弱者(ニーチェ)
基素.iconの理解ではこういう人のことを指す
岡本 裕一朗
玉川大学 名誉教授
1954年福岡県生まれ
九州大学大学院文学研究科哲学・倫理学専攻修了。博士(文学)
西洋の近現代哲学を専門
なぜ弱者が道徳を作るのかというと、強者と弱者が対立した場合、弱者は力で挑んでも対抗できないため、力で対抗することをあきらめて、みんなで寄り集まることで、これを“畜群”とニーチェは表現するのですが、強者を引きずり降ろそうとするのだというわけです。 金や力のない自分たちこそが正しい人間である、力があるからといって何様だ、そんな“ルサンチマン”、すなわち妬みを持ち始め、力のある人間を引きずり降ろすことによって、自己正当化を行うのが“道徳”であるという発想なのです。 (誤り)道徳の教科化では政府(強者)の意向なしたがって進むのでこれとは違う基素.icon 誤り。ニーチェの言う弱者強者は社会的な強弱を意味しない
ニーチェ自身は、道徳による自己正当化をいちばん嫌います。
力と力の関係であれば、力で勝負するべきだと考えるのです。
力と力の勝負なのに、力以外のものに訴えて、力のある人間を引きずり降ろす。これは許容し難い行為であり、自分たちを欺いていると言うのです。
相手を引きずり降ろすのは自分たちが支配者側につきたいから
であるのにもかかわらず、力のない自分たちは優しい人間であると言って、道徳心を持 ち出すのです
力で対抗すべきなのに、それを偽り、自分は力がないと言って力のある人を批判しながら、その裏ではみんなで寄り集まって支配者になろうとする。それをまた隠れた“権力への意志”であると考えるのです。 道徳を批判するときにニーチェはこのような言い回しを使うのですが、それは、自分自身を誠実に打ち出すことこそが望ましいと考えているからです。 弱者(ニーチェ)とは、自らの為しえないことにこだわるがあまり、自らの能力から切り離されている人のことである。 その結果、彼らはあらゆる人々を、それぞれの能力から遠ざけようとする。
そうした怨念によって集結する集団をニーチェは「畜群」と呼んだ。
怨念=ルサンチマン?
ニーチェのいう弱者とは、価値の基準をいつも外側に求めてしまうような人であり、対して強者とは、良し悪しについての自己ルールを立て、それをきちんと守れる人のことを指しています。
もっとシンプルに言うと、弱者とは「みんながそう言うから」と自分で良し悪しを決められない人のことであり、強者とは自分で何がよく何が悪いかを決められる心をもつ人のことを指しています。
例えば、Twitterで政治の話をしていて実際に人を動かすような政治的活動は全然していない人たち?基素.icon
でもこれは社会的に強くないな
社会的に強いかどうかとは独立した軸だからそれはべつにいい