独創性が模倣から生まれた事例
大林社長は戦後の進駐軍工事、沖縄工事等によって、技術革新、機械化工法の時代がわが国にも到来することを確信し、先進国アメリカの実態を視察することにした。
アメリカの繁栄を象徴するかのような蛍光灯の明るさに感激し、生コンに驚き、ブルドーザー、タワークレーンの巨大さに感嘆した。
当時のわが国では、蛍光灯はなく、コンクリートは“現場練り”という状況であった。
「こういうものを勉強して早く日本に入れなければいけないと、このとき痛切に感じました。それと同時に情報は大事だなと思いました。アメリカへ行って実情を見て、これでは日本が負けるのは当たり前だと……。だから、こういうアメリカの技術を勉強して、さらにわれわれの努力によってアメリカに負けないように、経済、産業を盛り立てて日本が力をつけるように努力をする、またするだけの甲斐があるのだという気持を強くしました」と語っている。
中国は粗悪な 中国のコピー製品で有名であったが、世界の工場となって長くして今は品質も上がっている オリジナルアニメを作るようになった
陳暁:中国のつくり手がそうした技術を身につけたのも、過去30年間にわたって日本のアニメメーカーの下請けとして作画を続けたという下積み期間があったからですよね。グッチやプラダといった高級ブランドのバッグ製造を受注していたメーカーが技術力をつけて、オリジナルのブランド名をつけてD2Cを行なっているのと同じ構造です。 峰岸:フィギュアもそうなんです。日本のフィギュアメーカーが中国で制作を始めてから、中国のフィギュア技術があがりました。以前は誰も中国のオリジナルアニメなんてつくっていませんでした。でも、中国人はやがて海賊版の形で、自分の国の技術者がつくったものを見ることになったわけです。
@JGS_Developer: 中国系ゲーム会社だって、いきなり高クオリティなオリジナルを出すようになったのではなく、下積みとして他社のパクリゲーで積み重ねを経ている それなのに、日本のクリエイターの多くはそういったパクリゲーをなぜか下に見ており、自身は「そんな事しなくてもオリジナル作れる」と勘違いしてる