ソシュール記号論
ソシュールは記号の‘二項’または2要素モデルを提案し、記号が次のように構成されていると定義した
記号表現 (signifier)’(シニフィアン:sinifiant) - 記号がとる形
記号内容 (signified)’(シニフィエ:sinifie) ‐ それが表現する概念
現在、基本的な‘ソシュール流の’モデルは、ソシュール自身のものより物質的モデルに。 記号表現は一般に記号の物質的(または物理的)形式 (form)として理解されている-
それは見る、聞く、触れる、匂いをかぐ、味わうことができる何かである。
ソシュールにとっては、記号表現も記号内容も、
ともに純粋に‘心理的’なものであった(Saussure 1983, 12, 14-15, 66; Saussure 1974, 12, 15, 65-66)。
両者とも物体というより形式であった。
ルイス・イェルムスレウは,記号表現と記号内容
‘表現’と‘内容’という用語を用いた (Hjelmslev 1961, 47ff)。
記号表現と記号内容は時々、よく知られた二元論‘形式と内容’と等しいと見られる。
記号表現は記号の形式、記号内容は内容と見られる。
しかし、形式を‘容器’と言う隠喩は問題が多い。
内容を意味と等しいものとし、意味が理解という能動的な過程を経ずに‘引き出され’、形式はそれ自体に意味を持たないということになるからである(Chandler 1995 104-6)。
記号の価値
ソシュールは、記号の‘価値’というものはシステム内の他の記号との関係に依存
記号はこの文脈から独立した‘絶対的な’価値は有していないとした (Saussure 1983, 80; Saussure 1974, 80)。
ソシュールはチェスのゲームとの相似性を使い、駒の価値は盤上の位置によって決まると述べた (Saussure 1983, 88; Saussure 1974, 88)。
意味作用 -意味されること-
記号の二つの部分の関係に依存するのに対して、
記号の価値は、その記号とシステム全体内の他の記号との関係で決まる
(Saussure 1983, 112-113; Saussure 1974, 114)。
ソシュールは、複数の記号の間に見られる負の対立する差異を特に強調した。
構造主義分析の際の鍵となる関係は、(自然/文化、生/死のような)2項対立である。
ソシュールは次のように主張している。
概念...は、その内容に関する言葉を使って積極的に定義されるのではなく、同じシステムのほかの項目との比較により否定的に定義される。それぞれの言葉をもっとも正確に特徴付けるのは、ほかのなにものでもではないことである’(Saussure 1983, 115; Saussure 1974, 117 著者の強調したい参考文献) 記号の恣意性
記号表現と記号内容の関係は慣習的であること -つまり社会的、文化的慣習に依存するということ- を、記号学者に強調させることになる。これは、ソシュールが検討対象とした言語記号の場合、明確である:言葉というものが我々に対して何を行うかを意味するのは、我々が共同してそれにそうさせることに同意しているが故である。ソシュールは、記号論の主な検討対象は‘記号の恣意性に基づいたシステムの全体グループ’であるべきだと感じていた。彼は次のように主張している。‘まったく恣意的である記号は、理想的な記号過程を他のものより良く備えている。これが、人間の言語に見られる、もっとも複雑でかつもっとも汎用的な表現システムが全ての特徴を示している理由である。この意味で、言語は記号学システムの一つのタイプの例に過ぎないが、それでも言語は記号学全体のモデルとなる’ (Saussure 1983, 68; Saussure 1974, 68)。