イデアルの歴史
その中で彼は、代数的整数に関しては有理整数の場合のような素因数分解の一意性が必ずしも成り立たないという問題に直面した。
有理整数環 Z においては 6 = 2 × 3 であって、順序の入れ替え (3 × 2) を除いては他の素因数分解は存在しない。しかし、代数的整数の場合はそうではない。 クンマーが扱ったのは奇素数 p に対する p-分体の整数環の場合であったが、
以下ではより単純な例として次のような環を考える。ただし、i は虚数単位である。 $ R={\mathbb {Z}}[{\sqrt {5}}\,i]=\left\{a+b{\sqrt {5}}\,i\mid a,b\in {\mathbb {Z}}\right\}
この環には 6 の分解は 2 通り存在する。
6 = 2 × 3
6 = (1 + √5 i ) × (1 - √5 i )
1 ± √5 i がこれ以上分解できないことは、乗算における絶対値に注目すれば容易に証明できる。
クンマーは、これはまだ分解が十分でないために起きると考えた。
例えば有理整数環 Z においても、12 = 3 × 4 = 2 × 6 のように、分解が十分でなければ 2 通りの分解が発生する。 これは 12 = 2 × 2 × 3 と完全に分解しなければならない。
これと同様に、上記の環 R においてもより根元的な分解 6 = A × B × C × D が存在し、
2 = A × B
3 = C × D
1 + √5 i = A × C
1 - √5 i = B × D
なのであろうというのがクンマーの基本的な発想である。
もちろん A, B, C, D は R の元ではありえない。
クンマーは、$ x^2 + 1 の分解のためには -1 の平方根を含むより広い領域が必要となるように、R の元が上のように完全に分解されるより広い領域が存在すると考えた。
そしてこの A, B, C, D のような理想的な分解を与える因子を理想(複素)数 (ideale complexe Zahl ) あるいは理想因子 (ideal Primfactor) と名付けて、理想数の理論を築いた。
クンマーの理想数の理論は非常に形式的で、とても難解なものであった。
後になってデデキントは理想数の理論を整理することによってイデアルを考案した。 歴史的には、ヒルベルトの『数論報告』の中で、デデキントのイデアル概念が取り上げられたことから、イデアルという名称が採用されることになった。 イデアル (Ideal) とは、明らかに理想数に由来する名前である。
現代の環論の言葉で言うなら、先の 6 の分解に対するクンマーの考えは次のようなことに相当する。
A = 2R + (1 + √5 i )R,
B = 2R + (1 - √5 i )R,
C = 3R + (1 + √5 i )R,
D = 3R + (1 - √5 i )R
とすれば、
6R = A × B × C × D
であり、
2R = A × B,
3R = C × D,
(1 + √5 i )R = A × C,
(1 - √5 i )R = B × D,
すなわち、6 という元の素因数分解を考えるのではなく、6 により生成されるイデアルの素イデアル分解を考えることが適当だったのである。
また、現代の環論では 2, 3, 1 + √5 i, 1 − √5 i はそもそも R における 6 の素因数ではない。
これらのように「これ以上分解できない元」は既約元と呼ばれ、素数の一般の概念である素元とは区別される。詳しくは環 (数学)を参照のこと。 なお、理想数の理論の考え方は、現代ではイデアル論の他に p-進体の理論にも継承されている。
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