一般意志2.0
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多様な尺度
情報の多様性
環境計算機とのコミュニケーション
一般意志1.0
個人の特殊意志の和 スカラー倍
一般意志2.0
集合的無意識
この文章は、ルソーの考えや東氏の提案に関連する内容を述べています。以下に要点を整理します。
ルソーによれば、人間が個別に持っている意志を特殊意志と呼び、それらの総和が全体意志とされま
ルソーは、全体意志が誤ることがあるため、政治は必ずしも全体意志に従うべきではないと主張
代わりに、一般意志という概念が重要
一般意志は決して誤らないとされ、立法者は一般意志を体現し、全体意志で誤った判断をする可能性がある人々を正しい方向へ導くべきだとされます。
一般意志は特殊意志のプラスとマイナスを相殺し合った際の差異の和とされます。
東
他者の介入によってのみ人々は無意識を自覚できるとし、市民の無意識を把握しながらも、専門家の熟議を重要視
現代社会では、自己認識のために国家とデータベースという2つの手段が存在している
国家はデータベースの拡大によって熟議の限界を補完
データベースの専制を熟議の論理によって抑え込む。
東
大衆の欲望を可視化し、制約条件として受け入れつつも、意識的な熟議を行う政治形態を提案。
熟議とデータベースがお互いを補完しながら進むことで、政治を運営していく。
「一般意志」の定義の再評価すると、
ジャン=ジャック・ルソーは一般意志を特殊意志の単なる和とは見なさず、「差異の和」の観点から定義していた。
彼は一般意志が、集団のメンバーが一つの意志に合意することで生まれるのではなく、
個々の意志が公共の場で差異を持ったまま表出することにより成立すると主張していた。
「社会が形成されると、投票者の数は人々と同じではなく、部分的な社会と同じ数になる。差の数が減少すると、一般性の程度も減少する。最終的には、これらの社会の一つが非常に大きくなり、他のすべての社会を圧倒するようになると、結果は、多くの小さな差の和ではなく、ただ一つの差だけが存在する。そうなれば、一般意志は存在せず、勝利を収める意見は、特殊な意見に過ぎない」
ジャン=ジャック・ルソー
また、市民間の意見調整は、
この理論的枠組みのもとでは逆に差異を減少させ、一般意志を不正確にする否定的な役割しか果たさない。
ルソーは、「長い討論や紛争や騒動は、特殊な利益の台頭と国家の衰退を告げる」と主張している。
↓
これが彼の思想において、結社や政党が肯定的に捉えられない理由。
彼は結社そのもの、さらには政治的な議論の場、コミュニケーションの場そのものが、一般意志の出現に障害となると考えていた。
Miyabi.icon要するに情報の統計的偏りを減らそうという多元性の話
「人民が十分に情報を与えられ、熟慮するとき、市民が互いにコミュニケーションを取らないのであれば、小さな差異が多く集まり、結果として常に一般意志が生み出される。熟慮は常に良いものとなるだろう。」
「一般意志が適切に表明されるためには、
国家内に部分的社会が存在せず、各市民が自分だけに従って意見を述べることが重要だ。」
つまり、一般意志が適切に抽出されるためには、
市民は「情報を与えられて」いるだけで、互いにコミュニケーションを取っていない状態が好ましいと。
ルソーは結社を否定。
主権と政府の区別の重要性
一般意志において、この区別こそが、人民に既存の政府を転覆する権利
「革命権」を保証するものだったから。
↓なぜか
主権と政府を同一視すると、社会契約説は政府の転覆を正当化できなくなる。
例としてホッブズ。
『リヴァイアサン』では、人々がすべての権利を特定の個人(王)あるいは「合議体」に委ねる
そうして初めて国家(コモンウェルス)は成立すると説く。
ホッブズの考えでは、まず個人と政府が別々に存在し、その後で社会契約が両者の間で結ばれる。
彼の理論では、人民は政府を原理的に変更できない。
現代における一般意志2.0
現代では、人間が何を欲し、何を行ったかは、本人が記憶を失っても環境が記録している。
(ユビキタス的社会)
東浩紀この変化は、現代思想を学んだ筆者にとって非常に興味深いものである。 その理由は、そのような時代の到来が、「主体」や「責任」「証言」「同一性」といった二十世紀の哲学の主要な概念に大きな変更を加えるはずだから。これは、一旦「主体の時代」だった近代に一つの断絶が引かれたことを意味する。
Miyabi.iconまぁ近代の超克みたいな話。落合陽一のデジタルネイチャーと似たような主体の相対化
一般意志はどうやって公共になる?
一般意志20へのアクセスは、いまのところいくつかの民間企業に占有されている。
しかし、ルソーの理想を突き詰めるならば、
それは原理的にはあらゆる市民がアクセスできるようにするべきだ、という結論になる
↓
自分が無意識に表出した行動や欲望について、
だれもがその集団内での位置を事後的かつ数理的に確認できるようになったとき、
わたしたちは、「各人がすべての人と結びつきながら、しかも自分自身にしか服従せず、
以前と同じように自由なままでいられる」というルソーの言葉をはじめて現実的かつ具体的に理解することができる。
↓
ここまでweb に求める人いるけどそれは違う。もっとユビキタスでハイセンシング
重要なのは、どの種類のネットワークが人を孤立させ、どの種類が他者との出会いを可能にするか、その差を見極めることだ。
情報技術を駆使して、市民の意識ではなく無意識を探る政治。
政治参加の意識が無くても、日々の生活の記録がそのまま集約され政策に活かされる透明な統治。
社会契約論の言葉を再び引くと、「市民が相互に通信を取らなくても、多くの小さな差異が集まり、常に一般意志が生み出され、熟考は常に良い結果となる国家」が可能になる。
未来の統治
大衆の無意識を排除する
無意識に盲目的に従う
情報技術を用いて無意識を可視化し、その制御を志向すべき。
ルソーの思想と現代技術による新しい統治形態
個人的な利害や共感を超越した先に公的な倫理や政治の可能性があるとは限らない。
誤解
民主主義2.0が新しい熟議民主主義
ブログやSNSを使って全市民が電子的手段で政策決定に参加する新たな直接民主主義ネ
民主主義2.0が市民の個人情報を徹底的に収集・分析し
それを基に最適解を数学的に決定する「データベース民主主義」だというもの。
アメリカでは、政治も同様のサービスプラットフォームとして運営すべきだという構想が出ている。
一般意志2.0の構想
人間と動物
論理と数理
理性と感情
ヘーゲルとグーグル
これらの対立を「アイロニー」で共存させ、接合したところに民主主義2.0が存在する。
Miyabi.iconこの多項二元論はすごく東浩紀らしい
熟議により閉じ込められた島宇宙。
その間をランダムに繋ぐ感情の糸。熟議の暴走を外部から抑制するこれら無数の糸が織り成すネットワーク。
無数の共同体が乱立していても、その間を情報技術に支えられた「憐れみ」が確率的に行き来し、共同体と共同体を縫い合わせることでゆるやかな全体性を確保する、まったく新種の社会モデル。
統治制度の透明化と可視化
人々が生存と消費の欲望によって(ゾーエーとしての欲望によって)のみ結びつき、国家を形成する世界。
超越的なものの死
思想と宗教と文化が趣味に還元
App Storeのようにアプリケーション化
徹底的に世俗的で功利主義的な価値観だけが社会を支える退屈な未来。
オープンソース民主主義の理想
オープンソースの成功は、そのコミュニティの均一な能力を備えたエンジニアが構成員だったからだ。
政治に適用
市民一人一人の強いコミットメントと豊富な知識が必要。
オープンソース民主主義の理想は、熟議民主主義に近い。
無意識民主主義は、市民一人一人には何も期待しない
彼らの欲望を物として扱い、熟議や設計の抑制力として利用。