2022年12月10日
第48回日本手話学会大会に参加するために、8時に起きて出かける。東大の先端研の正門の近くということで、駒場東大前駅からもだいぶ遠いので、早めに出た。会場となっている部屋についてみると、ほぼ満席の状況。内容は以下の通り。 基調講演
「カクチケル語にみる語順と認識」小泉政利氏(東北大学)・木山幸子氏(東北大学)
「指さしと相互行為:会話における指さしの多様な働きと指示の達成」 安井永子氏(名古屋大学)
研究報告
「現代ラオス手話の語順」池田ますみ(国立民族学博物館)・遠藤栄太(香港中文大学)
「指差構文にみるオシツオサレツ表象」末森明夫(産業技術総合研究所)
「日本手話の音声的手型と音素的手型」原大介(豊田工業大学)・三輪誠(豊田工業大学)
「文末詞としての日本手話関西地域変種/ほんま/をめぐる考察」森壮也(アジア経済研究所)松⾕千寿(奈良県)
「手話言語における「心」」髙山守(東京大学)
午前は、基調講演が2本。1つ目は、 OS構造(目的語が主語より先に来る構造)の言語でもジェスチャーをさせるとSO構造になるということで、言語の歴史的発展がSOVから始まることの反映や、主語となる対象を最初に認識するという人間の認知特性に基づくのではないかということであった。2つ目は、「指さし」という単純に思われる行為が相互作用の中で多様な意味を持ち得ることについての話。どちらも非常に面白い。
午後は、研究報告の時間。ラオス手話はタイ手話から大きな影響を受けていて(8割ほどの語彙が共通しているという)、タイ手話はASLの影響を受けているのだという。手話の、音声言語との異なる影響の分布が面白い。「オシツオサレツ表象」とは、PTがある人そのものを指していたり概念としての対象を指していたりと、状況に応じて解釈し得ることであると理解した。PTも手話の面白いパーツである。手型の話も、同一音素の「異音」としての音声的手型があるというのは、確かになあと思われた。網羅的に整理しようとしているとのことで、すごい取り組みである。
以前Twitterで質問にお答えいただいた森先生の報告は、「ほんま」という日本語から借用した語彙が、関西の手話方言において仮定法過去のような意味を表す言葉として使われているという話。日本語から借用した語彙をマウジングしたからといって、日本語と同じ意味で使われているわけではないというのが面白い。単に意味の外延が異なるということではなく、文法的な構造を形成しているように思われる。その後、TwitterでYou shold've done that(, but you haven't)のようなニュアンスかと質問したら、その通りであるとご回答いただいた。
最後の報告は、手話言語が、西洋的な心身二元論的な抽象性に基づくのではなく、具体的な表象によって直接的に思考する可能性を開くのではないか的なことをいいたかったのだろう。手話単語にはしばしば図像性が見られるからそのようにいいたくなるのだろうけど、言語である以上は図像性から離れた抽象性・恣意性を帯びるはずで(その辺の話は手話言語学の本に書かれている)、そんな話にはならないだろうと思われた。
渋谷で、道玄坂にできたmuschを訪ねる。お茶しつつ、手話動画を観る。
帰宅して、ご飯を食べた後、岡典栄・赤堀仁美『日本手話のしくみ練習帳』を見ながら練習(以前、少しやったままにしてあった)。今日は、学会の受付で手話で話せればスムーズにできただろうやりとりができなかったのが残念だったし、先生方のお話を聞いて手話に対する面白いという気持ちがあらためて盛り上がりまくったので、少しでも話せるようになりたい。継続的に勉強していこう。 ---
今日のブックマーク
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