事実とは何か
https://www.youtube.com/watch?v=IR78MmN7IFo
ユダヤ人歴史家の大学教授が嘘つき歴修正主義者に名誉毀損の訴訟をおこされ、反証した。裁判は6年かかった
訴訟を起こされたイギリスは名誉毀損の立証責任が訴訟された側にある法制度なので、ホロコーストを否定する人の論文の根拠が全くの嘘だったということを証明した 高須克弥「アウシュビッツは捏造」(2015)
事実と意見と嘘がある
嘘を一つの意見であるかのようにみせかける
「一つの意見なので議論する必要がある」と主張する
現代の過激思想は一見理性的な皮をかぶっている
truth is not relative
世界で1番偉い人が言っていたとしても、「証拠はあるのか?」といわなければいけない
客観的事実はある
ガリレオは「それでも地球は回っている」と言った
truth and fact are under assault
書いてあることが間違えていることはある
自分に与えられている情報が真実か証明できない
自分が見たことは事実か?
ラリっていれば壁が喋る
ミクロの世界は肉眼では捉えることができない
観測事実から導かれる理屈は事実であっても真実ではない可能性がある
歴史は勝者によって語られる
六四天安門事件も100年後には「完全に正しかった」と中国国民全員が思うかもしれない 基素.icon
教科書に載っているものは、多くの専門家によって時の試練を耐えたものである(と信じられている) 一方、歴史などは実際に全ての文献を当たったわけでもないし、目で見たわけでもない
自分の目で確かめなければ真実ではないとするならば、ほとんどすべてのものは真実ではない
心臓は本当に解剖学の通りなのだろうか?
地球は本当に丸いのだろうか?
映像で見たものは捏造かもしれない
普通は国家は大規模に人を騙すと考えないし、様々なものの整合性を加味してボロが出ないのはおかしいと考え、真実を見出す
一方でそのような認識であれば、いろんなものは曖昧になる
ネット上の情報伝達において事実はbinaryではない
例:
目の前で人が刺されたら人が刺されたことが事実としてわかる
「目の前で人が刺された」とツイートした人がいたとしても事実かわからない
写真があると事実らしさは上がるが、事実かはわからない
報道が出るとさらに数段事実らしさが上がる、これを多くの人は事実というだろう。しかし本当に事実かは自分によって確かめられていないという意味では事実ではない
確実に本当かどうかなんてわからない。極端なことを言えば全てが嘘かもしれない
全てが嘘ではないだろうと思っているが、これは経験的にそう予想しているに過ぎない。事実を確かめたわけではない。
「確からしさ」を主観的に見積もって判断するもの
この基準は人によって異なるため、「Aは事実だ」「Aは事実というのはあなたの感想ですよね」という事実認定の不一致が起こる
目の前で人が刺されたら事実か?
見間違いかも
妄想かも(信頼できない語り手)
統合失調症や極限状態、老衰
https://youtu.be/k1iYZHM78cg?si=1KZaqwB8cTIe4YAb
5:22〜
情報はどこのラインでなあなあにするかを変える
害が少ないものを信じる人は山ほどいる
GABA、ウコン、コラーゲン
コラーゲンが肉食ってるのと変わらないとスライドで指摘している
アミノ酸に着目すればそうだけど、タンパク質を大量に肉から取るのはむずいから一定の合理性はある。ただそれならプロテインのほうが安い基素.icon
うっすら足りない知識の人や認知機能が低下した人が納得する