「当たり前」という言葉をぶつけられた時の感情
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中略
/spud-oimo/「当たり前」の欲求 を読んで、最近自分も当たり前という言葉を自動的に攻撃と解釈してダメージ受けたのを思い出した
自分が直接言われたわけではない。
Aさんが「こういうことをしたらこういう学びがあった!」と喜んで発言しているのに対し、別のBさんが「それはこれこれの理由で当たり前」とコメントしているのを見た
自分もAさんの発見を知らなかったので、「へぇ〜そうなんだ」と思っていたところにBさんの当たり前発言を見受け、「そんなことも知らないのか?」に変換された言葉をぶつけられた時のような感情になった。
質問する時は相手が問い詰められたような気持ちにならないようにだけ気をつける時の自分と他人の非対称性に似ている
自分がやっている時は気持ちいいのに、他人がやると苛立つ行為の亜種。
苛立つというよりも、自動的に攻撃と解釈しがちな言葉かな
おそらくこの言葉を使いたくなるケースとしては、自分が既に知っていることを他の誰かが発見したりアピールしているのを見かけた時
ポジション争い
自分が知っていることはみんなも知っていて当たり前の誤謬
「XXをするのが当たり前になっていはいけない」のような、常識を疑え姿勢の時には使えそう
他人の発見や学びに対して使いたくなったとしても、このページを思い出して留まりたい