2023年4月5日
KがリトルKを連れて実家に避難している(2023年4月4日参照)ので、リトルKに起こされることなく寝た晩であった。寝ついたのが遅かったのと、明け方に目覚めたりしたのとで、眠い。最近、起きると首周りが凝っている。枕は悪くはなさそうなんだけどなあ。 先日、同僚が「渋谷のゴッドハンド」と呼ばれる方がやっているカイロプラクティックにいったという話を聞いた。冷や汗がダラダラ流れ、叫ぶのを抑えられない激痛だったそうだが、施術後はすごく爽快であり、また行きたいという。かなり興味があるのだが、そんな痛みに耐えられるのか、自信がない……。もう少しマイルドそうなところに行ってみようかなと思っていたのを思い出した。検索してみよう。
出社して、1on1や取材、面接、ミーティングなどあれこれおしゃべりする系のタスクが多かった。取材では、昨今のAIがもたらす社会の変化やEC業界へのインパクトのような内容について、1時間以上あれこれと話した。どんな文章になって上がってくるのか、楽しみである。また、先日収録したラップの音声と仮に当てたMVのモックが上がってきて、けっこう面白い。いい感じになりそう。何をやっているのだろうか。
こんなことを通勤時にツイートした。
私は比較的温厚な方だと思いますが、秩序立てて整理してある物事を破壊されたり、非合理的・非科学的な言動によって自分の行動を変えられようとしたりといったことによって、アンガーが発動しやすくなることを自覚している。ある種の特性に対して、コントロールできるよう訓練を積んできた。Twitterでいわれるような「社会性フィルター」のもっとプリミティブなエミュレータのようなものがあって、社会関係の場面では、それが脳のリソースの何割かを常に使っている感じがする。そういうこともあって、想定外の事態が起こるとDoS攻撃が成立する。対処法は案出した。
何が非合理・非科学的なのかということについては、広い考えを持っている。自分からは非合理に思えることであっても、別の視座からは合理的なことは、対人関係や社会的な構造においてはいくらでも存在する。そういうことに対しては、自分の感覚だけで怒ったりはしない。問題解決の対象ではあり得る。そんなこともあり、ある種の感情を抱くことはある程度制御可能だし、訓練によって制御の幅を広げることは、有用なことであり得ると思う。たとえば不安を感じるとして、たいていは感じることは所与とした上で対処を考えるようだが、そもそも不安を感じること自体が非合理である可能性をまず考える。
合理性を尊ぶのであれば、自分の感情のあり方についても合理的であるべき。例えば怒りを感じるのも、知識・情報が不足している、問題を把握できていない、変えようのない他人のせいにしている、やればいいとわかってることをやらない等からくる。そのように、自分に対してはベタに合理性を発揮する。ただ、書籍、ドキュメンタリーなどによれば、大きな業績をなす人は、これまで書いたようなことなどまったく無視して、感情をありのままに発露しており、それが社会の需要に(たまたま)ハマっているように見える。自分の態度など、非常に官僚的にすら思える。そう思うと、制御の難しい感情が持たれる。
ひとことでいうと、何らかの感情を抱くことや構造自体に反省を向けないとね、ということである。しかし、たいていの人々はそんなことをすることはないのだろうなあと思うけど。でも、そうやって自分の感情を制御しようとする態度は、昨今的にいうと「サイコパス」的なことなのかもしれない。
論文校正サービスに出した結果が、納期になっても連絡がない。メールで問い合わせたのだが、自動返信が来るばかり。そこそこイライラしてきて、今朝、上記したようなことを書いたばかりなのだが、と反省。結果的に、自分がメールアドレスを間違えて登録したせいだったのだが、なぜそうなったのかはシステムの不出来のせいもあって、イライラが募る、みたいなことを思ってまた反省したのであった。
相変わらず寝不足感があるし、首は凝ってるし、上記のような気疲れもあって、やや疲労を感じた。さっさと寝ないと。といいつつ、コードを書こうとしている。何か面白いものを書きたい気持ちが高まっているところ。
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今日のブックマーク
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