周芳
周芳國 周芳国  天武天皇紀
すほう すはう 周防 諏訪 すは スハー(サンスクリット)
北九州市八幡東区諏訪 諏訪山 隣の枝光の地名由来がピッタリ。熊鰐は山口県まで行くわけない。
タケミナカタ、タケミカヅチの科野国の州羽海も洞海湾。南方地名、宗像など北九州の地名人名
【さば】 全部表記が微妙に異なる。原文検索したらわかるけど、「さば」が出てくる前後に「筑紫」の文字がある。「さば」は福岡にある
http://www.seisaku.bz/search3/searchn.php?word=周芳&mode=検索
娑麼 景行天皇紀
周芳沙麼之浦 沙麼の浦 仲哀天皇紀
沙麼縣主 沙麼縣 沙麼県 神功皇后紀
皇、居筑紫橿日宮。是有神、託沙麼縣主
周芳娑婆 娑婆連 推古天皇紀
娑・麼 @景行
沙・麼 @神功、仲哀
娑・婆 @推古
『日本書紀』推古天皇十一年
十一年春二月癸酉朔丙子、來目皇子薨於筑紫。~仍殯于周芳娑婆。乃遣土師連猪手令掌殯事、故猪手連之孫曰娑婆連、其是之緣也。後葬於河內埴生山岡上
来目皇子が「筑紫」でお亡くなりになって、周芳娑婆に殯したとある
北九州八幡東区の「周芳」のすぐ南に「河内」地名もある
建御名方や諏訪大社との関連からいくと、『古事記』の科野国の州羽海のも北九州市のことか。「海」と書いてあるんだから、通説の諏訪湖みたいな「湖」ではない。
「すは・すぁは・さは・さば」ではなかろうか、つまり周芳=沙麼で、周芳の沙麼浦って、「すはのすぁはうら」みたいな
「周芳(すは)の沙麼(さば)の浦」だって、元々は「すはのうら」から「さはのうら」になって…「さばのうら」になった可能性
「周芳の浦」=「沙麼の浦」=「すわのうら」=「諏訪の浦」