「きっかけ=原因」という錯覚
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致命的な一押し
from 反脆弱性 上 p221,222 より引用
重要なのは統計学上の"テール"の部分に存在する抑圧されたリスクであり、崩壊を引き起こした最後の砂粒を予見できなかったことではないのだ
ゲーム開発において、バグを作ったプログラマーが「きっかけ = 原因」となって避難されることが多い
本当の原因はバグを作りやすい開発環境、スケジュール、チームの雰囲気かもしれない。そういったリスクが無視される。
分かりやすい原因に飛びついてしまいがち
複雑な世界では「原因」という概念そのものが疑わしい
身銭を切らずに、他人に「きっかけ=原因」を押し付ける逆英雄に気をつける
身銭を切れ――「リスクを生きる」人だけが知っている人生の本質
仕事させ屋から遠ざかれ
理論よりも現象学
神社に参拝した後に幸運がおきたら、「神社への参拝」が原因と錯覚してしまう
そして周りに、神社へ参拝しろとアドバイスをしてしまう
アドバイスが間違っていた場合の罰則が存在しないかぎり、アドバイスを生業としている人間のアドバイスは真に受けるな
歴史の分析は、この「きっかけ」を「原因」と捉えがちなので注意する
戦争のきっかけが戦争の原因ではない
山火事と蓄積リスク
ずっとリスクが蓄積してたことが原因であって、燃えやすい物質にちょっと点火してしまうきっかけが全ての原因とならない
ゲームが急にヒットする現象
急にピアノは弾けるようになる
直前の練習のおかげで急に弾けるようになったわけではない。積み重ね。