「当たり前」の欲求
「当たり前」という言葉にはそこそこ強い攻撃性というか拘束力がある 「これくらい出来て当たり前」とか
他人が使うと気になる言葉だが、自分も無意識に使っているかもしれない、気にかけるべきか
自分のScrapboxを検索したら結構使っていた…
恐らく「当たり前のことが出来る状態でありたい」という欲求は人間誰しも持つのだとは思う
一応、ここでは「身体が満足に動かせる状態」ではなく「社会的に負い目を持たない状態」という意味
「社会的な立場の基準が十分である」みたいな
そんなものは存在しないはずなのだが、頭の中で勝手に作り出してしまうということはある
「自分は当たり前の存在である」ということへの欲求は恐ろしく強い
話題が自分の得意分野になった途端「この知識は持ってて当たり前だろう」という恐ろしく攻撃的な心理が表れる
たまにこの欲求に呑まれそうになる、上手く飼いならせるようになりたい
参考