社会計算機
社会をアナロジーでなく、生態的な計算機として捉えている。 社会計算機としての省力大規模化
多様性予測定理
自己目的化を制御する
人類を効果的に協力する上で、
ナラティブによって社会に埋め込まれた、虚構を含む律や価値観を制御することが重要だ。
律や価値観の埋め込みには時間がかかる。
より具体的に人類を制御するには、機能的なナラティブを作り、使用可能な技術に変えていくことが必要である。
その為に、社会科学をもっと進歩させる必要がある。
具体的には、発見できていないイシューや議題設定を複雑多様なデータから発見する帰納的能力が必要である。
根源先程定義したように、個人や社会のアルゴリズムは内外の変数で相対的に変容する。ともすれば、倫理や価値観と思想は、世相を反映して変わり行くものであり。議題設定には現状より先を見据えなければ間に合わない。
科学は倫理を規定しない。本質的な議題設定効果を持たない。
コンピュータとテクノロジーが実現させてくれるはずの理想郷は、残念ながら人類の中に設計図が眠っている。
特に統治機構や倫理。幸せをどう考え、理想像をどう目的化するか考えなくてはならない。
データ民主主義への応用ー国家も社会も自明ではない。
砂粒化した「個人」には国民国家を支える力は、動機的に有り得無い。
そもそも国家は自明ではない。
コンセンスがあって、そのコンセンサスの中でコミュニティとサプライが閉じていれば国家はいらない。だが、ホッブス問題は個人だけでなく集団にも生じるので有機的な連帯(分業編成である資本主義経済)は、おそらくやる必要がある。
ここで国家を相対化出来る観点が必要である。
ともすれば、啓蒙的なテックエリートによる統治だろうか?否、共産主義におけるエリート統治にしろ、
人力による啓蒙は、既に近現代で破綻が証明されているだろう。
複雑系である経済や文化の計算可能性は、残念ながら人間にはほとんどない。
よってここに、「啓蒙するアルゴリズム」を提案したい。