の根幹が崩れるので、それはもはや構造主義ではないので、つまり新しいモデルを創造する
これが逡巡後にガタリとやったもの
構造主義は矛盾を抱えている
シンプルに
ドゥルーズは、抑圧は反復によって引き起こされると言う ドゥルーズは、反復は対象xによって引き起こされると言う
ドゥルーズの反復は、ラカン派のシニフィアン連鎖と重なる
シニフィアン連鎖的観点においては、反復はファルスによって引き起こされる
故に対象xとファルスは同じ概念
ここで、一番上と矛盾する
ドゥルーズの局所的自我の発想のもとになったのは、微細表象モデルである にもかかわらず、変にセリーモデルを取り入れてしまったので矛盾が生じた
機械のイメージを、一つの概念としてまで作り込むことに困っていた 機械の概念は、ラカンの構造の概念への対置として生まれた
構造は時間や日付を扱えないが、それを扱うための新たな概念が必要になった
というよりは、反復の次元にあるモデルを必要とした
どの項も他の項と交換可能
シニフィアンは欲望であり、
一つのシニフィアンが(他の全てのシニフィアンの)主体を代理している
この論は、欲望が「対象aを追い求める欲望」ただ一つからなるということが前提にある そうしないと精神病になる
なので、無意識の主体はシニフィアンによって代理されない
機械の本質
表象作用を持つもの
微分作用を持つもの
一つのシニフィアンが離脱する働きのこと
ラカンの精神分析が対象aという一つの欲望から成っている理論に対する疑問視をしている 以下のような構造主義的概念に依存しない思考が求められた
構造主義的構造
セリー的構造
ファルス、対象x