情報量の多い何かを一回で分からなくていい
理解するのに回数がたくさん必要でも一向に構わない
私は割と完璧主義でナルシストの気質があって,一回で理解できないと自分にある種の失望を抱いたり,その対象を理解するのが億劫になって遠ざけたりする
少なくとも以前はやっていた
最近は面倒な部分は全部AIに任せっきりで,自己洗練があまりできていないかもしれない
健全なAIの活用方法ではないと思う
もっと僕自身が抽象化と理解の深化,知識の繋ぎ合わせを繰り返す必要がある
忘れる読書では,一回で理解する必要がないと言っている これは別に本質的な部分ではないが,導入として言っていると理解している
理解に時間や段階を要するものが世の中にあり,それらの理解に何回も本を読んだり考えたりするのは何もおかしくない
以前,父に同様のことを言われたことがある
あの時は専門書の読み方に言及していた
専門書はかなり細かい話が多いので,別に一回で全部理解する必要はない
初めはなんとなく単語を拾って雰囲気や全体像を理解するのだ,といった感じの話だったか
これに通ずる話だと思う
ただ,この時は工学系の専門書は別に全部理解しなくてもいいのだ,という含意があったことに注意
必要なところだけ理解すれば良い,という背景があった
必要なところだけつまみ食いしていくと,いずれは体系的な学習と同様の効果が得られるかもしれない
そうでなくとも,同じことをやっていると思う
必要な部分だけを抜き取って学ぶ,という点が共通
誰かが行った何かを読むのではなく,自分が必要だと思ったものを読む
自分なりの考えや流れがあり,足りない何かを埋めるようにして読む印象を受けた
考えても分からない部分は調べる,という話
別に足りない,といった話でなくとも良いだろう
知識のネットワークを広げていく段階で,こういう情報が欲しいな,と思ったらそれで良いのだと思う
忘れる読書では教養が二つの役割を果たしているという話だった 情報を圧縮した上での議論における前提としての役割と
アイデアに気づくための前提としての役割
どちらも前提になってしまった
僕がCSの勉強を通じて得ようとしているのは,両者の基礎作り どちらか一方に分類することは難しいと思う
おそらく大抵の知識は両方に属している
ベン図を書いたら重複したエリアに大量の知識が点在しているはず
抽象化すると,おそらく同系統の話になる
こちらも抽象化して,論文の部分を他に置き換えてみれば良い
結局何が言いたいかというと,一回で理解し切る必要はなく,何度も挑戦して良い
もしグローバルに活躍したいなら一点で専門性を上げた方が良いし,そのためにそういう知識をたくさん取り入れた方が良いよね,といったことを言っていた
通ずるものがありますな