長期的よりも異時的で考える
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裂け目翼の雲間を泳ぐもの
p465より引用
粘り強さには、我慢という要素があることも確かである。しかし、それは抽象的な意味ではない。ただ単純に待つことではなく、目的合理的に、何かに向かって向き合い続ける手段である。また、忍耐強くなるということは、「長期的に」考えたり、行動することではない(常に筆者は自分に言い聞かせている)。むしろ、異時的、迂回的に、一種のリトマス試験紙のようになることである。粘り強さを必要としない戦略は、今日の発展をもたらした迂回的・資本主義的進歩とは相いれないものなのだ。このことを忘れてはいけない。 いつ得られるかは分からない
無限大かもしれないし、すぐかもしれない
「長期」とは限らない。「異時」とする。
ただ単純に待つことではない
何かに向かって向き合い続ける手段である