ネイピア数の歴史
(発見は16世紀後半)
1618年、ジョン・ネイピアによって発表された対数の研究の付録に収録されていた表である。
その表自体はウィリアム・アウトレッドによって書かれたとされているが、そこで実際に記述されていたのは自然対数のいくつかの値だけで、対数の底自体は含まれていなかった。 $ \lim _{{n\to \infty }}\left(1+{\frac {1}{n}}\right)^{n}
を求めようとした。これは e に等しくなる。
記号の割当
1690年と1691年
クリスティアーン・ホイヘンス宛ての手紙の中で、記号 b を用いた。 オイラーによる1736年の『力学』がネイピア数を e で表した最初の出版物となった
その後しばらくは c によってこの数を表す流儀もあったが、
やがて e が標準的な記号として受け入れられるようになった。
オイラーは、指数関数 $ a^x が
$ {\frac {d}{dx}}a^{x}=a^{x}
を満たすとき a = e であることや、1/x の積分として定義された自然対数の底でもあることを示した。
ネイピアらが示した対数の定義は現在用いられているものとは異なっていた。
ネイピアによる対数の定義は次のようなものである:正の実数 x に対して
$ x=10^{7}\left(1-{\frac {1}{10^{7}}}\right)^{p}
を満たす実数 p がただ一つ定まる。この p のことを ネイピアの対数(英: Napierian logarithm)という。この値は、−107 ln (x/107) と 7 桁の精度で一致する。ネイピアは、1594年に対数の概念に到達し、この定義を用いて20年間計算を続け、7 桁の数の対数表を完成させて1614年に発表した。
ビュルギは、ネイピアよりも早く1588年に対数の概念を発見したが、1620年まで公表しなかったため、対数の発見者としてはネイピアが称えられることが多い。