天香山
記紀万葉などの古文献では、天香山からは銅が採れた、海が見えたとある 「天香山」から銅が採れるであろうか。そんな話は聞いたことがない。~なぜ「天香山」の銅が問題になるのであろうか。ことの起こりは、『先代旧事本紀』巻二「神祇本紀」中に「採天香山之銅使図・造日像之鏡」という文を見つけたことである。また、『古語拾遺』にも「取天香山銅以鋳中日像之鏡」の文がある。類似の文は『古事記』『日本書紀』にも見られる。これらは、「天石屋戸」に隠れた「天照大神」を呼び戻す工夫を「八百万神」がいろいろこらす記事の中にある。「天石屋戸」伝承は、日本列島で金属器生産が本格的に始まったことを伝える最初の記事であるらしい。~金や銅は大和の香具山から出ないことを熟知している八世紀以後の日本人ならば、「天香山」から金や銅が採れる、などと常識はずれのことを意図的に記述したり、無意識に間違えて筆写したりするわけがない。原資料にそう書いてあったのでない限り、誰がわざわざ銅という特定の金属名を書き残そうか。「天香山」から銅が採れた。この事実をまず認めなければならない。~「天香山」から銅や鉄が採れては困るのである。『記』『紀』『本紀』『拾遺』を編述・筆写した代々の学者たちは、この文面にはたと当惑した。窮して「銅」を「金」に、「天香山」を「天金山」にと表現をあいまいにした。~では、「天香山」はどこにあるのであろうか。当然、「天あま」にある。伝承に登場する「天石屋戸」「天安河」「天児屋命」「天糖戸者」などの地名・人名がこぞって「天」を指さしている。「天香山」「天金山」もともに「天」を戴いており、同一の山ではなかったとしても、近隣にあったことになる。~大和の天香具山はどんな山であろうか。~地上の地名にも「天」をつけて呼ばれる(神武紀・万葉二など)のはこの山だけで、神聖視のほどが知られる。天石屋戸の前における神事はすべてこの山から採った材料で整えている(鏡の金、太占の鹿骨、榊)~ありふれた山が神話の中でだけ「神聖視」されるわけがない。「天香山」はなぜ「神聖視」されたのであろうか。筆者の考えでは、日本(当時は倭国である)で最初に開発され、経営された鉱山だからである。それは経済的な富を生み出しただけではなかった。政治権力の源泉でもあった。人に銃口ならぬ鏡を向け、威嚇して従わせるところから、弥生的権力は始まったのであろう。「天香山」が「神聖視」されたのは、権力が必要とする物質的資源をふんだんに供給したからにほかならない。 "また天の金山や天の香山で採った銅で鏡を作ったとあることから、金山や香山が採銅や金属精錬に関する山であったことがわかる。採銅や鏡作りに縁のある福岡県田川市の香春岳のような山が、神話の金山や香山に反映されているか。" 田川には、「金」のつく地名が多く存在します。現在、正式な住所となっているのは福智町の「金田」だけですが、旧村名だと「猪位金」「金川」(現在の田川市内)や「勾金」(現在の香春町内)等、他にも「金国山」「金辺峠」「金辺川」等が存在します。 東大寺の王年代紀にはアマテラスは筑紫にいたと書いてる。アマテラスの天岩戸の場面では天香山が出てくる。東大寺はアマテラスは筑紫にいたと言ってる。東大寺は奈良県にある。奈良に天香山があるなら、アマテラスが筑紫にいたと書くのはおかしい。 福永先生をはじめ、ネットでもかなり指摘されているのに、通説は無視
香春岳はかつて木のほとんど生えない石灰岩の真っ白な岩肌であった、これが有名な歌の白妙の衣である 「天の~」が付くものは渡来人に関係する、香春はまさしくふさわしい 「天の~」を付けるほど崇敬されたのはなぜか?当然鉱物の宝庫、山容が美しく威厳があったからに他ならない
通説の香久山を見て歌を詠もうとは思えない、何が神々しいのかも理解できない…すべてがおかしい
https://gyazo.com/34babdd1731251a58df2fa36a4d4be64
「春」過ぎて 夏来たるらし 白妙の 衣乾したり 天の「香」来山
この有名な歌には「春」「香」の文字がある。福永先生によれば、これが「香春」の語源であろうと。 奈良時代以降、真実は隠されたが、先人の知恵により、上の字をあてて真実を伝えようとしたのだろうと。
昔の人は暗号が結構好きみたいだ。