茂兵衛の墓
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もへいのはか
江戸時代前期に実在したおさんの不義密通相手で、その罪によりおさんと共に処刑されたのが茂兵衛 欣一の詠んだ俳句「秋山にてのひらほどの墓なりき」の前書にある「おさんの墓」は、茂兵衛の親族が茂兵衛を弔うために密かに建てた供養塔(五輪塔)を指すと思われる
以下、参考文献:平成22年度 船城歴史探索街道「山田自治会」山田自治会・金川文雄氏作成より孫引き
不義を働いたおさんと茂兵衛は、茂兵衛の故郷である丹波国(現・丹波市春日町山田)へ逃げたが、「おさんの森」で捕らえられ、1683年に処刑されたと伝えられる 『丹波氷上郡志』には、大正2年に松瀬青々が茂兵衛の生家を訪れ、「墓に昔を偲んだ」と記されている この供養塔が茂兵衛の墓であることは300年の間、隠されて真実は語られず、限られた人しか存在を知らなかった
隠されていた墓の存在が一般に知られるようになったのは、昭和52年3月発行の書籍『京都・兵庫歴史散歩ー 謎の丹波路』春木一夫(神戸新聞出版センター)に、この件が書かれたことによる
コメント:茂兵衛の親族である金川家の菩提寺樹源寺に欣一直筆の「秋山にてのひらほどの墓となり」の句碑がある https://gyazo.com/929efc423d5b4c4f47468d102f89ad7c